老人のための頭の小体操

 人は齢を重ねるにつれ、考えることが面倒になり、計算することも厄介になります。運動も恋愛もしかりで、何事も億劫になります。そこで、A君は老人性の怠け虫への対処を考えてみました。

 「物体が運動するならば、時間が存在する」と述べたのはアリストテレス。そうなら、運動変化がなければ、時間もないのだろうか。シューメイカー(Sydney Shoemaker)はこの問いに対して次のようなモデルを考えました。(‘Time without Change’, The Journal of Philosophy, Vo. 66, No. 12, 1969, 363-381)

  三つの天体からなる可能世界があり、それぞれの天体A、B、Cはそれぞれ3年、4年、5年に一回、それも最後の1年間すべての変化がなくなるとしてみましょう。例えば、天体Bは3年通常の変化があり、4年目にすべてが静止します。各天体の静止は他の天体から観測できます。ですから、この世界では60年に一回、あるいは60年目毎にすべての天体は静止します。

(1)このモデルは「運動変化がなければ、時間もない」という主張の反例になっています。どのような理由で反例になっているのでしょうか。

(2)このモデルは「物体が運動するならば、時間が存在する」というアリストテレスの主張に対して何か言えるのでしょうか。

 これら二つの問題に対して、A君は次のように考えました。60年目毎に三つの天体からなる世界はすべてが静止し、運動はなくなります。でも、次の61年目がスタートするのですから、時間の方はなくなりません。つまり、「運動変化がなくても、時間はある」ことになります。アリストテレスの「物体が運動するならば、時間が存在する」の「物体が運動する」をP、「時間が存在する」をQとすると、P→Qがアリストテレスの主張となり、シューメイカーのモデルでは「¬P∧Q」が成り立ちます。「¬P∧Q」から論理的に「¬P∨Q」が出てきますから、それと同値の「P→Q」が導出され、これはアリストテレスの主張そのものです。

 この余りに杓子定規なA君の模範解答(?)に対して、人生経験豊富な老人たちはどのようにA君とは異なる、艶やかな解答をするでしょうか。B老人はシューメイカーのモデルについて、何も天体がない世界(文字通り無の世界)、天体が一つある世界、二つある世界、無数にある世界等々について同じような主張ができるか考え、すべてのモデルで成り立つものではないと考えました。また、C尼は天体と天体の間は本当に空かどうか考え、天体と空の区別が曖昧だと主張しました。また、D老師は時間と変化はそれぞれ諸行無常の一側面に過ぎないと考えました。