ツバキについて(4):ツバキの初等的な仕分けとオトメツバキ、オトメサザンカ

 ツバキを知りたいなら、手始めはツバキの仕分けだろう。「ツバキ」の語源はたくさんある。『万葉集』では艶やかな葉が強調され、その光沢から「艶葉木」と呼ばれ、転じてツバキになったというのがその一つ。「ツバキ」の漢字は中国では「茶花」で、日本の「椿」は当て字である。

 普通に使われるツバキは分類学的にはツバキ科ツバキ属のヤブツバキ。このツバキ科の仲間はツバキ属の他にヒサカキサザンカ、ナツツバキ、ヒメツバキ、モッコク、ナガエサカキ、サカキ、ヒサカキの7属。ツバキ属にはヤブツバキ、ユキツバキが入る。

 ヤブツバキは本州の青森から太平洋側の海岸に近い地域の山地と、四国、九州の山地、日本海秋田県男鹿半島以南の海岸に近い山地に分布し、朝鮮半島の南西部の一部にも分布。ユキツバキは日本海側の福井県秋田県田沢湖付近までの海抜300m~1300mの山地に自生し、ヤブツバキの変種とする学説もあるが、生態、樹形などに大きな違いがあり、種として独立させる学説が優勢(後述)。

 ユキツバキはヤブツバキより高所に生えるのに寒さに弱く、小苗の間は夏と冬の乾燥を嫌う。ヤブツバキと比べ、挿し木の発根性がよく、強い刈り込みに耐え、花付きがよいなど、ヤブツバキと大きな違いが見られる。ユキツバキとヤブツバキの自然交雑による中間型のツバキがあり、この交雑種がユキバタツバキ。花は濃紅、紅、桃、淡桃、白など変化が多く、一重咲きの中輪で、花形は変化に富んでいる。

 ここで、ユキツバキ系の「オトメツバキ(乙女椿)」(昨日の画像3、5)について考えてみよう。オトメツバキはよく知られたユキツバキの園芸品種。ユキツバキがヤブツバキと異なることが明確にされ、ユキツバキが「発見」されたのは何と戦後の1947年と言われているが、それまで存在が知られていなかった訳ではない。それどころか、オトメツバキは江戸時代から栽培されている。丈夫で太平洋側の地域でも栽培しやすく、挿し木も容易。千重(せんえ)咲き(花弁が数多く重なり、花心部に雄蕊を欠くか、あるいは見えないもの)、中輪。花色はピンク。やや抱え咲きから満開して正型の花形となる。開花は3〜4月が多いが12月にも花をつける。北陸地方によく似た品種が多いことから、江戸時代末期に作出されたとされ、『本草図譜』(1829)に載る。1911年(明治44年)に清野主がアメリカに紹介。

 ところが、サザンカにもオトメがあり、サザンカ「オトメ」はツバキ科ツバキ属のサザンカの園芸品種(昨日の画像1)。花色はピンクで、千重咲き、中輪、11月から開花する早咲き、カンツバキ群に属する品種となれば、上記のオトメツバキと瓜二つの花を咲かせる。

*昨日の画像1、3、5をじっくり見比べてほしい。

 

 さて、サザンカは日本が原産の一つのツバキ科ツバキ属の常緑樹。サザンカは園芸品種が豊富で300種類以上もあるが、それらはサザンカ群、カンツバキ群、ハルサザンカ群に分けられる。「山茶花」という表記で日本の文献に最初に現れるのは、室町時代の『尺素往来(せきそおうらい)』。それまでサザンカとツバキははっきり区別されていなかったようで、植栽の歴史もよくわかっていない。江戸中期頃になると栽培が盛んになり、伊藤三之丞著『花壇地錦抄(かだんちきんしょう)』には、36品種が解説されている。この頃から盛んに品種改良が行われ、サザンカは元禄三年に長崎に来航したドイツ人医師ケンペルによって初めて海外に紹介された。

 サザンカは日本の固有種で、四国の南西部と九州の全域、壱岐島に分布。さらに、奄美大島~沖縄~西表島までの島々に、サザンカとよく似たオキナワサザンカが分布している。サザンカの花は白色で、まれにピンクのものもある一重咲きで、平に開く小、中輪花。花期は10月下~12月の頃で、花には特有の微香がある。葉は小型で上下面の主脈、葉脈、若枝には細毛が多い。また、ヒメサザンカ沖縄県奄美大島の山地に自生する固有種。