神話や昔話の中のヘビ、ガマガエル、ナメクジ

 ヘビやガマガエル、ナメクジは嫌われもので、「大蛇、蝦蟇、蛞蝓」となると神話や昔話の常連である。私のような田舎育ちの老人にはどれも珍しくはなく、それでいて、どれも好きになれない身近の生き物だった。だが、今の子供たちはそれら小動物に日々接することはまずない。

 カタツムリとナメクジはよく似ている。子供なら、カタツムリから殻を取れば、ナメクジだと考えたくなる。だが、カタツムリとナメクジは別物である。カタツムリの殻は体からしみ出た石灰分から作られている。体にくっついていて、無理に体から引きはがすと、カタツムリは死んでしまう。アサリやハマグリの殻を無理にこじ開け、肉を引き出すと死んでしまうのと同じである。カタツムリはヤドカリのように別の貝殻を背負っている訳でもない。カタツムリには生まれたときに既に殻があり、殻はカタツムリの成長とともに大きくなる。殻に傷がついたり、小さな穴が開いたりしても、数日で元通りになる。ナメクジには、カタツムリのような殻はできない。これがカタツムリとナメクジの最大の違いである。

 カタツムリは陸に生息する巻貝である。巻貝は水中でえら呼吸をするが、カタツムリは肺を持ち、陸上で肺呼吸をする。背中に大きな貝殻を持つのがカタツムリ、殻が退化して消失したのがナメクジである。殻を持つメリットは外敵に対する物理的防御、体からの水分の蒸発を防ぐなどだが、自分の体が隠れるような大きな殻を作ることは物質とエネルギーの双方で大きな負担となる。一方、殻をもたないナメクジは殻に投資するエネルギーをすべて自分の体の成長に投資できるので、成長が早く、殻がないので、狭い場所にも入って行くことができ、新しい生活環境に適応できるというメリットがある。だが、殻を持たないため、捕食や乾燥に対してはカタツムリよりも弱くなる。カタツムリとナメクジのどちらが生存にとって有利かは環境要因に大きく依存する。

 「グー→チョキ→パー→グー→…」と同じように、「ヘビ → カエル → ナメクジ → ヘビ→…」という「三竦(すく)み」は昔話によく登場する。ヘビはカエルを一飲みにする。ヘビには負けるカエルだが、相手がナメクジならばやすやすと舌でとって食べる。カエルに負けるナメクジにはヘビ毒が効かず、身体の粘液でヘビを溶かしてしまう(これは実際には正しくないのだが、古い時代の日本では信じられていた)。こうなると、三者とも身動きがとれず、三竦みとなる。

 子供の頃はヘビ、カエル、ナメクジを毎日のように見ていて、それらは私の生活世界の必須の動物たちだった。どれも嫌われものだが、害虫とは違い、少なくとも私の敵ではなかった。むしろ、私の方が彼らの敵で、彼らを虐めるのが私だった。そんな生活世界であるからこそ、神話や昔話に登場するこれら小動物が姿を変えた蝦蟇、大蛇、蛞蝓を生み出し、それらが大活躍する素地をつくってきた。形而下の物理世界の動植物たちと、そこから生み出された形而上の神話世界の鬼や妖怪、神や超人たちとが共存する古代の生活世界は今より遥かに豊かで、物語に満ちていたように思えてならない。子供の世界と大人の世界が神話の世界の中で融合していたのである。