生命概念の範囲

 アリストテレスDe AnimaOn the Soul)は『霊魂論』や『心とは何か』と訳されていますが、それらタイトルは随分と違う印象を与え、誤解を引き起こすことも容易に想像できます。さらに、別の翻訳では『魂について』というタイトルがついています。それぞれギリシャ語のプシュケーを「霊魂」、「心」、「魂」と訳しているのですが、私たちが心身と呼ぶ際の「心」に対応しています。

 アリストテレスのこの著作の内容は「生命(anima)」についての考察です。アリストテレスの多彩な研究の中では、生命科学に関する論述になっています。アリストテレスは、生物と無生物の区別は「生きていること」の有無であるとし、理性、感覚、場所的な運動と静止、さらに栄養に関わる運動、つまり衰退と成長のどれかが備わっていれば、それは生きていることであり、つまり、生物の振舞いだと考えています。ですから、プシュケーを「心や霊魂」と訳してしまうと、生命の高次機能にだけ限定してしまうことになってしまいます。プシュケーは植物の栄養摂取能力のような生命の基本能力の原理でもあり、それを「心」と言ってしまうとあまりに狭い範囲を指すことになってしまいます。ですから、心や霊魂ではなく、「生命の原理」とでもおきかえて読む方が適切でしょう。一方、理性、感覚といった生命の高次の性質は、生命原理の延長上にあると言えるのですが、「生命の原理」で置き換えてしまうと逆にわかりにくくなります。要するにアリストテレスのプシュケーの範囲はあまりに広く、包括的なため、現在の私たちには一つの単語で訳すのが難しいのです。

 アリストテレスの考えは後世に細分化されて、生物と人間を、生命と精神を別々に把握するようになり、それに慣れ切った私たちにはアリストテレスの包括的な取り扱いが逆にわかりにくくなってしまったのです。そして、それが適切な訳語が見つからないことに繋がっているのだと思われます。

 今の生命科学アリストテレスが「プシュケー」と表現した生命の性質を包括的に研究しています。とはいえ、この問題を一つの分野として研究することは難しく、「無生物と生物の違い」を探る研究分野から、「脳の認識、記憶、統合」の脳科学分野まで、多くの分野に分けて研究されています。さらに、情報や進化といった全分野を関連づける法則や原理があることも予想されていて、生命と包括的に向き合う態度はアリストテレスと呼応しているのです。いずれ現在の個別的な知見が総合され、アリストテレスが考えたプシュケーがアリストテレスとは違った手法、知識によって解明される筈です。