騒がしい世界とニチニチソウ

 初夏から晩秋まで次々に花をつけるのが「日日草」。その間、世界は騒がしさを増し、多くの人々が悲劇に巻き込まれてきました。12月末になり、流石に花はめっきり減りました。「ニチニチソウ」と聞くと、いつも頭に浮かぶのは「日日是好日(にちにちこれこうにち、にちにちこれこうじつ)」という禅語。この禅語は『碧巌録』第六則に収められている公案で、「日々是好日」とも表記され、普通は「ひびこれこうじつ」とも読まれてきました。

 「日日是好日」は「毎日が好い日」という意味です。そこから、そもそも日々の良し悪しを一喜一憂することが誤りで、常に今この時が大切なのだ、というのが禅の解釈でした。でも、ニチニチソウの花を見ながら、人の世を考えれば、毎日が好日であることは何と実現しがたいことか、それがよくわかる一年でした。

 地上は毎日が問題だらけで、あちこちで争いが続き、騒々しいと感じながらも、それをいつの間にか受容している自分に気づくのです。大切な毎日は争いに溢れ、「日日是好日」どころか、その反対の「日日是嫌日」、「日日是排日」でした。

*家康の旗印「厭離穢土 欣求浄土」は「私たちが住むこの世界は苦悩に満ちた穢れた世であり、それを厭い離れることを願い、心から浄土に生まれることをねがい求める」という意味だが、その実現には戦争が必要だった。そして、「戦争による平和の実現」の構図は現代も何ら変わらない。