花と虫の小さな宇宙

 ものとその名前という対の間には偶然の結びつきしかないと私たちは思っている。ものは自然の対象で、その名前は私たちの言葉であり、「ものに名前がある」のは私たちが言葉を使う結果である。だから、対の間の絆は私たちの一方的な都合によって生まれたものに過ぎない。

 名前を知らない、名前は知っていても、そのものが思い出せないと、私たちは不安になる。それは何かが欠けている、足りないからではない。本来は名前などないのが当たり前なのに、名前がないと不安を憶えるのだ。認知症はそれを見事に示している。名前を忘れることは老化の兆候そのものだが、忘れたからといって自然が傷つくことは何もない。名前を使ってきた私たちだけが困るのである。言葉を使って自然と絆を作ってきたことが綻ぶからである。

 花や虫の名前など気にしないで、ものとして感じるとはどのようなことかと考えると、つぶさに見つめ、感じることなどできないのではないかという疑問が拭えないのである。私たちは画像から何を感じ取っているのだろうか。