ニチニチソウと日々の世界

 初夏から晩秋まで次々に花をつけるのが「日日草」。「ニチニチソウ」と聞くと、私がいつも頭に浮かべるのは「日日是好日(にちにちこれこうにち、にちにちこれこうじつ)」という禅語です。この禅語は『碧巌録』第六則に収められている公案で、「日々是好日」とも表記され、「ひびこれこうじつ」とも読まれています。

 「日日是好日」は文字通りには「毎日が好い日」という意味です。そこから、そもそも日々の良し悪しを一喜一憂することが誤りで、常に今この時が大切だ、あるいは、あるがままの世界をそのまま受け入れる、といった禅の解釈がなされてきました。

 ニチニチソウの花を見ながら、今の世界を考えれば、毎日が好日であることは何と実現しがたいことかよくわかります。地上は毎日が問題だらけで、争いで騒々しいばかりと感じながらも、それをいつの間にか受容している自分に気づくのです。紛争と問題が溢れる世界は「日日是好日」どころか、その反対の「日日是嫌日」、「日日是排日」です。

*家康の旗印「厭離穢土欣求浄土」は「私たちが住むこの世界は苦悩に満ちた穢れた世であり、それを厭い離れることを願い、心から浄土に生まれることをねがい求める」という意味ですが、その実現には戦争が必要でした。そして、「戦争による平和の実現」の構図は現代も何ら変わっていません。

**多くの人は「日日是排日」にまるで別の意味を与える筈です。その別の意味でも「日日是好日」とは反対です。