ブラシノキ

 ブラシノキ(ブラシの木)はフトモモ科ブラシノキ属の常緑小高木。カリステモン、ハナマキ(花槙)、キンポウジュ(金宝樹)が別名である。オーストラリアが原産。周りの公園や庭では今頃開花し、目を楽しませている。赤い花はブラシのように見える。その花の先から枝が伸びるという珍しい特徴がある。
 ブラシノキはオーストラリアの乾燥地が原産のため、極端な乾燥や山火事のときに実が開き、中の細かい種子が風に飛んで散布される。山火事で焼き払われた土地にすばやく芽を出して、その土地一帯を独占しようというのがこの木の適応である。これはユーカリも同じで、夢の島にはそのユーカリブラシノキが多い。さて、彼らの日本での運命は?

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観光暴論

(子供の頃に祖父母から温泉地の人たちは土地を耕さない人たちだと刷り込まれた友人が酒を飲みながらいじけて吐いた暴言で、真面目に受け取ることなかれ。)

 観光は人の好奇心と欲望を金と時間を使って満たすもの。観光による癒しという心的快楽の充足は文化・芸術が与える快楽と同じ類のものである。人は心身の渇きを娯楽や観光、そして食事やセックスによって満たしてきた。秘境、秘湯、秘仏、秘伝の類は人の好奇心をそそり、欲望を煽る。秘め事ほど暴きたくなるもの、秘宝ほど独占したいもの、そして見てみたいもの。この相反するような欲求に目をつけ、抜け目なく利用するのが観光で、時には麻薬のように私たちを蝕むことになる。
 「誰もが知ることのできる心の秘密」、「いつでも行ける秘境」、「どこでも手に入る秘伝」には誰も大した興味を示さない。秘密、秘境、秘伝等が手に入れにくいほど人はそれらを手に入れたくなるものだが、手が全く届かないのでは観光は成り立たない。観光には程よい秘密、秘境が求められるのである。
 隔離され、孤立していたことによって生まれたガラパゴス諸島の独自の生物進化、それを見出したダーウィンはその秘密を守ることには思い及ばなかった。ガラパゴス諸島の生態と観光とが矛盾することの間の綱渡りが始まる。「隔離することによって保たれる生物進化の証拠を観光化し、その生物進化を観光客の眼に晒すこと」は実におかしな話で、観光は生物進化を邪魔し、ついには破壊することになる。ガラパゴス諸島には開国した日本以上の苦難が待っていた。観光は孤立や隔離とは相容れず、それらを許さない。秘境と観光とはそもそも両立しないにもかかわらず、「秘境観光」はビジネスとして横行してきた。自然が優しく寛容であることにつけ込み、自然に甘えて、それを搾取してきたのである。
 仏教寺院の巧みな策略の一つが「秘仏」。永久に誰も見ることができない「絶対秘仏」は寺の経営には不利なようだが、浅草寺善光寺も観光という点では実に商売が上手い(絶対秘仏は「見えないものは存在しない」と叫ぶ哲学者への最も有効な反例、浅草寺善光寺鳴り物入りの御開帳は本尊そのものではなく、前立本尊と言う別物。誰も詐欺だと言わず、有難がるだけなのが不思議)。関山神社の別当寺だった宝蔵院の秘仏は2013年7月19日に素直に開帳された。多くの秘仏は決められた日時に定期的に開帳されている。肝心なものを僅かしか見せず、一層興味をかき立て、欲情をそそるというやり方は生物の常套の適応で、それを巧みに盗んだ俗世の定番の方法。
 秘密のものをつくり、それを利用するという策略を穏やかに、優しくしたのが特別化、差別化。優れた風景、名所旧跡、風俗、料理等、それらのどれを見ても、他のものと差別し、特徴を誇張することである。それらが稀であり、心身を満たすものであれば、多くの客を惹きつけることができる。富岳三十六景、近江八景日本三景など、優れた景色はそのような特別化、差別化の典型例。今様に言えば、ブランド化。山紫水明、雪月花、花鳥風月と私たちは風景の定番をパターン化までして分類し、表現してきた。
 観光化するとは、妙高名所図会、妙高八景、妙高三滝(五滝、七滝(河津七滝))、妙高三山(五山)、妙高三社(七社)、妙高七湯等々、差別的な名称をつくりまくることである。そんなバカげた所業を皆で実行することである。さらに、そこには適度に苦労しないと行けないように仕組むのである。妙高の名物蕎麦は1年の内3か月ほどしか食べられないように敢えて決めるのである。何より「観光」概念を変え、国立公園をただ受動的に享受するだけではなく、適度な苦労や努力を観光客に求め、印象づけるのである。
 どう演出しようと、観光が欲望を満たす定番であることに変わりなく、プロテスタント門徒の勤勉さに目をつぶるのが観光地妙高の運命であり、それを妙高の人々は風土と認め、躊躇しながらも受け入れるのである。

*この暴論に反論することは「観光」がまともな生業であり、社会的に価値ある産業であることを示すことだろうが、観光正当化の議論はいかにできるのか。これは中高生の皆さんへの頭の体操になるだろう。さらに、大人たちには、「生命地域主義」と「エコミュージアム主義」はそれぞれこの暴論に対してどのような立場をとるだろうか。これは大人たちへの頭の体操。

オオキンケイギク

 久し振りに荒川の河口、新木場4丁目辺りを走った。と言っても、最近は走るのと歩くのが同じ程度の比率になっていて、散歩と大差なくなっている。今はオオキンケイギク(大金鶏菊)が花盛りで、堤防の土手一杯に見事に咲き乱れている。オオキンケイギクはキク科の植物で、画像のように黄色い花を咲かせる。北アメリカ原産の宿根草で、日本では1880年代に入ってきたが、外来種として野外に定着して問題となり、現在は栽培が禁止されている。繁殖力が強く、荒地でも生育できるため、河川敷や道端に緑化のために植えられた。しかし、カワラナデシコなどの在来種を駆逐する恐れが指摘され、2006年に特定外来生物に指定された。
 外来生物となれば同じ黄色のオオハンゴンソウを思い出す。妙高では池の平や笹ヶ峰で繁殖しているのがオオハンゴンソウ。何度かその駆除に行った。どちらも繁殖力が旺盛で、健康優良児。それが「特定外来生物」に指定されて「指定暴力団」のような扱いなのである。人に対して直接に悪さをする植物ではないが、人の方は他の生物と区別して悪者としてみるのである。

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シラン

 シラン(紫蘭)は、ラン科シラン属で、野生のものは何と準絶滅危惧種。だが、栽培品として広く普及していて、今はあちこちに赤紫色の花を咲かせている。ラン科の植物には珍しく、日向の畑土でも栽培でき、観賞用として庭や公園に広く植えられている。とても丈夫な植物で、とかく栽培が面倒なランの仲間ではこの花ほど親しまれているランはないだろう。関東地方以西の本州、四国、九州の里山の土手や崖に生えるようだが、植栽植物として親しまれているため、野生種か植栽かの区別がつかなくなっている。別名は紅蘭(ベニラン)、朱蘭(シュラン)。
 春になると、地下に連ねた扁平な地下球(偽球茎)からササのような葉茎を伸ばし、先端に赤紫色の華麗な花を咲かせる。晩秋には葉を落とし休眠する。俳句の季語は夏で、咲き誇るシランは暑さを予言するかのようである。

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The Ideal Museum of Myoko

 かつてバブル期に美術館や博物館が多数つくられた。だが、今や状況は一変し、「妙高市にはまともな美術館や博物館が一つもない」と嘆き悲しんだとしても、美術館や博物館という箱物をつくることには誰も賛成しない。理由は明々白々で、市民の日々の生活が文化、歴史、芸術に優先するというのが多数の意見だからである。
 冷静に見れば、美術館や博物館を今つくるのは財政的な理由だけでなく、より本質的な理由によって得策ではないのである。旧来の美術館、博物館という概念をそのまま使うのは避けるべき時期がきているのである。既存の美術館や博物館は耐え難いほど旧式のスタイルを保持していて、収蔵物の展示の方法、収集保管、情報の伝達等は見直さなければならない時期なのである。今や博物館も美術館も知識や芸術の保守主義の牙城、旧勢力の象徴となっているのである。
 「まともな美術館、博物館」が既存の旧式の美術館、博物館を指すのであれば、それがないことこそが利点だと考え直してみよう。保守的な旧態依然たる博物館、美術館に囚われる必要がないから、より革新的な博物館、美術館を自由に夢見て、模索できるのではないか。少なくても、どのような在り方、形態を想定するか自由に意見を募ることができる。何かを始めるには、無こそ有利なのである。このような場で議論するのもよし、シンポジウムや討論会で意見をぶつけ合うのもいいだろう。そんな議論のために私自身のヴァーチャルな博物館をスケッチしておこう。

 歴史も芸術も情報であり、それらの一部分を収集し、展示し、理解し、鑑賞するのが博物館、美術館である。まとまった施設はなくても、妙高市の関所、古墳、神社、寺院、国立公園、さらには社会、経済の様々な統計等に関する情報は、既存の施設が情報を分散したまま保持している。だが、その分散情報はしっかり統合されていないし、ディジタル化さえ十分になされていない。それらをすべて集め、統合すれば、サーバー上に博物館をつくるデータとすることができる。兎に角、第一段階は徹底的に知識と情報をディジタル化することである。もっとも基本となる妙高市の市史はディジタル化されているだろうか。あるいは宝蔵院の日記の重要部分はどうだろうか。妙高戸隠連山国立公園に関する動植物の生態や植生に関する情報はディジタル化されているだろうか。これら情報は箱物と違って、市役所を中心に市民が参加して収集整理できる作業である。このような基本情報がデータベースとなって、妙高市の歴史、文化、社会、そして自然の情報が統合され、検索でき、辞書のように使えるシステムが構築できれば、それは立派に仮想空間での博物館や美術館になる。但し、どこにも箱物はなく、市役所にサーバがあるくらいのものである。
 そんな博物館ができれば、教育ネットワークにつなげることによって「教育博物館+図書館+理科室」として使え、小中学校の教室で使えることになる。子供たちがわざわざ足を運ばなくても、関所の歴史や妙高山麓の自然をパソコンンの画面を通じて知ることができるようになる。
 市民博物館(参加型)+図書館は市民活動に欠かせない道具になってくれるだろう。どんなスポーツがどこで行われ、誰がどのような資格で参加できるのか、そんなことが今より簡単に知ることができるようになるだろう。文化活動だけでなく、医療や介護にも活用できるだろう。
 観光客にはパンフレットではなく、Webを通じて観光博物館(来客用)を利用してもらい、きめ細やかな観光情報を伝えることができるだろう。
 これらのことには大したお金はかからない。コツコツとシステムを充実させていくならば、5,6年で随分と立派な博物館へと変身しているのではないだろうか。そこには妙高市の重要な情報、作品が陳列され、それを見るだけでなく、活用できるとなれば、今ある博物館よりは使い勝手の良いものになるのではないだろうか。とはいえ、「本物を見たい、作品を直接見たい、発掘品を所蔵したい、作品を陳列したい」という私たちの物欲は上述のような仮想の博物館、美術館では満たされないのも確かである。物欲を満たしたい場合は、それぞれが直接に現実の博物館や美術館に行って超一流の品物を存分に鑑賞してくるしかない。そのためにあるのが国宝であり重文であり、私たちの物欲の対象なのである。
 これは私の単なる思いつきに過ぎない。現状で十分という市民から、どうしても箱物がほしいという市民まで様々な意見がある筈で、皆で意見を出し合い、議論してみることが第一歩になる。

スモークツリー

 スモークツリーはウルシ属に近い落葉樹で、ヨーロッパから中国に分布する。雌木の枝先につく花序は長さ約20cmで多数枝分かれし、遠くから見ると煙がくすぶっているように見える。雄木は花序が短く、煙状にはならない。
 スモークツリーは、初夏になるとピンク色の花を咲かせる(画像)だけでなく、葉も緑のものや紫色のもの等があり、紅葉も見事である。咲いている花を煙に例えてこの名になっているが、煙というより綿菓子に近い。画像の葉は緑色だが、赤紫になる品種もある。樹形を綺麗にまとめるには剪定が必要。

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美術館や博物館の神話、そして観光

 観光地に行くと目に飛び込んでくるのが美術館や博物館。妙高市はどうかと振り返ると、関川の関所道の歴史館、斐太歴史資料館、さらに妙高高原ビジターセンター、くま杉の里の民俗資料館と挙げていくことになるのだが、本格的な美術館、博物館が一つもないことに気づいて、愕然とする。まともな美術館、博物館が妙高市にはないのである。では、お隣の上越市はどうかとなると、上越市は幾つもまともな施設を持っている。すると、二つの市の文化的な格差を感じてしまい、一方は文化都市だが、他方は田舎だという誤った評価を下してしまうことになる。
 観光地の箱根や伊豆に目を転じると、いずれも賑やかで、ピンからキリまでの美術館や博物館が盛りだくさん。本格的な美術館、博物館から観光施設まで、様々に林立している。「展示する、見せる、誇示する」という行為は、それだけでも人間の臭いがプンプンしているのだが、さらにその背後には「見たい、知りたい」という人の好奇心と「見せびらかしたい」という虚栄心が絡み合い、それらが醜く透けて見えてくるのである。観光は博物館や美術館の神話をあっけらかんと打ち砕き、それらが所詮見世物に過ぎない観光施設のようなものだということをはっきり示してくれるのである。文化が見せびらかすことなら、上越市と違って妙高市は慎み深い美徳を保持しているのだと痩せ我慢することにも一理あることになる。

 性欲や食欲と並んで、それらよりもっとわかりにくく厄介なのが所有欲、いわゆる物欲である。年齢と共に変わり、状況に応じて変幻自在なのが物欲である。性欲や食欲は年齢と共に穏やかになるものだが、物欲はむしろ歳と共に倍加する場合が多い。私たちはものを自分のものにしたいという気持ちを持っているが、そのような気持ちを持っていることによって、ものを隠す、見せない、見せる、見せびらかすことがどのようなことか、また、それらがどのように違うかを手に取るようにわかっている。好奇心だけなら、見る、見たいだけで述べることができるのだが、そこに物欲が加わると、隠す、見せない、見せる、見せびらかす、見せたいことが加わり、知識への関心以外のより人間的な関心を私たちがもっていることがわかってくるのである。
 何かを知り、それを誰かに見せ、より詳しく見せびらかすことが哲学や科学の知識を巧みに利用することによって、劇的に私たちの心を捉えることが遥か昔から行われ、それが文化や伝統なるものを生み出してきた。文化や伝統は所有欲、物欲を具体的に表現し、正当化するシステムだと言っても構わないだろう。芸術は人の物欲の表出である。骨董品を集めるのは老人の趣味というより、人の物欲の典型であり、単に所有するだけでなく、それを他人に見せびらかしたいという子供じみた欲望が見事に表出されている。この骨董品集めをさらに大々的に組織化すると博物館や美術館に結実していくことになる。王侯貴族も大名地主もこの子供じみた収集と展示という物欲に支配され、権威なるものがそれをサポートすることによって、近代社会の人間の欲望の一面が浮き彫りになってくる。
 こんな風に書くと、大袈裟で病理学的色彩をもつ独りよがりの書き殴りと見られるのだろうが、もっと気楽に博物館や美術館、そして図書館について考えてみたい。私の大学院時代の美学の授業は教室から出て、美術館の中で絵を前に議論するのがほとんどだった。何とものんびりしたものだったが、一枚の絵をどのように楽しく分析するかを体験することができた。その後も、私には美術館はカフェに似て、自由に使える自分の空間だった。むろん、常陳の場合に限られるが、週末以外の美術館の中は静かで、夏は冷房が入り、考え事をするには絶好の場所だった。
 私がいた文学部にも収集と展示にこだわる専攻が幾つかある。所蔵と閲覧となれば図書館情報学であり、戦後アメリカの援助でできた超実証的な専攻である。情報や知識の整理整頓、伝達、収蔵等々、バベルの塔のような図書館を有機的な活動体に変えるということが目標となっている。それと正反対のところにあるように見えるのが民族学考古学。これも超実証的で、文書中心の歴史学の中では妙にもの中心で、その発掘方法は科学的なのである。発掘は過去の観察であり、扱う対象は徹底して「もの」である。これら二つは博物学につながるものであり、整理整頓が知識であることの証左になっている。最後は美学美術史学の中の美術史である。これが美術館と繋がっている。美術史学と美術館、そして文化庁は始終談合だらけと言えないこともないが、美術館の学芸員は美術史学の専攻者が圧倒的に多い。
 これらの専攻の研究の裏側を垣間見るなら、アカデミックな研究対象が人の物欲の産物であり、その産物をどのように見せびらかすかに寄与しようというのが研究だということになる。ほしい物を集め、見ることを一人で楽しみ、さらにそれを他の人に見せびらかすのが博物館、美術館であり、それに貢献するのが上記の専攻の学問の一部になってきたのである。これまでの話から明らかなように、博物館、美術館が金喰い虫である理由はそれらが物欲の産物であるからなのである。その歴史を簡単に振り返っておこう。

 「ムセイオン」は古代ギリシアの研究・教育機関の名前であって、収蔵品の展示場所ではなかった。現在の「博物館」の由来はヨーロッパの王侯や貴族の珍品、逸品の陳列室にある。15世紀にフランス国王シャルル五世の弟ペリー公ジャンが集めたコレクションが最初で、それは「人工物」と「自然物」に二分され、水晶、真珠、珊瑚の宝飾品、羅針盤四分儀、時計などの機械類、絵画、金銀の工芸品といった人工物と、蛇の皮、糞石、貝穀、鉱物、ダチョウの卵、動物の歯、そして「一角獣の角」などの自然物からなっていた。この人工と自然の区別(artifacts and natural kinds)は今でも常識的な区別になっている。
 1415年に始まるポルトガルエンリケ航海王子による大規模な探検は、世界の範囲を飛躍的に拡大させた。貴重な珍品の陳列室がつくられ、その内容と規模は急速に拡大、膨張していく。その典型例の一つがフィレンツェメディチ家のコレクションである。
 16世紀には、チロルの大公フェルディナント二世がインスブルック近郊のアンブラス城の陳列室を「美術=驚異陳列室」と呼び、壁には絵画がかけられ、天井からは剥製のワニやサメがぶら下げられていた。このように、自然界の産物と人間の産物、古代の遺物と異国の品物を一堂に集めることによって、そのまま世界の縮図を陳列室の中に実現しようとした。17世紀後半になると、美術品のコレクションと自然の産物のコレクションとの二分化が進み、王侯貴族は美術品を、学者や医師は自然界の標本を集めるように変わっていく。
 18世紀は博物学の時代であり、それはリンネやビュフォンによって確立される。18世紀のヨーロッパが生み出した新たな世界認識の方法は、ものをその本来の意味から切り離し、目にみえる特徴だけを基準にして分類し、陳列し、整理するという方法だった。それが博物学で、システムとしての世界を明らかにすることによって設計者である神の英知を明らかにするのが目的だった。動植物界の分類を完成させたりンネは、その著『自然の体系』のなかで、生物の世界を階層的に分類した。
 近代市民社会の成立とともに、自然標本のコレクションを国民に公開する目的で設立されたのがロンドンの大英博物館(1753年)であり、美術品のコレクションを国民に開放する目的で設立されたのがパリのルーヴル美術館(1793年)である。
 ルーブルでは開館直後から、国ごと、流派ごとの展示区分が採用された。美術を作家ごとの時系列の展開として語ることは、すでにルネサンス期のジョルジョ・ヴァザーリの著作『建築家・画家・彫刻家列伝』に端を発しているが、その語りを初の公共美術館としてのルーヴルが展示のなかで具体化した。時間軸に沿つて展示室が配置された美術館のなかでは、部屋から部屋へと巡り歩くことが、そのまま「美術」の歴史を辿ることを意味する。ルーヴルを模して、その後欧米の各地に建てられた国家規模の美術館、例えば、プラド美術館メトロポリタン美術館、ナショナル・ギャラリーでも、それぞれの国や時代を代表する作家の作品を集めることで、同様の歴史の物語が再現されていった。

 上記のような美術館、博物館を訪れると、雑踏の中で展示物を垣間見て、長い距離を歩かなければならない。これは子供や年寄りには過酷な苦行でしかない。このような展示は今では前時代的としか言いようがないのだが、これが観光を支えていることになると、新しい美術館、博物館の将来を左右することになりかねない。美術館や博物館が自らの収蔵物をどのように陳列し、発信していくかは、新しい観光事業の鍵になると思われる。昔の芸術家は職人であり、彼らの仕事は芸術と思われてはいなかった。例えば、寺社、教会の装飾や彫刻は元来信仰の対象で、それらを芸術として崇拝するのは、近代に始まった現象に過ぎない。「芸術」は近代に入り、意図的につくられたものである。芸術崇拝は西洋における近代国家の形成の過程で生じてくる。通常、芸術崇拝はロマン主義から起きたと考えられているが、芸術崇拝は啓蒙主義から生じている。ロマン主義啓蒙主義の対立物ではなく、啓蒙主義のなかに胚胎する要素の一つなのである。さらに、啓蒙主義は絶対主義王政を基礎づけるイデオロギーとして機能した。
 啓蒙主義は宗教を排斥する。ゆえに、教会を超える専制的王権を確立するには、啓蒙主義が必要だったのである。ところが、宗教なしには、多数の臣民を統合することができない。国家が宗教の代わりに見いだしたものが芸術宗教(芸術崇拝)であり、その「神殿、寺院」が美術館である。つまり、芸術崇拝は、ヨーロッパの近代国家にとって不可欠なものとして出てきたのである。芸術は近代国家が生み出した産物なのである。
 芸術崇拝および神殿、寺院としての美術館は世界各地に広がった。日本でも明治以来普及した。それは国民国家の形成に大きな役割を果たした。妙高で没した岡倉天心はその役割を推進した一人だった。さらに、「芸術崇拝」が近代資本主義の産物でもあるということを忘れてはならない。例えば、作品の「芸術的価値」は経済的価値とは違う。誰もがそう思っている。しかし、現に、経済的な価値をもつからこそ芸術の価値は高く、それゆえ芸術家の地位も職人より高いという訳である。近年の美術界では、芸術的価値と経済的な価値を区別することもしなくなっている。作品の価値は完全に市場の価格で決められる。作品が最後に納められる神殿であったはずの美術館は、経営難のため、作品を市場に売りに出している。しかし、こうした事態は「芸術宗教」を解体するものではない。芸術が根本的に国家と資本の下にあることを認識しない限り、芸術に反対したところで、それは純粋芸術を求めることと同じように不毛なのである。今の社会では上記の芸術家をタレントと置きかえればもっと直接に理解できるのではないか。

 今の日本では独立行政法人国立美術館が運営・管理する国立美術館が5つある。最初の国立美術館である東京国立近代美術館、伝統工芸を継承する京都国立近代美術館世界文化遺産国立西洋美術館、万国博美物館から造られた国立国際美術館、コレクションのない国立新美術館。博物館の場合、「国立」と名がつくのは東京、奈良、京都、九州の4か所。こちらは、独立行政法人国立文化財機構が運営。
 では、美術館と博物館に明確な違いはあるのか。美術館は絵画などの芸術作品を、博物館は遺物や資料などを展示している。東京国立博物館が1872年、東京国立近代美術館が1952年に開館したが、海外と比べるとその歴史は浅い。文化庁は、国立博物館国立美術館国立科学博物館の違いについて次のように述べている。国立博物館は「文化財の保存、活用」、国立美術館は「芸術文化の創造と発展」、国立科学博物館は「自然科学及び社会教育の振興」。つまり、博物館は文化や歴史的なもの、美術館は芸術的なもの、科学博物館は自然・科学技術的なものを収集・展示しているとなる。このような典型的な美術館、博物館とは縁遠い妙高市の準博物館とも言える妙高高原ビジターセンターの場合を見てみよう。
 「ビジターセンター」という名称はお役所的な曖昧さをしっかり持っていて、多目的を念頭につくられているため、キオスクから博物館までの役割を担わされている。だが、今のビジターセンターは観光案内より自然保護が目立ち、訪れる人に自然への関心を持たせる動機付けになっているのは確かである。妙高戸隠連山国立公園妙高地域の自然や文化を知るための展示はよく見ると、結構充実している。だが、博物館としてみると、全くの詰め込み過ぎで、統一された説明がなされていない。展示面積が狭いため、玉石混合の展示にならざるを得ず、少なくとも現在の三倍ほどの広さが必要である。自然環境や生態と民俗的な歴史資料は分けて展示されるべきだし、子供たちに対する教育的な展示のコーナーも独立に必要である。また、折角貴重な図書が集められているのに、読書できる専用の場所もない。さらに、もっと開放的で明るい展示環境が不可欠である。
妙高高原ビジターセンターのWeb上の説明はよく編集されている。読むだけでセンターがどんな施設かよくわかる(http://www.myoko.tv/mvc/)。そのためか、博物館としては不十分この上ないことが浮き彫りになってしまう。

 美術館や博物館の建設には大きな費用がかかる。それだけでも箱物行政と批判される。国宝・重文となればその購入費用は途方もなく高い。建物、収蔵物、学芸員など維持管理には莫大な費用がかかる。かつて私がいた大学で美術館の開設を考えたことがある。大学であるから妙高市以上に美術館はほしかったのだが、結局夢は叶わなかった。それ程の金喰い虫であり、財政が逼迫する行政機関で博物館や美術館を開設することに賛成する人は少ないだろう。
 上越市にはある本格的な美術館や博物館が妙高市には一つもなく、心寂しい限りであると嘆いてもいいのだが、観光を逆手にとって伊豆や箱根の真似をするのも一つの手である。だが、実際はそれも難しい。今の私の本音を言えば、斐太の古墳群、斐太神社、関山神社、温泉地群、国立公園をまとめた自然と社会の教育博物館がほしい。見せびらかしながら、お金を儲け、教育に資する施設がほしいというのが私の勝手な欲望である。