金魚とかなりや

 童話童謡雑誌『赤い鳥』は、1918(大正7)年、夏目漱石門下の逸材、鈴木三重吉が創刊。有島武郎芥川龍之介菊池寛小川未明らが童話を、北原白秋西条八十らが童謡を発表し、日本の児童文学に大きな足跡を残した。童話では、芥川龍之介蜘蛛の糸」、「杜子春」、有島武郎一房の葡萄」、小河未明「月夜の眼鏡」、新美南吉「ごんぎつね」など。童謡でも、西条八十「かなりや」、北原白秋「赤い鳥小鳥」等多数。

 日本で最初の童謡曲西條八十の「かなりや」(大正7年)で、白秋の「赤い鳥小鳥」は「かなりや」より早かったが付曲は1年半後。作曲者は共に成田為三。白秋と八十はライバルでもあったが、それぞれの童謡の違いが垣間見える作品がある。白秋の「金魚」、八十の「かなりや」を比べてみよう。子供の小動物への気持ちは白秋風、八十風のいずれだろうか。

金魚(北原白秋

母ちゃん、母ちゃん、

どこへ行た。

 赤い金魚と遊びませう。

 

母ちゃん、帰らぬ、

さびしいな。

 金魚を一匹締め殺す。

 

まだまだ、帰らぬ、

くやしいな。

 金魚を二匹締め殺す。

 

なぜなぜ、帰らぬ、

ひもじいな。

 金魚を三匹締め殺す。

 

涙がこぼれる、

日は暮れる。

 紅い金魚も死ぬ、死ぬ。

 

母ちゃん、怖いよ、

どこへ行た。

 ピカピカ、金魚の目が光る。

 

金糸雀(かなりや)(西条八十

唄を忘れた金絲雀(かなりや)は
うしろの山に棄てましょか。
いえ、いえ、それはなりませぬ。

唄を忘れた金絲雀は
背戸の小藪に埋めましょか。
いえ、いえ、それもなりませぬ。

唄を忘れた金絲雀は
柳の鞭でぶちましょか。
いえ、いえ、それはかはいそう。

唄を忘れた金絲雀は
象牙の船に、銀の櫂
月夜の海に浮べれば
忘れた歌を想ひだす。

*かつて炭鉱では危険なガスの検知のために、鳥かごのカナリアの鳴き声を利用していた。

赤い実

 「赤い鳥小鳥」は北原白秋作詞、成田為三作曲の童謡で、その歌詞は次の通りです。

赤い鳥 小鳥 なぜなぜ赤い 赤い実を食べた
白い鳥 小鳥 なぜなぜ白い 白い実を食べた
青い鳥 小鳥 なぜなぜ青い 青い実を食べた

白秋の詩の策略は横に置き、鳥と赤い実の関係は気になるところです。

 ミツバチは黄色や白は認識できますが、赤が認識できません。でも、アゲハチョウは赤が認識できます。そして、鳥も赤い色が認識できます。これだけでも、野生の花の色は白、黄色、紫、赤の順であるのに対し、実の色は赤と黒が圧倒的に多いことが何を示唆しているか見当がつきます。花の色を変えるハコネウツギに既に言及しましたが、受粉前の花は白色で、それによって昆虫を引き寄せ、受粉後は花の色が赤に変わり、昆虫に感知されなくなります。色の変化は受粉の効率化も意図していたと考えることができます。

 実際、熱帯アジアの鳥類が実を選ぶ時に赤い実と黒い実を好む傾向があるという研究結果も出ています。これは、「多くの果実が熟すと赤くなるのはなぜか」という問いに解答を与えてくれます。赤色は昆虫には見えにくい色で、種子を食べる昆虫は紫外線が見えますが、赤は見えない場合が多いのです。でも、赤い実は種子を運ぶ鳥にはよく見えます。人は、赤、青、緑を感知するために3種類の光受容錐体細胞を眼のなかに持っていますが、鳥は4種類の錐体細胞をもっていて、その4つ目の錐体細胞がスペクトルの紫外線領域を感知でき、私たちより性能の良い眼をもっています。
 実は種の保存のために動物を惹きつけますが、赤、橙,黄色が多く、果肉の中には甘くなるものもあります。苦い果肉も多いのですが、私たちと違って鳥たちは実を飲み込むだけなので、味は気にしないようです。でも、熟するまでは緑色で目立たないように進化したようです。そのため、花びらは虫のために紫外域を反射したり、白、黄色、紫が多いのですが、実は虫に見えにくく、鳥やサルには見えやすい赤色が多いのです。

 同じ植物でも、花、葉、実とそれぞれの色の変化の事情は微妙に異なっていますが、白い花と赤い実の組み合わせが種の保存には有効だったようです。

f:id:huukyou:20201118050311j:plain

ピラカンサの実

f:id:huukyou:20201118050343j:plain

アオキの実

f:id:huukyou:20201118050415j:plain

コブシの実

f:id:huukyou:20201118050443j:plain

ヒガンバナ

f:id:huukyou:20201118050505j:plain

ユリ

 

キリンソウとメキシコマンネングサ

 以前はどちらもキリンソウ属(Sedum)でしたが、今はキリンソウ属(Phedium)とマンネングサ属(Sedum)に分けられています。でも、キリンソウの花はメキシコマンネングサにそっくりで、素人の私には花だけではまるで区別がつきません(花の画像)。メキシコマンネングサは小さな黄色の花がぎっしりと咲き、花弁は5枚で平開、雄しべは10本。一方のキリンソウも黄色い小さな花をつけ、花弁は5枚で先が尖り、雄しべは10本です。花だけ見るとそっくりなのです。勿論、全体をみれば二つは明らかに違っています。

 キリンソウは、日本、朝鮮半島、中国に分布しているベンケイソウ科キリンソウ属の多肉植物。黄色い花が輪のように咲くところから「黄輪草」と名づけられたと思われます。メキシコマンネングサも多肉植物で、葉や茎、根に水を蓄える性質をもつ植物。サボテンも多肉植物の1種。5月から6月頃にかけて、花が咲く。こちらは帰化植物で、観賞用に栽培していたものが帰化したと考えられています。

f:id:huukyou:20201117115556j:plain

キリンソウ

f:id:huukyou:20201117115624j:plain

キリンソウ

f:id:huukyou:20201117115655j:plain

メキシコマンネングサ

 

秋の葉の色の変化

 紅葉は植物の葉にアントシアニンが蓄積し、クロロフィル葉緑素)が減少することによって引きこされます。紅葉や黄葉の色は、アントシアニンクロロフィル、カロテノイドの三種の色素によって決まります。昨日花の色について述べたように、アントシアニンは多くの植物に含まれる色素で、植物の花や実などの赤や青、紫など幅広い色を生み出します。一方、クロロフィルは光エネルギーを吸収してエネルギーをつくる植物には重要な化学物質で、緑色をつくる色素成分でもあります。カロテノイドは黄色の色素で、紅葉する前の多くの葉に含まれていますが、春や夏はクロロフィルのほうが多く含まれているために葉は緑色や黄緑色に見えています。

 気温が下がり出すと、葉に含まれるクロロフィルが分解され始め、同時に葉と茎や枝をつなぐ葉柄の付け根にコルク質の離層がつくられてきます。離層によって、葉と植物全体の間での水や栄養分などの移動が妨げられ、分解されずに残っているクロロフィルが行う光合成によって生成されたグルコースが葉に蓄積されるようになります。この余剰なグルコースからアントシアニンが合成され、その時、カロテノイドの分解はクロロフィルの分解よりも遅れて行われるため、クロロフィルが分解されるにつれて次第に黄色が目立つようになります。分解過程にある緑色のクロロフィル、葉に残る黄色のカロテノイド、合成される赤色のアントシアニンの三種の色素の量などによって、紅葉の色が決定されます。イチョウやポプラなどの黄葉の場合は、アントシアニンが合成されにくいために赤色にはなりません。花では青色や紫色を発色するアントシアニンですが、紅葉が起こる葉の細胞は酸性状態になっているため、アントシアニンは紅葉を引き起こします。

 このような説明から、花と葉の違いはあっても紅葉、黄葉、褐葉に関わる色素は同じで、似たような化学過程が起こっていることがわかります。花も葉も似たような化学に左右されていると結論して間違いはなく、それが「花見」や「紅葉狩り」につながったことも頷けます。でも、生死が異なるように、花色と紅葉は随分と異なるものというのも私たちの常識です。その違いについては改めて考えてみようと思います。

f:id:huukyou:20201117054410j:plain

ナンキンハゼ

f:id:huukyou:20201117054440j:plain

イチョウ

f:id:huukyou:20201117054501j:plain

アメリカフウ

f:id:huukyou:20201117054525j:plain

モッコク

 

花の色の説明

 同じ木の枝に二色の花が咲き、紅白が競うように咲くと、「源平咲き」と呼ばれ、それはウメだけでなく、ツバキ、ツツジ、ボケの仲間にもあります。本来は赤い花の木なのに、赤い花に必要な酵素が働かなくなることによって白い花になってしまうのです。「源平咲き」より複雑に見えるのが昨日のチェリーセージ・ホットリップスの花の色の変化。条件によって、花の赤い色の部分の割合が変化し、白一色、赤一色になることもあります。正直なところその原因は判然としません。

 また、「どうして花の色は時間の経過とともに変わるのか」という疑問もあります。ニオイバンマツリ(匂蕃茉莉)は、ナス科の常緑樹で、南アメリカ原産。花は咲き始めが濃い紫色で、次に薄い紫色、最後は白色になります。和名の匂蕃茉莉は、匂(香り)があり、蕃(外国)からの、茉莉(ジャスミン類)の意味。ニオイバンマツリの最大の特徴は、花の色が初めは濃い紫ですが、やがて白に変わっていくところ。紫と白の色合いはとても上品で、香りも数十メートル先まで漂います。ハコネウツギ(箱根空木)はスイカズラ科の植物で、花は白が次第に赤へと変化していきます。つぼみのときは白ですが、次第に赤色に変わっていくのです。

 ニオイバンマツリもハコネウツギも二色の花が咲いているように見えながら、実はそうではなく、花の色がある色から別の色へと変わっていたのです。また、スイカズラの花は白から黄色に、スイフヨウは朝白く、次第にピンク色に変わります。これらはどれもチェリーセージとは違う花色の変化です。

 多彩な色をもつ花の器官は花弁と萼(がく)。例えば、バラでは花弁の色、アジサイでは萼の色、ユリでは花弁と萼からなる花被(かひ)の色が 「花の色」。この花の色を決定する一番の要因は、細胞の中に存在する色素。色素は表皮細胞中の色素体にあったり、液胞に溶けていたりします。色素はそれぞれ特定の波長の光を吸収する性質をもつため、色素に吸収されずに反射した可視光を、私たちは花の色と感じているのです。例えば、純白の花には色素が含まれておらず、視光の波長を吸収する成分がないため、可視光が乱反射され、私たちには白色に見えます。花の色素には4種類あり、それぞれフラボノイド、ベタレイン、カロテノイド、クロロフィルと呼ばれています。

 花の中で最も多い色は黄色、次いで白色。黄色は主にカロテノイドによって作られます。カロテノイドによる黄色を持つ代表的な花はキクやバラ。フラボノイドの中には黄色い種類もあり、カーネーションキンギョソウの明るい黄色はフラボノイドによって作られます。花の赤色、紫色、青色は、フラボノイドの中のアントシアニンという色素によって作られます。同じアントシアニンを持っていても、金属や補助色素と呼ばれる無職の化合物の違いによって異なる色の花が咲きます。例えば、アジサイでは、青色の花を咲かせるためにはアルミニウムが必要です。一般には青色の花が咲くためにはとても複雑な仕組みが必要であり、昔から多くの研究が行われています。

 さて、色が生まれ、変化する化学がわかったとしても、どうしてそのような変化が起こったのか、いつ頃どのように起こったのか、という問いには別の説明が必要になります。その説明が進化論的説明であり、適応のシナリオ、モデルの作成です。人が怒る脳内メカニズムや身体変化がわかっても、なぜ怒るのかの理由はそれとは別物です。それと同じように、花の色の化学は随分と充実しましたが、ニオイバンマツリやチェリーセージの花の変化がどのような理由で生じたのかという問いには十分な情報を与えてくれないのです。

f:id:huukyou:20201115042106j:plain

チェリーセージ・ホットリップス

f:id:huukyou:20201116063012j:plain

ニオイバンマツリ

f:id:huukyou:20201116063043j:plain

ハコネウツギ

f:id:huukyou:20201116063109j:plain

ガクアジサイ

f:id:huukyou:20201116063139j:plain

ソライロアサガオ

 

不識の識、あるいは無知の知

  インドから中国に来た達磨を熱心に迎え入れたのが梁の武帝。仏法に深く帰依する武帝は宮中に達磨を招き、教えを乞うのだ。
  「私は寺をつくったが、その功徳は何か」

自分の善行への見返りは何かと尋ねたのである。それに対して達磨は短く答える。

「無功徳」

功徳欲しさに行う善行は何の役にも立たず、利己的なものに過ぎないというもので、望みの答えを得られなかった武帝は、

「如何なるか聖諦(しょうたい)の第一義(仏教最高の真理は何か)」

と尋ね、達磨は、

廓然無聖(かくねんむしょう)(カラリとして聖なるものなし)」

と応じる。「廓然」はからりとして、何にもとらわれもない無心の境地のこと。その無心のところには聖なるものなしと達磨は言い放ったのだ。仏法に「聖なるもの」が無いと言われた武帝は、茫然自失。自らのことを全否定されたようで、不遜に見える達磨に対して、

「では、私の前にいるお前は何者か」                                       

と尋ねる。達磨の即答は、

「不識(ふしき)」。

 この不識は「しらない」という意味の言葉だが、なぜ達磨は「不識」と言ったのか、これが有名な不識問答と呼ばれるもの(『碧巌録』第一則)。
 さて、「不識」で思い浮かぶのはソクラテスの「無知の知」。

(1)知っていることを知る
(2)知っていないことを知る

 「何」を知っているか、とソクラテスに問われれば、その答えは、人の名前、計算の仕方、離婚の理由といった諸々のもの。様々に知っている状態が異なっていて、一筋縄でいかないのが私たちの知識の実態。だから、「知っていること」を知る仕方も多様で、差異があり、「知の差異性」と呼ぶこともできる。

 「何」を知っていないか、と問われれば、知っていないのだから、何を知らないかは答えようがないと(「知る」を行為と解して)答えるのではないか。そうでなければ、知っていないことを比喩的に表現して、間接的に答えるしかないだろう。これらの答えはソクラテスの「無知の知」とは異なる。ソクラテスの場合は次の(3)のようになっている。

(3)知っていないということを知る(ソクラテス的な「無知の知」)

(2)は「I know what I don't know.」、あるいは「I know what I didn't know.」のことだと考える人がほとんどだろうが、ソクラテスの場合は「I know that I don't know anything.」、あるいは「I know that I know nothing. 」、「I know one thing: that I know nothing.」ではないのか。ソクラテスの場合、何を知らないかの「何」は問題にならない。そのため、無知の確認には差異はない。つまり、「無知の同一性」が成り立つ。
 「知る」が行為であるのと違って、「知らない」は行為ではなく(心的な)状態である。これは、「歩く」は典型的な行為だが、「歩かない」は文字通り動作の否定であり、行為ではないのと同じことである。

(4)知っていることを知らない
(5)知っていないことを知らない

 いずれも矛盾した、無意味な文だと直感するかも知れないが、矛盾でも無意味でもない。実際、(1)と(2)の「知る」は認識するという行為を表現しているが、(4)と(5)の「知らない」は行為ではなく、心的状態を表現している。ついでながら、「知っている」、「知っていない」はいずれも心的状態に言及している。「知らない」は行為ではなく、一つの心的状態であり、(4)も(5)も高次の意識状態の表現として可能である。

(6)知ることを知らない
(7)知らないことを知らない

 これらの文もやはり矛盾でも無意味でもない。ソクラテス無知の知は心的な状態を知ること、わかることである。それと同じ仕方で知の知を理解すれば、知っている状態を知ることであるが、それは少々退屈なことで、面白みがない。知っている状態を知ることと、知る行為を知ることは違っている。後者は知ることを自覚的に行うことに過ぎず、高次の意識ではない。
 肝心な点は、何を知っているかの「何」に応じて、「知っていることを知る」が変わることである。再度確認してみないと知ると言えないものがたくさんある。「知っている」と言っても尋ねられるたびに実行しないとわからないものも多い。「知っている状態」は様々で一言でまとめることができないのである。ところが、知っていないことは再度知るなどということはできないし、知っていないということを知ることは知っていないことの内容の再確認は不必要。それゆえ、いずれにしろソクラテス無知の知は「知の知」とは根本的に異なるのであり、真に厄介なのは「知の知」なのである。「知の知」の解明こそが賢者の石を手に入れる鍵を握っているのである。
 そして、ソクラテスが知っていない心的状態を知るというのとは違って、「知っていない状態」を高次の意識として知るのではなく、「知っていない内容」を知るのが知ることのまともで当たり前の役目だということを肝に銘じるべきなのである。これでスッキリしたかと言えば、一層混乱しただけかもしれない。

 となれば、「経典の言明から離れて、もっぱら座禅することによって釈迦のの悟りを直接体験する」ことが重要で、それが禅の基本であると言われてきたことも納得できそうに思えてくる。禅はインドで古くからある精神修行の方法で、それが仏教に取り入れられた。「不立文字」は、禅宗の開祖である達磨の言葉として伝わっており、「言明は解釈によってどのようにも変わり、そこに真の仏法はないと主張され、したがって、真理を悟るにはテキストに頼らない」という戒めであると言われると、もっともらしく聞こえる。それゆえ、上記のような「無知の知」の言葉を使った分析は軽視され、不識の意義を直観することが重視されてきた。

 さて、知る(識る)ことについて達磨とソクラテスのいずれのやり方に軍配を上げるべきだろうか。

チェリーセージ ホットリップスの花の色

 チェリーセージはメキシコ北部原産の多年草で、高さ1.5mほどになり、茎の基部は木質化する。葉は卵形で対生し、縁には鋸歯がある。茎頂や葉腋から花序を出し、赤色の花をつける。条件によって、赤い色の部分の割合が変化し、白一色、赤一色になることもある。花期は4〜11月と長く、今も咲いている。毎日見ていても邪魔にならない魅力がある。「ホットリップス」は「チェリーセージ」という名前で流通しているが、サルビア・ミクロフィラ「ホットリップス」が正式名。ホットリップスは日本でよく見かけるサルビア・ミクロフィラの改良品種。hot lipsを直訳すれば「情熱の唇」。ホットリップスは、観賞用なので一般的には食べないが、基本的にハーブの仲間で、サラダに使うこともできる。

 条件によって、赤い色の部分の割合が変化し、白一色、赤一色になることもあり、真っ白になるのは気温が低い時、真っ赤になるのは気温が高い時。暑い時期は花が赤色になり、気温が低くなると白の面積が増えて、赤と白のツートンカラーになるのが特徴と言われている。だが、気温や日照によって赤くなったり白くなったりするというだけでなく、苗が若いときは赤、成長すると赤白、大株になると白や、最初に咲いた花色が今年の花の色になるとか、花色は不安定で年によって変化するというものもあり、正直なところ判然としない。

f:id:huukyou:20201115042038j:plain

f:id:huukyou:20201115042106j:plain

f:id:huukyou:20201115042129j:plain

f:id:huukyou:20201115042150j:plain