ふるさとを穿る(4):『歎異抄』と異安心

 「異端」となれば、ガリレオの異端審問を思い出す人が多い筈です。浄土真宗では異端を「異安心(いあんじん)」と呼んできました。その異安心の歴史を遡れば、親鸞の教えに反する考えを嘆き、憂い、正す『歎異抄』に到達します。鎌倉時代後期に書かれた『歎異抄』の作者は唯円とされています。書名は教団内に生じた異安心を嘆いたものです。

 1256(建長8)年、親鸞は実子の善鸞を破門します。これから遡ること約20年の1236(嘉禎2)年頃、親鸞が東国から京に帰った後、東国では様々な異義が生じ、異端を説く者が現れ、東国門徒の間に動揺が広がります。そこで、親鸞は息子の善鸞を事態収拾のために派遣。善鸞は異端者をうまく説得できず、自ら親鸞から真に往生する道を伝授されたと称し、自らの教えを説きました。善鸞が異端を説いていると知った親鸞は、秘事を伝授したことはないと東国門徒に伝え、善鸞に義絶状を送り、親子の縁を切り、破門しました。その後、関東から上洛して親鸞に事を質したのが、唯円を含めた一行でした。親鸞の死後も、法然から親鸞へと伝えられた真宗の教え(専修念仏)とは違った教義を説く者が後を絶ちませんでした。唯円が『歎異抄』を著した時期は、親鸞没後30年の後(鎌倉時代後期、西暦1300年前後)と考えられています。この短い著作は以下のような構成になっています。

真名序

第一条から第十条まで-親鸞の言葉

別序-第十一条以降の序文

第十一条から第十八条まで-唯円の異義批判

後序

流罪にまつわる記録

  真名序はこの文を書いた目的が記され、それは「先師の口伝の真信に異なることを歎く」ことです。関東の教団は善鸞の事件もあり、異義が起きやすい土地で、親鸞が亡くなることによって、それが一層加速しました。

第一条-第十条

 第一条から第十条は、親鸞が直接唯円に語ったとされる言葉が述べられます。第一条では弥陀の本願はただ信心が要であることが説かれ、唯円はこの言葉を、関東から上洛して善鸞事件について親鸞に質す僧侶の一人として聞いています。親鸞は彼らに対し、弥陀の本願念仏以外に往生極楽の道はないが、念仏を取捨選択するのは各々の自由であると答えています。第三条は、「悪人正機説」を説いたもので、現在でもよく引用されます。第四条は、聖道仏教と浄土仏教の慈悲の違いが説かれています。

悪人正機説親鸞の根本思想。『歎異抄』に「善人なおもて往生をとぐ、いはんや悪人をや(善人でさえ浄土に往生できるのだから、まして悪人はいうまでもない)」とあり、これが悪人正機の考えです。善人は自己の能力で悟りを開こうとするが、煩悩にとらわれた凡夫(=悪人)は仏の救済に頼るしかないとの気持が強いため、阿弥陀仏に救われるとしました。これは絶対他力の考えにつながっています。本当に悪をなしてきた人たちですら、阿弥陀仏はあわれに思われ、手を差し伸べ、救いとろうと本願をおこされたのです。もし、自力で修行して悟ることができれば、阿弥陀仏は救いの手を差し伸べる必要はありません。ですから、阿弥陀仏の本願をたのみとする他は何の力ももっていない「悪人」こそが、浄土に往生するにふさわしいのです。

別序

 親鸞の弟子から教えを聞き念仏する人々の中に、親鸞の仰せならざる異義が多くあると述べます。

第十一条-第十八条

 第十一条以降は、異義を個別に取り上げ、その理由を逐一述べていきます。経典を読まず、学問もしない者は往生できないという人々は、阿弥陀仏の本願を無視する人だと断じます。また、どんな悪人でも助けるのが弥陀の本願であっても、わざと好んで悪を作ることは邪執であるとした上で、悪は往生の障りではないことが説かれます。

後序

 親鸞法然から直接教えを受けていた頃、「善信が信心も、聖人の御信心もひとつなり」(自らの信心と法然の信心は一つである)と言い、それに対し他の門弟が異義を唱えました。それに対し法然は、「源空が信心も、如来よりたまわりたる信心なり。善信房の信心も如来よりたまわりたる信心なり。されば、ただひとつなり。」(阿弥陀仏からたまわる信心であるから、親鸞の信心と私の信心は同一である)と答えました。唯円は、上記のように法然在世中であっても異義が生まれ、誤った信心が後に伝わることを嘆き、本書を記したと述べています。

  さて、異安心は正統なものへの異議申し立てですが、何が正統で、何が異端かは実は判明でない場合がほとんどです。「あれか、これか」の二分法で正統と異端が区別できるかのように思いがちですが、実はそのような区別は夢に過ぎない場合がほとんどなのです。ガリレオの異端審問より30年ほど後に起きた異安心事件を次に考えてみましょう。親鸞が説いた「安心(あんじん)と異安心」の区別は厄介そのものなのです。禅の公案と比べてみても、公案が練習問題であるのに対し、異安心かどうかの問題はより現実的で、しばしば政治的な問題でもあるのです。