桜花のもつ意義

(1)桜と日本人についての通説

 日本人にとって、桜は春の到来を象徴する花です。寒さ厳しい冬が終わり、春は心躍る季節です。満開の桜によって春の訪れを実感できること、これが日本人の桜を好む理由です。さらに、桜は儚く美しい花で、瞬く間に花は散ってしまいます。春に咲き、刹那的に散る桜は、日本人にとって生と死の象徴となりました。

 弥生時代から桜が開花するのは稲作の始まりの時期であり、その咲き具合で作柄の吉凶を占ってきました。桜の語源はこの木は春に里にやってくる稲(サ)の神が憑依する座(クラ)であり、これは天つ神のニニギと木花咲耶姫コノハナサクヤヒメ)の婚姻の神話にあり、稲作と深い関係を持っていました。

 平安時代になり、貴族にとって桜を愛でて歌を詠むことが風流となります。『古今和歌集』で桜を詠った歌は86句もあります。「ねがわくは 花の下にて 春死なむ そのきさらぎの 望月(もちづき)のころ」は平安末期から鎌倉初期に生きた西行の有名な歌で、「私が願うのは桜の下で春に死にたい。釈迦が入滅した、旧暦2月15日の満月の頃に」という意味です。西行は桜を愛し、桜を数多く詠んでいます。桜の下で死にたい、という彼の望みを果たすために、人々は西行の墓の周囲に桜を植え、桜木の山にしたのです。

 本居宣長は儚く散っていく桜の花を「諸行無常」、「もののあはれ」などと表現される日本人の精神を桜によって捉えようとしました。武士の世になり、咲いてもすぐに散る桜は現世に執着せず、義のために命を捧げる生き方の象徴と看做されることになります。「花は桜木、人は武士」はこの理想を謳っています。本居宣長の「しきしまのやまとごころを人とはば朝日ににほう山ざくらばな」は、武士道は日本の象徴である桜花に勝るとも劣らないと解釈されていきます。この歌の「やまとごころ」は大和魂であり、それが武士の精神であり、その大和魂は桜に象徴されると考えられることになります。

 桜は文明開化の象徴として人気を集め、富国強兵の政策のなかで軍国主義と結びつき、その華やかさとともに散り花の美しさが潔い死を意味するものと捉えられました。

(2)花と生命を捉え直す

 植物に応じて、「桜散る」、「梅はこぼれる」、「椿落つ」、「牡丹くずれる」と言い分けられると、何とも繊細な文学的表現で、それぞれの花の散り方の特徴を見事に描き、それを人の世界に反映させているとつい感心してしまいます。そして、サクラが咲くこの時期、流石に「同期の桜」の歌詞を思い出す人は少なくなりましたが、「さくら」の「さくら さくら 今,咲き誇る 刹那に散りゆく運命を知って」を口ずさむ人は少なくないでしょう。

 「では、人はどう表現されるか?」と問いたくなるのが人の常。多くの人は「人は死ぬ」、「人は往く」などと答えるのではないでしょうか。こうなると法話ではないかと勘ぐりたくなるのですが、私にはとんでもない的外れの答えに思えてならないのです。確かに、それぞれの花姿、散り姿に応じて動詞を変えて、散り様を文学的に表現し分けていることから、では、人の場合はどのように表現されるのかと思案し、比較することになるのでしょうが…

 桜や椿の花が散ったり、落ちたりしても、桜の木や椿の木が枯れる訳ではありません。花が散る、落ちることとその植物が死ぬことは別のことです。花が終わって、実がなり、種ができ、新しい個体が誕生する過程を考えるなら、「人が往く、人が往生する」ことは花の場合とは根本的に違うことがはっきりわかるでしょう。ですから、「桜散る」や「椿落つ」は人の死とはまるで関係がないのです。それ故、それは明らかに誤った比喩なのです。とはいえ、比喩は怪しい比較や対比に基づくものが多いですから、格別驚くべきことではないのかもしれません。

 こうして、日本人は長い間桜や椿の花と人の死を結びつけ、生死の情況を巧みに描いてきたのですが、それは甚だしい誤りを含んでいることがわかります。小学生でもわかる生物に関する基本的な知識をベースに「桜散る」、「椿落つ」を理解し、解釈するとどうなるでしょうか。外連味なく散り、地に落ちる桜や椿の花は迅速に繁殖過程を終了し、次の段階に進むことを意味していて、適確な生存と繁殖の過程が伏在することを物語っています。桜や椿の花は命の儚さではなく、命の誕生を暗示し、象徴しています。

 日本人の生命観が桜や椿の花の振舞いに象徴されてきたことは否定できませんが、サクラやツバキの生態に根差した生命観が人々の間に広まってもいい筈です。

*上の(2)は既に今朝投稿したものです。