十三仏(じゅうさんぶつ)

 深田久弥は『日本百名山』で、戸隠、飯縄、黒姫連山の中で、高妻、乙妻は品格があるにも拘わらず、登る人が少なく、昔はこの高妻、乙妻を戸隠の御裏山と称して、修験者が登拝していたと述べています。

 十三仏室町時代に日本で考えられた、冥界の審理に関わる13の仏(正確には如来と菩薩)のことで、十三回の追善供養(初七日〜三十三回忌)をそれぞれ司る仏としても知られています(初七日=不動明王、二七日=釈迦如来、三七日=文殊菩薩、四七日=普賢菩薩、五七日=地蔵菩薩、六七日=弥勒菩薩、七七日=薬師如来、百か日=観音菩薩、一年忌=勢至菩薩、三年忌=阿弥陀如来、七年忌=阿閦如来、十三年忌=大日如来、三十三年忌=虚空蔵菩薩)。

 ところで、八海山は屏風を立てたような急峻な崖の上に八つの岩峰が並びそびえる修験修行の山です。八ッ峰にはそれぞれ地蔵岳、不動岳、七曜岳、白河岳、釈迦岳、摩利支岳、剣ヶ峰、大日岳という名前がついています。「地蔵」、「不動」、「釈迦」、「大日」といった名前は他の山でも使われていて、それら名前の由来の一つは仏教の「十三仏」。どれも山名として聞いたものばかりで、高妻山は乙妻山まで踏破することによって十三仏がすべて登場することになっています。

 千曲市東筑摩郡筑北村にまたがる冠着山(かむりきやま)は別名姥捨山(うばすてやま)ともいい、昔から名高い姥捨伝説の舞台となっていました。冠着山にも十三仏という地名があり、仙石区から登った坊城平にあります。「坊」は山に籠っての修行によって悟りを得ることを目的にした修験道の場だったことを示しています。真上には冠着山を威容に見せる巨岩の児抱岩があり、冠着山の十三仏の復元作業が2012年に行われました。

 飯縄山飯綱山、いいづなやま、故事からすれば「縄」が正しい。)も古くから山岳信仰の霊山であり、飯縄権現を祀る修験道場でした。今から180年ほど前に建立された石仏群があり、飯縄山の登山道でもある飯縄神社参道に点在し、頂上に至る登山道脇には不動明王に始まる13体の石仏が点在しています。

 登山と修験道の間の特別の結びつきは今では過去のもので、現在の登山では修験道は遺産でしかなく、観光地の寺社と変わりありません。でも、山伏と登山者には山に対する共通の信念や感情があるようにも思えます。とはいえ、頚城山塊、戸隠連峰の修験文化が現代人にどれだけ伝わっているかとなれば、寂しい限りと言うのが私の印象です。