雪舟の抽象画

 雪舟の最後の二枚の画「破墨山水図(はぼくさんすいず)」と「慧可断臂図(えかだんぴず)」は抽象画なのですが、まるで異なるスタイルの抽象画です。

 「破墨山水図」は墨で描くというより、墨の濃淡の妙を表現することに力点があり、当然朦朧としています。長谷川等伯の「松林図」もよく似ていて、藁筆によるボディペインティングのようです。でも、「破墨山水図」と違って、「松林図」は近づくと何が描かれているかわからないのですが、遠のくと濃霧の中に遠近の松の木々印象主義風にが浮かび上がってきます。これは、没骨描(輪郭線を用いない)で撥墨(墨を撥ね散らかすように用いる)と渇筆(生乾きの筆を擦り付けるように用いる)の技法を使いこなすことによって「松林図」が描かれ、墨と筆の痕跡によってものの形が維持されているからです。でも、「破墨山水画」は徹底した抽象主義の絵で、形は墨の濃淡の中で揺れ動くだけです。革新的な「破墨山水画」は雪舟76歳の作品です。

 「慧可断臂図」はピカソも驚くキュビスムの絵で、身体が側面なのに二人の眼は正面を見ているようです。岩肌と達磨の姿はまるで異なる描き方で、岩の穴は眼のようでもあります。遠近法は無視され、描き方が画面の各部分で異なり、雪舟の技術がふんだんに盛り込まれているのはわかるのですが、絵としての統一感はありません。達磨と慧可の関係、エピソードがわからないと、この絵は判じ物になってしまいます。老いた雪舟は自分が絵師である前に禅僧であることを確認したかったのでしょうか。雪舟の老いの境地を汲み取るのは容易ではありません。

*達磨と慧可の物語

 中国に来た達磨は武帝を無視し、少林寺で面壁九年の坐禅に没頭します。その姿を見た慧可はこの人しか師はいないと思います。そして、坐禅をしている達磨に教えを請うのですが、達磨は「それではお前の不安な心を私に差し出して見ろ」と言われます。心はどこにもないから差し出せません。そこで慧可は自分が葛藤していたものに気付きます。自分は目に見えない偽りに「騙されていた」と悟るのですが、それでも達磨は振り向いてくれません。そこで自分が真剣であることを示すために、自分の肘を断ち切ります。達磨もその「求道心」に感服し、慧可を正式な弟子としました。では、77歳の雪舟はこのような二人の物語をどのような理由、意図からキュビスムの手法で描いたのでしょうか。

**画像は最初が「破墨山水図」、最後が「慧可断臂図」