小中生のための哲学(13)
[ガリレオ(Galileo Galilei, 1564-1642)]
ガリレオの天体観測によって、天体が完全で不変の実体からできているのではないことが次第に明らかになっていきます。特に、ガリレオはコペルニクスの仮説を観測で験証することによって、地球も他の天体と同じ天体の一つに過ぎないことを示すことができました。その結果、ガリレオの研究はまずアリストテレスの物理学を、次に彼の天文学を否定することになります。これらガリレオの研究をまとめ上げたのがニュートンで、彼によって天体の法則と地上の法則は同じであり、何ら違いがないことが証明されました。
ガリレオは、アリストテレス的な認識論が完全に誤っており、力学、数学、工学に基礎を置いた認識論に転換されるべきだと考えていました。そして、天上と地上の異なる物理学を統一し、特に、自然の運動と干渉による不自然な運動という誤った考えを捨て去ろうとしました。そのために実験と観察を重視することが新しい研究方法として重視されたのです。そして、アリストテレス的な考察に浸透していた質的な推論を量的な数学的推論に変更したのです。
それまで数学は自然研究とは独立したものと考えられていましたが、ガリレオはその数学を使って実験と観察を表現し、その結果を数学的推論に組み入れ、知識を獲得することを標榜しました。ガリレオが目指したものはアリストテレス的な世界観の否定とコペルニクス的な世界観の肯定だけではなく、感覚的、現象的だけではない、数学的に推理された経験に基づいて知識を確立することでした。これは常識的、日常的な経験から、推理された、数学的に正しい経験理解への認識論的な転換でした。
アリストテレスの物理学の場合、直進する運動に説明が必要でしたが、ガリレオの慣性と慣性座標系の考えから帰結するのは、それとは違って、説明を必要とするのは地球に向かっての加速度的な落下運動でした。
ガリレオが太陽の周りを回る惑星の運動についてのコペルニクスのモデルを受け入れると、彼は運動そのものを考え直さねばならなくなりました。ガリレオはできるだけ単純な運動から考え始め、距離Dを時間Tで動く直線上の運動として一様な直線運動を定義しました。ガリレオもコペルニクスも動いている船の上でボールを落下させた場合と同じことが陸上でボールを落下させても起こることを知っていました。ボールは垂直に落下します。ですから、一様な直線運動は落下するボールに何が起こるかを変えることはありません。さらに、二人とも船上で別の船が通るのを見ている人は視界に固定した対象(つまり、参照枠=座標系、frame of reference)が何もなければどちらの船が動いているのかわからないことも知っていました。
参照枠という考えはアインシュタインの相対性理論の鍵ですが、それより300年も前にガリレオによって理解され、明確に表現されていました(ガリレオの相対性)。一様直線運動の定義と上述の簡単な観測から、ガリレオは地球が静止し、太陽がその周りを動いているか、太陽が静止し、地球がその周りを動いているかを証明することができないことを知っていたのです。
また、ガリレオはある種の運動は一様な直線運動という考えに合致しないことも知っていました。落下するボールを詳しく観察することから、ボールは落下するにつれ、その速度を増加させることがわかります。ガリレオはこれを連続的な一様加速度と定義しました。加速度は速度の変化率として定義されます。ガリレオは落下する対象の連続的加速度にはパターンがあることを知っていました。彼は時間や距離の関数として特定の時刻の速度に対する数学的関係を幾つか考えています。ある時刻の速度は、ボールを落下させてからかかった時間に比例します。落下した距離はかかった時間全体の2乗に比例します。こうして、彼は観察に基づいて、瞬間の速度は下の表のような奇数の系列にしたがうと推測しました。
時間 |
1秒 |
2秒 |
3秒 |
4秒 |
距離(瞬間) |
1 |
3 |
5 |
7 |
距離(合計) |
1 |
4 |
9 |
16 |
仮説を展開した後で、初めて彼は一連の実験を通じてその考えを厳密にテストすることができました。実験には傾斜した平面と真鍮のボールが使われました。彼は斜面を転がるボールの距離を組織的に記録し、平面の角度を変えて実験を繰り返しました。いずれの場合も彼の予測の式は実際の結果にうまく合いました(彼は測定の誤差やボールの抵抗、つまり、摩擦のため、実験結果が正確に同じではないことを承知していました)。
ガリレオはまた、水平に打ち出された大砲の玉の経路が放物線の経路を辿ることを説明しようとしました。彼は飛んでいるボールの運動が二つの独立した運動、一つは水平の一様直線運動、他は垂直の一様連続加速度の結果であると示唆しています。運動の水平方向をx軸に、垂直運動をy軸にとってみましょう。すると、時刻Tでの位置は、
x = cT
とならなければなりません(cは定数で、一様な直線運動です)。そして、
y = kT2
となります(kは別の定数で、一様な連続的加速度です)。すると、
T = x/c; T2 = x2/c2; T2 = y/k; ⇒ y = Kx2
ここで、Kは別の定数です。最後の式は放物線の式です。それゆえ、水平に打ち出された大砲の玉は水平の直線運動と垂直の連続的加速度にしたがい、経路は放物線を描くことになります。でも、ガリレオはなぜこのような運動が起こるのかにはほとんど注意を払いませんでした。この「なぜ」はニュートンが考えることになります。
(問)アリストテレスはリンゴの落下を説明する必要はありませんでしたし、ガリレオはリンゴが飛び続けることを説明する必要がありませんでした。一方、アリストテレスはリンゴが飛び続けることを説明する必要がありましたし、ガリレオはリンゴの落下を説明する必要がありました。この違いを説明しなさい。
(問)アリストテレスの物理学がガリレオによって反証されたことは、反証に使われたガリレオの理論が正しいことを示しているでしょうか。また、反証に使われる理論が正しくない場合でも実験や観察は正しいでしょうか。
<ケプラーの研究>
ガリレオが研究している間に、ケプラー(Johannes Kepler, 1571-1630)は彼の三つの法則を考えていました。第3法則は、どんな惑星も軌道周期(T:速度に関連)と太陽からの距離(D)の間の関係を明確に述べています。
T2/D2 = 定数
ですから、ある惑星の距離と軌道周期を知れば、他の惑星の太陽からの距離を知ることで軌道周期を計算できます。ケプラーはなぜこのようになるのかに特別関心を払いませんでした。フック(Robert Hooke, 1635-1703)、ハーレー(Edmond Halley, 1656?-1743)はこれを説明するために、ケプラーの第3法則がすべての惑星に働き、太陽の周りに次のような力(F)が存在することを意味していることに気づきました。
F = 1/D2
でも、これ以上の考察はなされませんでした。
[ニュートン(Isaac Newton, 1642-1727)]
ニュートンは自然哲学者であると同時に数学者でもありました。彼はガリレオに始まる運動の物理学を三つの法則にまとめ、コペルニクスの天体運動のモデルがどのように働くかをより十分に説明しました。ニュートンについての詳しい説明は後述することにし、ここでは彼の運動の法則と重力の法則だけを確認しておきましょう。それらは『自然哲学の数学的原理(プリンキピア)』(Philosophiae Naturalis Principia Mathematica, 1687)で述べられています。
『プリンキピア』は三巻から成っています。第一巻は、ユークリッドの『原論』のように、質量、運動量、静止力としての慣性、外力、求心力などを簡潔に定義しています。そして、それらの基本的概念に基づく有名な三つの法則が述べられています。第三法則は、二つの物体が相互に及ぼす力、作用と反作用は、大きさが等しく方向は反対になるというものです。この第三法則がニュートンの力学上の新しい業績で、最初の二法則は彼の先駆者たちの研究によってすでに定義されていました。でも、三つを厳密に数式で表わし、論理的に系統立てたのはニュートンが最初でした。第二巻では流体力学を論じて、デカルトの渦動宇宙論を批判しています。ニュートンの最大の業績である重力が登場するのは第三巻です。二つの物体はある力をもって相互に引き合うこと、そして、その力はその物体の質量に正比例し、物体の間の距離の二乗に反比例するという相互引力の法則がすべての物体について成立します。ニュートンはそれまでのさまざまな考えを総合し、引力理論に基づいて、力学を宇宙全体に適用できるようにしました。つまり、ニュートンは極微粒子から巨大な天体に至るまで宇宙にあるすべてのものにあてはまる単純明快な理論を樹立したのです。
(第一法則)どんな対象も外部から力が働かない限り、静止したままか、一様な線運動を続ける。このような条件(静止、あるいは一様線運動)は現在慣性と呼ばれている。
(第二法則)運動の変化は力に比例し、力が加わる方向に起こる。(物体が直線に沿って一様な線運動をしている場合、運動方向に垂直に働く力は以後の運動に影響を与えない。)
(第三法則)作用・反作用の法則
(万有引力の法則)F = G(mm'/D2)(Gは重力定数、m、m’は二つの物体の質量、Dは二つの物体間の距離)