一重と八重の花たち

 春になると急に花が溢れ出しますが、そんな中で目立つのが一重と八重の違いです。コデマリツツジ、そして、ヤマブキの一重と八重の花を見比べてみて下さい(画像)。いずれが好きか嫌いかは別にして、それぞれの特徴は見比べる価値が十分にあります。花の種類に応じて、一重と八重の印象も随分と異なります。

 一重咲きは「単弁咲き」とも言い、花弁の基本数は芽生えの時の子葉が2枚の双子葉類では4か5かその倍数、子葉が1枚の単子葉類では3かその倍数と定まっていて、その数か、それに近い数の花弁を持つ花が一重咲き。小花が多く集まって一輪に見えるコスモスなどキク科の集合花は、花弁のように見える舌状花が外周1列程度ある場合を一重咲き、多く重なる場合を八重咲きと呼んでいます。八重咲きは「重弁咲き」とも言い、花弁数がその種の基本数より著しく多い場合を指します。

 「一か八か」は、「結果がわからないままに、運を天に任せて勝負すること」という意味の慣用句。「一」と「八」がそれぞれ何を意味し、なぜ一と八なのかについては、幾つもの説がありますが、賭博から生まれた言葉のようです。一つは、賭博の「丁か半か」の「丁」、「半」という字のそれぞれ上部をとったものであるという説です。もう一つは、「一か罰か」、すなわち「賽の目で一が出るかしくじるか」によるという説です。

 英語では、一重咲きを「シングル(single)」、八重咲きを「ダブル(double)」と言います。日本では、数字の「八」は、形が末広がりであることから、古来縁起のいい数字、幸運をもたらす数字とされてきました。また、数が多いことをあらわす際に、「八」を用いる例がたくさんあります。「八重咲き」、「八重桜」だけでなく、「八百万の神」、「嘘八百」、「七転び八起き」、「七重の膝を八重に折る」等々。

 さて、本題に戻り、庭木としてよく植えられているヤマブキには、一重のものと八重咲きのものがあります。ドクダミにさえ八重咲きのものがありますから、珍しいことではないのですが、二つは一体何が違うのでしょうか。八重咲きは、花びらの内側のおしべやめしべが並んでいる場所に、さらに多くの花びらが並んで、花びらだけで花ができ上っているように見えます。普通は、野生の植物にはおしべとめしべがあるのが当然で、八重咲きのような花は突然変異によるものです。八重咲きの内側の花びらは、おしべやめしべに対応し、それらが花弁化したのが八重咲きです。花弁はもともとおしべやめしべを囲む葉に由来するので、おしべやめしべもそれぞれ小胞子葉、大胞子葉ですから、やはり葉が起源です。いずれも葉に由来しますから、それらがすべて花弁化することはさほど不思議ではありません。でも、八重咲きの花ではおしべやめしべが正常につくられないので、種子や果実ができない場合が多く、繁殖は株分けなどで行われます。やはり、自然に摂理が存在し、「正常」や「異常」という概念が科学的に認められるのであれば、八重咲きの花は異常と言うことになります。

 バラの花は、一般には八重咲きが普通のように考えられますが、野生種は五弁の花びらだけを持つものです(例えば、ハマナス)。ウメには八重咲きであっても、おしべもめしべも正常な花があります。これは、花弁が余分に形成されたものと考えられます。ランの場合、いわゆる洋ランには八重咲きはほとんどありません。他方、東洋ランでは、変わりものが重視される傾向があり、いくつもの八重咲きが知られています。

 一重のツバキは、花が潔く一挙に落ちますが、八重のツバキ(例えば、オトメツバキ)はなぜか枯れても落ちず、樹上で醜い姿を晒しています。一重のサクラは大好きでも、八重桜は嫌いという人が結構います。でも、バラの花を想像するよう言われたら、一重のバラをあえて想像する人は僅かでしょう。このような美的な評価が一重や八重の花になされ、生物学的以外の基準が複雑に入り込み、様々な評価・判定がなされてきました。一重と八重は生物と文化、事実と嗜好が入り混じって、人と花の生活世界をつくり上げている重要な要素の一つになっているのです。

*画像はコデマリツツジ、ヤマブキの一重と八重の花

一重のコデマリ

八重のコデマリ

一重のツツジ

八重のツツジ

一重のヤマブキ

八重のヤマブキ