「都会でつながる」とは?(2)

 言葉の分析を離れ、「つながる」ことの内実について考えてみよう。まず、「なぜつながる」より「何によってつながる」のか見てみよう。人は当然言葉によってつながるのだが、どんな内容の言葉でつながるのだろうか。

 人々と故郷をつなぐ、つなげるものは人々の記憶であり、知識である。私たちは故郷によってつながる、故郷が私たちをつなぐ、つなげるのだが、故郷がどのように私たちをつなぐのかと言えば、私たちがもつ故郷についての関連する知識と自分の故郷についての子供時代の記憶である。故郷は物心つく前に、私たちに故郷自体を様々な仕方で巧みに刻印するのである。私たちは半ば強制的に故郷の巧みな戦略に晒され、故郷に取り込まれることになる。

 故郷はそれぞれ独自の自然、文化、歴史を持ち、そこで生まれた私たちは地縁、血縁、特に幼馴染、友人を作って、生活してきた。多くの人は山や海が故郷を代表する風景、景色とみなし、毎日その自然環境に置かれ、その結果、故郷の自然を懐かしく思い出す対象として記憶することになった。文化面では、風習や祭り、芸術的、歴史的な建造物などを学び、歴史と文化についての体系的な知識を教育されてきた。こうして、日常生活の中で自然、文化、歴史が故郷の具体的な内容となって記憶として蓄積されていく。故郷が人々にとって独特なのは、自然、文化、歴史が地縁、血縁と深く結びついていることである。家族との紐帯だけでなく、自分の住む場所が地元として認識され、そこに住む人々との絆もできる。私たちが故郷に独特の結びつき、つながりを感じるのは自らのルーツと自然、文化、歴史が自らの記憶の中でしっかり結びついていることである。

 さらに、その記憶はその後の人生の様々なスタートに大きな影響を与え続けることになる。それは時には否定される場合も含め、個々の人生の運命を決めるものとなるのである。さらに、人生の岐路では、故郷は重要なサポーターとして触媒のような役割を果たし続けることになる。

 こうして、「故郷を通じてつながる」人たちにとって、故郷は各人の生活を切り開く際の重要な要素としての役割を演じ続けることになる。過去の故郷の思い出によってつながる場合も、現在の故郷の活動によってつながる場合も、背後には自らの出自が深く、強く結びついている。

 さて、このような話は何とも常套的、消極的な内容で、人がつながるのは関心を共有する事柄を通じてであり、それが故郷と重なるかどうかは繋がり、連帯、絆などの内容次第だと若い人たちは考える筈である。若い人たちはつながるきっかけとして故郷を考える人が老人に比べて相対的に少ないが、その仕組み自体は老人たちと何ら変わらない。