バラの棘と花言葉

 バラの茎には棘(とげ)があります。棘はバラの芽がのび出したときには既についています。ですから、バラは幼木のときから既に棘をもっていることになります。まだ茎が柔らかいうちに棘をとると、とった後の傷が治らなくなり、傷跡がそのまま残るだけではなく、茎も折れやすくなります。
 バラの棘は、若い時は茎と同じ色をしています。緑色をした棘は、茎の太さを倍近くに膨らませ、茎の働きを助ける役目をしています。つまり、若いバラには棘は必要なものなのです。でも、それ以上詳しいことは実はよくわかっていません。
 バラの棘は敵から身を守る程の力はありません。人間がさわれば、確かに棘は痛いのですが、バラの一番の敵である昆虫などは棘などまったく気にせず、平気でバラを食い荒らしています。
 それでも棘の存在理由を考えるとすれば、次のような説が考えられます。いずれも成程と思っても、十分な説得力にはいまいちです。

(1)外的防御説
 香りのよい綺麗なバラは獣や昆虫たちに狙われる。そのための防御が棘。葉っぱの付け根に棘があるのは特に大切な芽を守るため。
(2)ピッケル
 バラは太陽の光が大好き。そのため高いところにのぼるのが本能。周りの植物にピッケルの形をしたトゲでひっかけてのぼっていく。
(3)ラジエーター説
 暑さをしのぐためにある。棘が表面にいっぱいある枝は、そよそよと風が吹くたびに枝の温度が下がり、暑さをしのげる。

 花言葉の起源には諸説ありますが、発祥は17世紀頃のトルコだと言われています。トルコでは、花に思いを託して恋人に贈る風習があり、これがヨーロッパ中に広がり、各国でその花のイメージからそれぞれの国に独特な花言葉ができました。イギリスのイスタンブール大使夫人だった、メアリー・W・モンタギューがトルコの風習を花言葉の文化として、イギリスで本を出版し、その本が後にヨーロッパおよびアジア・アフリカまで伝えられた。
 この花言葉の文化をヨーロッパで流行させたのが、フランス人の女性です。上流階級の間で好意を寄せる人への思いや悪口・批判などを、花や植物に例えて詩にする文化が流行し、このようなエッセイを書き綴ったノートを回覧していました。1819年12月にシャルロット・ド・ラトゥールが書いたLe Langage des Fleurs(『花言葉』)が出版されるとフランスで大ブームとなり、それがヨーロッパ中に広がり、日本にも伝えられました。ラトゥールは独自の花言葉を270超のリストにまとめていますが、その命名手法の特徴は、大きく2つに分けられます。第一は、その植物の容姿・生態といった植物の性質・特徴を言葉で表現しようとする観察重視の姿勢です。第二は、西欧社会で草花が積み重ねてきた文化史的伝統を、一つの単語に凝縮して表現しようとする文化史重視の姿勢です。結局、植物学的知見と文化的な常識のミックスです。
 ラトゥールは花の中でもバラに重要な位置を与えています。これも文化史的伝統を重視した結果でしょう。バラは「花の中の花」と称されるほど重視されてきた花の一つで、伝承や神話がとりわけ豊富だからですが、正に文化的なバイアスです。ヨーロッパの伝統では赤いバラは勝ち誇る美と愛欲を象徴する一方で、日本の桜のように現世のうつろいやすさも象徴しています(バラの棘、「野ばら」の詩歌など)。バラの図像表現はすこぶる多く、ラトゥールはほぼ一章をバラの記述にさいています。
 花言葉はそれぞれの国の歴史、風習、神話や伝説から生まれ、当然宗教的な事も関わってくるため、同じ花でも花言葉が全然違う場合があります。日本に花言葉が「輸入」されたのは19世紀末の明治初期。当初は、輸入された花言葉をそのまま使っていましたが、やがて日本人の風習や歴史に合わせて日本独自の花言葉がつくられていきました。
 このように見てくると、バラの花は代表的な園芸品種としてこれからも進化していくのでしょうが、花言葉の変遷はその進化とはまるで別物の筈なのですが、人はその二つを敢えてかき混ぜるのが好きなようです。人は「介入」が好きなのですが、科学的な介入だけでなく、文化的、歴史的な習慣に基づく介入が時には目に余るのです。
 当然ながら花言葉は科学的な概念ではありません。花言葉は今では占いと同様、擬似科学でさえなく、怪しげな情報の宝庫でさえあります。それでも多くの人は科学的なバラの知識より花言葉の主張に関心をもつのです。

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