「夕焼け小焼け」再考

 赤とんぼについて記した際、「夕焼け小焼け」の「小焼け」は一体何かを問題にしたのですが、似たような表現とその意味を再考してみました。

 「夕焼け小焼け、仲良し小よし」、「おお寒こ寒、大波小波」など、似た表現がすぐに挙がるのですが、さすがに「朝焼け小焼け」はないだろうと思っていたところ、なんと金子みすゞの詩があったのです。

 

大漁

朝焼小焼だ 大漁だ 大羽鰮(おおばいわし)の 大漁だ。

浜はまつりの ようだけど 海のなかでは 何万の 鰮のとむらい するだろう。

(『金子みすゞ 童謡全集』JULA 出版局)

 

 太陽が沈むとき、空が赤く染まる現象が「夕焼け」で、「小焼け」は沈んだ太陽に照らされた空がもう一度赤くなること、というのが科学的な説明。では、「朝焼け小焼け」はどうなるのでしょうか。「小焼け」は昇る前の太陽に照らされた空が先に赤くなることなのでしょうか。それなら、「小焼け朝焼け」の順ではないのでしょうか。さらに、「おお寒こ寒、大波小波」について科学的な説明をしようとすると、それぞれについて「夕焼け小焼け」とは異なる自然現象に言及せざるを得ないことになり、説明の一貫性が失われるのは明々白々です。

 一方、「小焼け」は「夕焼け」と語調をそろえていう語で、特に意味はなく、単語として組み合わせると、リズムがいい、という主張があります。これだと、「仲良し」を調子良く言った言葉が「仲良しこよし」ということになります。つまり、「こ」は語調を調えるための接頭語であると思われます。「夜」でよいところを「小夜」と詠み、音節を調えることは和歌にしばしば見られることです。この説明はそれなりに一貫性があり、より説得力がありそうです。

*多くの読者は「夕焼け小焼け」、「朝焼け小焼け」の論議より、金子みすゞの詩により強い関心を持つのではないでしょうか。地上の人の喜びと海中の鰮の悲しみを例にして、視点の違いによって喜びと悲しみが共存することを巧みに表現されているのに驚かされます。この詩は道徳の授業でも使われているようです。この詩は人の心と鰮の心の違いではなく、私の心ともう一人の私の心が両立する「みすゞコスモス」と呼ばれる彼女の世界観を表現しています。