アオイ科の花々

 アオイ科はアオイ目の科のひとつで、従来の分類では約75属、1500種からなる。夏に美しい花をつけるものが多く、観賞用のハイビスカス、ムクゲ、フヨウ、タチアオイなどのほか、食用のオクラ、またワタなど繊維として利用されるものもあり、その用途はとても広い。
 アオギリ、ワタ、イチビ、アブチロンタカサゴフヨウ、タチアオイハマボウ、フヨウ、ハイビスカス、ムクゲ等々(既にイチビ以外は述べてきた)、実に多様なのだが、ほとんどの花は実によく似ている。そして、人はそれらを総じて好きなようである。
 私たちはアオイ科の植物の花を愛でるだけでなく、衣食住にも利用する。これは、彼らが人の貪欲な搾取の犠牲者だと言っていることと同じである。私たちは自らの都合で周りのものを巧みに利用してきた。ものだけでなく風景や景色さえ享受し、動植物を衣食住のために利用してきた。
 こんな風にいじけて考えるのは余裕のない若者のようなのだが、「愛でる」ことのすぐ横に「知る」ことが控え、自然を編集してきたと思うと、人とはつくづく罪作りの生き物のようである。

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ハイビスカス

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イチビ

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オクラの花

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ワタの花

 

煙霞(=烟霞)痼疾あるいは妙高痼疾(修正版)

 「煙霞」はもやや霞のことで、自然の景色を指し、「痼疾」は治ることなく長い期間患っている病、持病のこと。自然を愛でる強い気持ちを病にたとえたのが煙霞痼疾。となれば、妙高を強く愛でるのが妙高痼疾。煙霞痼疾は「深く山水を愛して執着し、旅を好む性癖」のことで、芭蕉西行、能因、そして良寛たちのもつ性癖のことである。一方、「煙霞療養」となると、「都会を離れて空気の清浄なところで療養すること」である。
 尾崎紅葉の『煙霞療養』は、1899年7月1日に上野を出発し、赤倉温泉に2泊、新潟市に5泊、佐渡20日間余り過ごした旅日記である。旅行目的は、持病を治すためであった。新潟に親戚(叔父が大蔵官僚で、当時新潟の税務署長)がいて、紅葉の健康状態を心配して、療養に来るよう再三言われ、決心した。当時は、清水トンネルがなく、東京から新潟へは高崎から長野に入り、妙高を経由して直江津に出るしかなかった。直江津までが12時間、ここに一泊して、さらに新潟まで行かねばならなかった。その初日から赤倉滞在の本文を見てみよう。

…入ってみると大変が有る。出札口に掲示して、水害の為線路毀損に付田口駅以北は普通の事、と飽くまで祟つて居るのであつた。…何とか禍を転じて福と作す工夫は有るまいか、と鉄道案内の一〇二頁と云ふのを見ると、田口駅の項に「赤倉温泉あり」としてある。

…六時三十分に垂として新潟県下越後国中頸城郡一本木新田赤倉鉱泉(字元湯)香嶽楼に着す。

…凡そ己の知る限りに、此ほど山水の勝を占めた温泉場は無いのであるが、又此ほど寒酸の極に陥つた町並を見たことが無い。

この最後の文は紅葉の実感が素直に出ていて、明治の時代の赤倉の姿が浮かび上がってくると言いたいのだが、見事な山の風景をもつ温泉でありながら、これほどまでに貧しく苦しみの極みにあるような町並という好対照の姿を想像するのは何ともつらい気持ちになる。風景とは、紅葉が描写するようなものなのか、それとも花鳥風月、月光明媚、山紫水明、雪中梅、雪月花、そして煙霞痼疾のように、人の生き様や住処が入った表現、文句がどこにも見当たらないものなのか。後者だとすれば、人は自らの姿を横において、自分たちのいない自然を愛でてきたのか。
 さすがは紅葉で、自然とその中の赤倉の両方を直截に対比して、風景を描いてみせた。さて、今の私たちはほぼ変わらぬ妙高の自然とはっきり変わった赤倉の町並を見て、どのようにそれらを描写するだろうか。
 風景は少なくとも私たちの見る風景であり、その中に私たち自身が入っているのが自然であり、自然の風景は私たちの風景なのである。

煙霞(=烟霞)痼疾あるいは妙高痼疾

 煙霞痼疾とは自然を愛でる気持ちが非常に強いこと、または、隠居して自然と親しみながら生活することである。「煙霞」はもやや霞のことから、自然の景色のことで、「痼疾」は治ることなく長い期間患っている病、持病。自然を愛でる強い気持ちを病にたとえたのが煙霞痼疾。となれば、妙高を強く愛でるのが妙高痼疾。
 さて、「煙霞療養」は「都会を離れて空気の清浄なところで療養すること」であるが、煙霞痼疾となると、「深く山水を愛して執着し、旅を好む習癖」のことで、芭蕉西行、能因、そして良寛たちのもつ習癖のことである。
 さて、尾崎紅葉の『煙霞療養』は、1899年7月1日に上野を出発し、赤倉温泉に2泊、新潟市に5泊、佐渡20日間余り過ごした旅日記である。旅行目的は、持病を治すためであった。新潟に親戚(叔父が大蔵官僚で、当時新潟の税務署長)がいて、紅葉の健康状態を心配して、療養に来るよう再三言われ、決心した。当時は、清水トンネルがなく、東京から新潟へは高崎から長野に入り、妙高を経由して直江津に出るしかなかった。直江津までが12時間、ここに一泊して、さらに新潟まで行かねばならなかった。その初日から赤倉滞在の本文を見てみよう。

…入ってみると大変が有る。出札口に掲示して、水害の為線路毀損に付田口駅以北は不通の事、と飽くまで祟つて居るのであつた。…何とか禍を転じて福と作す工夫は有るまいか、と鉄道案内の一〇二頁と云ふのを見ると、田口駅の項に「赤倉温泉あり」としてある。

…六時三十分に垂として新潟県下越後国中頸城郡一本木新田赤倉鉱泉(字元湯)香嶽楼に着す。

…凡そ己の知る限りに、此ほど山水の勝を占めた温泉場は無いのであるが、又此ほど寒酸の極に陥つた町並を見たことが無い。

この最後の文は紅葉の実感が素直に出ていて、明治の時代の赤倉の姿が浮かび上がってくると言いたいのだが、見事な山の風景をもつ温泉でありながら、これほどまでに貧しく苦しみの極みにあるような町並という好対照の姿を想像するのは何ともつらい気持ちになる。風景とは紅葉が描写するようなものなのか、それとも花鳥風月、月光明媚、山紫水明、雪中梅、雪月花、そして煙霞痼疾のどこに人の生き様や住処が入った表現、文句があるかとなると、どこにも見当たらない。では、人は自らの姿を横において、自分たちのいない自然を愛でてきたのか。
 さすが紅葉で、自然とその中の赤倉の両方を直截に対比してみせた。さて、今の私たちは変わらぬ妙高の自然と変わった赤倉を見て、どのようにそれらを描写するだろうか。

変化の経験-科学における経験と実在(5)

4反実在論再考
 科学についての反実在論者にとって重要な問題は、理論言語と観察言語の区別があるかどうかではなく、観察できるものと観察できないものの間に適切な区別があるかどうかであるとしばしば言われる。問題は事物についてであって、言語についてではないということである。なぜこのように言われるのか。実在論者と反実在論者は存在論的問題について意見が異なると考えられているからである。どのような種類の事物が存在するかについての問題だというわけである。だから、実在論者が電子は存在すると信じるのに対し、反実在論者はそれが存在しないと信じるところに違いがあると考えられている。
 この実在論反実在論の論争の特徴付けは正しいだろうか。結局、バークリーのような繊細な反実在論者はリンゴが存在することを否定しないことを見てきた。彼らはリンゴが存在すると言うが、実在論者が存在すると言う内容とは違っている。(バークリーによれば、それらは感覚の束であり、心から独立した物質的対象ではない。)同じように、最近では多くの反実在論者が物理学者は「電子がある」と言っても構わないと主張する。問題はそれをどのように解釈すべきかである。
 観察と理論の区別(観察できるものとできないものの区別)は言語よりは存在するものによって考えられるべきだという意見は、少なくとも今日の代表的な反実在論者ファン・フラーセン(Bas C. van Fraassen)によって主張され、多くの人に受け入れられている。フラーセンの主張は構成的経験論(constructive empiricism)と呼ばれている。そこで、これまでの話も含め、実在論反実在論存在論的な比較をまとめ直してみよう。既に保持できないことが明らかになった還元主義を除き、構成的経験論を加えた比較は次にようになるだろう。

実在論:十分に確証された理論によって仮定された対象は、観察できなくともその実在を信じる理由がある。
構成的経験論:私たちは観察できない対象が実在することを仮定する十分な理由をもっていない。科学理論を支持する経験的な証拠はそのような理論が「経験的に十分である」ことしか保証しない。つまり、観察できる対象について言われることは真であるという主張は支持できるが、観察できない対象について言われることが真であるという主張は受け入れられない。
道具主義:これは理論的な用語(観察できない対象を指示するような用語)の意味についての主張であり、そのような用語はどんな対象も指示しない。理論的な用語を用いる理論は本当のところは観察できる世界についての理論に過ぎない。理論を真にしているのは観察できる対象である。理論的な用語は理論をより単純に、あるいはよりエレガントにするための道具として使われる。そのような用語があるからといって観察できない対象が実在することを示すものではない。

 例えば、量子力学が特定の光子の量子状態について何か主張するとしてみよう。量子力学が実験結果の予測や説明に関して成功している点は誰も疑わないが、三つの立場は次のような点に関して異なっている。

(1) 光子が状態Sにあると言うとき理論は世界について何を述べているか。
(2) (1)の解答内容を信じる確かな理由があるかどうか。
(3) 量子力学のような理論の目的は何か。

実在論と構成的経験論は(1)に関して同じ立場で、理論は文字通り光子が量子状態Sにあることを述べていると考える。だが、(2)に関しては意見を異にする。実在論者は量子力学が量子状態について述べることを信じる理由があると考えるが、構成的経験論者はそれを信じる理由がないと考える。
 実在論者が理論の目的は真理にあると考えるのに対し、構成的経験論者はその目的が経験的な十分さだと考える。つまり、構成的経験論が科学理論に対して要求するのは科学理論全体の真理ではなく、観察可能なものに対する真理だけである。だから、(3)に対する見解は実在論と構成的経験論では異なっている。
 一方、道具主義は(1)について実在論とも構成的経験論とも異なる立場に立つ。道具主義によれば、量子力学は光子が量子状態Sにあると言うとき、それが本当に言っているのは、ある測定が行われることになれば、ある測定結果が得られる、ということに過ぎない。「光子」と「量子状態」という用語は世界の実在的な性質について言及しようとしているのではなく、純粋に道具としての役割しかもっていない。「光子が状態Sにある」という表現は「この実験をすれば、そのような結果が得られる」という表現と同じである。
 道具主義も構成的経験論も観察できる世界についての真理を得るのが科学の目的であるという点では同じである。
(観察可能性)
 反実在論に反対する一つの方法は観察できるものと観察できないものの区別に注目することだった。構成的経験論者は二つの間に区別があることを使って反実在論を主張する。だが、区別は本当にできるのだろうか。ウイルソン霧箱と机を考えてみよう。霧箱を見て水滴の軌跡を観察し、そこからそれを起こした粒子の存在を推論する。机のほうは直接に机自体を観察する。では、霧箱と机の観察は本当に違うのだろうか。私が机を見るとき、実際に観察するものはある表面の現象である。例えば、机は茶色で、四角形である。これらの観察から私はそれが机だと推論する。霧箱の場合と同じように、直接に机を観察してはいない。だから、観察できるものとできないものの間に区別はない。区別がなければ一方を信じ、他方を信じない理由はないことになる。
 構成的経験論への別の反論は、たとえ観察できる、できないという区別があったとしても、実際に見ることができないという理由だけで観察できない存在について懐疑的になるべきではないというものである。私たちは実際に観察していないが、観察できる対象について、それが存在する十分な理由をもつことができる。観察できない対象についても同じように考えることができるはずである。
 これに対するフラーセンの最初の反応は「観察可能である」は曖昧な述語であるというものである。曖昧な述語については多くのパズル(例えば、連鎖パラドクス=Sorites Paradox)がある。自然言語の述語はほとんどが曖昧である。そのような述語を使う場合にいつも問題があるわけではないが、それらの論理的な規則を形式的に述べようとすると確かに問題が出てくる。実際、連鎖パラドクスは曖昧な述語を使った連鎖推論によって起こるパラドクスで、曖昧な述語そのもののパラドクスではない。曖昧な述語を使う場合にはそれが適用できる明確な場合と適用できない明確な場合が区別できればよい。だが、区別は私たちがしなければならない。つまり、「観察可能」と「観察不可能」の区別は不可避的に人間の能力に依存する。観察と理論の線引きは人間の心理的構成の偶然的な機能である。それゆえ、存在論的な重要さはなくとも、観察可能性が主観的であることを認めなければならない。
 物理学の観点から見ると、人間はある種の測定装置である。そのような装置として限界をもっている。装置としての観察可能性はそのような限界を示している。だが、フラーセンはこの主観性が反実在論の主張に負に働くとは考えない。フラーセンの見解は正統的な反実在論とは大きく異なっている。正統的な反実在論は、理論的主張は真でも偽でもありえないと主張するか、あるいは真か偽であってもそれはそれらが観察可能なものに還元や翻訳ができると主張する。だが、彼が言うには、理論的主張は真か偽でありうるが、科学はその真偽に関心をもたない。科学が関心をもつのはその経験的十分性だけである。 彼は観察可能性の主観性は経験的十分性を主観的なものにすることを認め、科学は私たち人間の科学であると考える。
 最初、経験論者は認識論によって反実在論へと傾いた。(経験論者が受け入れるように)世界についての私たちの知識が観察に基づくなら、観察可能なものを超えた主張は認識論的に疑う余地が生まれる。だから、信用できる科学は反実在論的な科学でなければならないように見える。ラッセルのような還元主義者は観察できる事柄への主張に理論を翻訳することによって科学を救おうとした。道具主義者は事実を記述する試みから装置へとその仕事を変えることによって科学を救おうとした。
 では、フラーセンはどのようにして科学を救おうとするのか。正統的な道具主義者のように、科学の目標は実在についての真なる信念ではなく、より実践的な点にあると論じることによってである。観察できる事柄を予測するシステムをつくることが目標である。
 だが、幾つかの問題が残されることになる。

(1) 構成的経験論を受け入れることは科学だけでなく、すべての場合について成立するのではないか。電子についてだけでなく、すべてについて私たちは反実在論者ではないのか。この見解は観察できる、観察できないという区別を要求しないのではないか。
(2) 理論的言明の場合、構成的経験論では真偽は何を意味しているのか。真や偽であるためには理論的用語は確定した意味をもたなければならない。それらが観察できる事柄についてのものでないなら、どのようにそれらは意味を獲得するのか。
(3) 科学的な知識は確実な真理を求めるという実在論の仮定を棄て、理論は仮のものということを受け入れると、私たちは可謬主義者になることができる。フラーセンの立場はこの可謬主義的な実在論ではないのか。

科学的実在論のための二つの論証)
 私たちはここまで反実在論を中心に議論をしてきた。そのため、実在論については考察を控えてきた。だから、実在論がなぜ実在を信じるかの理由は今までの叙述では不十分である。そこで、実在論擁護の理由を以下に考えてみよう。
1.「無奇蹟」論証(No miracle argument)
 多くの実在論者はこの論証を科学的実在論のもっとも強力な理由と見なしている。この論証は次のように展開される。

一般相対論や量子力学が宇宙の基本構造について本質的に正しいことを述べているのでないとしたら、それら理論が正しい経験的な予測をすることは奇蹟か偶然の一致と言うしかないだろう。奇蹟や偶然の一致でない説明があったとすれば、私たちは奇蹟や偶然の一致をそのまま認めないだろう。ある理論が現象の背後で起こっていることの真の姿を捉えていれば、それら現象は奇蹟でも不思議な偶然でもないだろう。だから、今受け入れられている理論は確かに正しいと結論してもよいだろう。

 上の無奇蹟論証を具体的に繰り返せば、次のようになる。クオークや光子が実在していないとすれば、それらを使ってなされる予測や説明は奇蹟だろう。科学理論がなぜ成功しているか(つまり、宇宙はクオークや光子が実在しているかのように振舞うこと)の最善の説明は実際にそれらが実在していることを認めることである。それゆえ、私たちは実在論が正しいと信じるべきなのである。

(問)無奇蹟論証がアブダクションを使った論証であることを説明せよ。

反実在論からの反応)
 奇蹟がないことからの論証は、科学理論の予測成功についての唯一の説明は、予測を真にする観察できない対象はそれら理論が述べている通りのものである、ということを主張している。だが、構成的経験論者であるフラーセンはこの主張に対して別の説明をする。
 科学は生命現象の一つであり、環境との相互作用を円滑にする有機体の活動である。これは科学的説明にそれまでと違った解釈を与えてくれる。ネコから逃げるネズミについて二つの異なる説明がある。アウグスティヌスは意図的な説明を考えた。ネズミはネコを敵だと認識し、それゆえ逃げた。ここで仮定されているのは自然の秩序、つまり、ネズミの心に敵の関係が正しく捉えられていることに対するネズミの思考の十分さである。だが、ダーウィン主義者は言う。なぜネズミが敵から逃げるかはネズミの心に問うべきではない。敵とうまく渡り合えなかった種はもはや生存しない。これが、うまく渡り合えるものだけが生存している理由である。これと同じように、現在の科学理論の成功は奇蹟ではない。どんな科学理論も厳しい生存競争の中で生き残ったものだけが成功している。科学理論が正しいから成功しているのではない。

2.因果的説明からの論証
 ある現象がなぜ起こったかを説明することは、しばしばその原因を特定することであると言われる。現象の因果的な説明で役割を演じる対象はしばしば観察できないものである。だが、そのような場合でも説明が正しいと認められるなら、その説明における原因が本当に存在すると見なされるべきである。これが実在論者の考えである。
 それに対して反実在論者のフラーセンは、私たちの因果的説明が意味をもつために観察できない対象に因果的な役割を与えることを否定する。背後の因果的メカニズムについての話は理論やモデルの内的構造についての話として解釈できるというのが彼の考えである。科学者は理論に自らを投入し、理論が描く観察できない実在が正しいと思うことによって現象を説明する。因果的な力をもった観察できない実在が存在するかのように科学者は語るが、実際に彼らが行なっているのは(観察できない実在ではなく)理論やモデルがどのように適合しているかについて語っているに過ぎない。

白い花の百日紅

 サルスベリ百日紅)はヒャクジツコウの名の通り、初夏から秋までの長い間鮮やかな花を咲かせる花木。樹皮が白くなめらかな手触りをしていることが百日紅の特徴で、それを好きな人が多い。花びらの縮れた小さな花がまとまって穂のように咲き、夏から秋まで美しい花姿を楽しむことができる。
 白い花のサルスベリを既に紹介したが、「白い花のサルスベリ」と書けば誰も疑問をもたないだろう。だが、「白い百日紅」と書くと、何か変である。「白い紅」は明らかに形容矛盾で、それと同じのが「白い花のサルスベリ」なのである。シロバナサルスベリとカタカナで書けば、誰も文句など言わないのだが、「白花百日紅」と書かれると、なぜ白い花が百日紅なのか答えに窮してしまう。その上、紫色の花のサルスベリまである。これは大きな花で「大花百日紅」と呼ばれ、花の色ではなく、サイズに着目した和名となっている。オオバナサルスベリはインド、東南アジアなどの熱帯アジア原産の落葉高木。フィリピンではバナバと呼ばれている。
 こうして、命名のいい加減さは倍加され、混乱の極みとなる。命名という人の勝手な都合がもたらす混乱は実に多いのだが、これはその具体例の一つである。そんな人の都合とは裏腹に、赤、白、紫のサルスベリの花が今を盛りに咲いている。

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変化の経験-科学における経験と実在(4)

2反実在論の諸見解
 ここでは科学理論の構造に関する経験論を含む反実在論の見解を詳しく見てみよう。反実在論の特徴は理論と観察を明瞭に区別するという点にある。
( 問題の起源:「理論」の始まり)
 ガリレオとロックの第一性質と第二性質の区別を思い出そう。そこでは第一性質は次のように考えられていた。

1. それらは基本的な説明的性質であり、物理学が世界を記述するために必要な性質である。 (形而上学的条件)
2. それらは私たちの精神によって理解でき、精神はそれら性質の観念をもつことができる。(認識論的条件)

両方の特徴が実在論的な科学に必要だとすれば、科学に対する反実在論は実に単純なものとなる。1の物質世界の存在を否定し、2はそのまま認めれば、その反実在論では科学的な用語は観念を指示することになる。だから、それら用語の意味についての問題は何もない。科学用語は対応する外的な性質ではなく、観念を指示するに過ぎない。だが、私たちの直接的な観察データを記述するのに使う言語を越えた理論言語を科学が使わない範囲でしかこれは成立しない。ロックの時代でさえこのようなことはなかった。そこには少なくとも次の二つの理由があった。

(1) 物理学は既に観察できないミクロな対象を仮定していた。
(2) ニュートン力学においてさえ、質量のような基本的な性質を私たちが感覚的にわかることはできない。それら性質の間接的な効果を探るくらいしかできない。

 だが、これらの点はニュートン力学がボールのような身近の対象によって簡単に視覚化されるという事実によって覆い隠すことができる。ニュートン的な粒子を小さな野球のボールと考え、それゆえ、原理的に観察可能だと考えることができる。だが、これは誤っている。視覚像がこれら粒子の集合についてのものだとすると、それら一つ一つを見るということは意味がないことになる。さらに、私たちは基本的な性質を直接に見ることができない。したがって、17世紀でさえ上述の単純な反実在論は選択肢の一つではなかった。質量のような理論的用語は観察データによって簡単な仕方で解釈できない。科学の発展とともに、理論と観察のギャップは次第に大きくなる。多くの新しい理論的概念が導入されるが、それらの多くは直接経験と単純な結びつきをもっていない。
 反実在論にとって基本的な問題はこれら理論的用語が何のためのものかである。というのも、反実在論の中ではそれらを直接観察可能なものを超えて実在を記述するものとして解釈できないため、それらの存在理由を実在とは独立に考えなければならないからである。
(二つの反実在論的解答)
 理論言語が何のためかについての反実在論からの解答をまとめて確認しておこう。
1. 還元主義:ラッセルの論理的構成という見解は還元主義の典型例である。ラッセルが理論的対象は感覚データからの論理的構成であると言うとき、彼が意味していたのは理論言語が原理上感覚データに言及する言語に還元できるということである。この見解では理論的な言明は実在について何か語っているが、それは観察できるものを超えた実在についてではない。

*科学は自然が階層的で、それの説明も階層的であることを経験的に明らかにしてきたが、現在考えられている還元は次のようなものである。
(1)存在するものの間での還元
原子論がこの典型例である。原子の存在が観測されるのは20世紀に入ってからであるが、その仮定的な存在は還元的説明の拠り所となってきた。生命現象を物理現象に還元することは20世紀の成果であった。心と身体の間の還元は今世紀の目標となっている。
(2)理論間での還元
二つの異なる理論の間での還元で、通常は一方を他方に還元する形で行われる。例えば、熱力学の統計力学への還元、メンデル遺伝学の分子遺伝学への還元がその代表例である。その結果、今の私たちは温度が気体の平均運動エネルギーだと知っているし、表現型は遺伝子型の発現であり、遺伝子はDNAの一部であることも知っている。
(3)理論と観察
経験科学は実験や観察をもとにしていることから、理論的概念を経験的なものに還元できるかどうかが問題となってきた。そこでは理論的なものと経験的なものは対立するものとさえ考えられていた。実証主義的な見方では、理論的概念は最終的に経験的なものに還元されるべきものとされてきた。
(4)言語的な還元、翻訳
数学言語とそうでない言語の間での還元がその一例である。さまざまな数のシステムの間での関係、幾何学のシステム間の関係、集合論やカテゴリー論と他の数学理論との関係等が考えられる。自然言語形式言語への翻訳、記号化も盛んに議論され、20世紀の言語哲学の相当部分を占めてきた。推論も形式的に書き直されることによって、コンピューターを通じての自動化が探られてきた。

2. 道具主義:この見解では理論言語は何かについてのものではない。理論的な言明は世界について何かを主張しているのではない。だから、そのような言明は真でも偽でもない。理論は観察できるものについて言明をつくるという目的のための道具に過ぎない。
(理論の構造についての反実在論の見解)
還元主義者と道具主義者が理論的なものについて一致するのは次の点である。
(1) 科学理論は理論的部分と観察的部分に明確に区別ができると考える。
(2) 科学理論の理論的部分を形式的、あるいは解釈されていない記号のシステムと考える。
最初の点は明らかだろう。理論的部分と観察的部分が区別できないと還元ができないし、どの部分が道具であるかがわからないからである。(2)は還元されたり、道具とされたりする部分をどのように考えるかに対する答えである。(2)で言われている記号システムの主要な要素は次のものである。
・記号のリスト(それらは新しい仕方で使われる古い語である。)
・「文法的な」規則:それら記号を結合する仕方を定める。
・幾つかの基本的仮定、あるいは公理
・公理から他の言明を導き出す推論規則
観察的部分は既に存在する観察言語で表現され、理論が適用されるはずの現象を記述する。では、この一致する部分から二つの考えは説明に関してどのように違っているのだろうか。二つの考えは理論的部分と観察的部分を結びつける仕方が異なっている。還元主義的説明によれば、まず理論的言明に観察的意味を指定する「翻訳規則」が理論に補充される。そして、これらの規則によってそれぞれの理論的言明が観察できる世界について何を記述しているかがわかる。一方の道具主義的説明によると、理論的部分は翻訳規則ではなく、形式的な仕組みを観察的な入力言明に適用し、観察的な出力言明をつくる「適用規則」と考えられている。
 反実在論者と同じように、実在論者も理論的用語がどのようにその意味を獲得するかという問題に直面する。新しい理論が既に意味をもっている言語の一部にどのように結びつくか説明しなければならない。だが、この結びつきは翻訳の規則ではありえない。というのも、それでは還元主義になってしまうからである。魅力的な解決は全体論(holism)に頼ることである。全体論では理論的な用語は理論全体の中での役割によって暗黙のうちに定義されると言われる。
(観察できるものの本性についての二つの見解)
 私たちは道具主義者も還元主義者も理論言語と観察言語の間に明確な区別を求めたことを見てきた。だが、幾つかの違いがある。原理上、還元主義の「還元」はあるレベルから次のレベルへという段階ごとの過程であり、理論は段階ごとに還元される。そして、還元される理論は最後の段階でだけ純粋な観察言語からなっていればよい。道具主義はこのような段階的還元を許さない。いずれにしろ、理論的な言明が真でも偽でもないなら、理論と観察の境界は明確でなければならない。言語を使う二つの異なる仕方の間での境界は明確でなければならない。
 では、純粋な観察言語とは何か。それは何を記述するのか。今まで見てきた大半の反実在論者は現象主義者でもあった。彼らは純粋な観察言語は感覚データを記述する言語だと信じていた。だが、別の解答も科学哲学では良く知られている。観察言語は私たちが自分の眼で見ることができる(中間サイズの対象の可視的特徴)日常的な事物を記述すると考えることができる。だから、純粋な観察言語が何についてのものかに関して二つの主要な見解があることになる。現象主義的見解と中間サイズの対象という見解の二つである。後で見るように、二つの見解はともに重大な困難をもっている。経験論者はすべての基礎として純粋な観察言語があるという主張を推し進めるが、その主張はうまく働いてくれない。

3反実在論批判
 ここではこれまで述べてきた反実在論の見解を受け入れることができない理由を考察してみよう。特に、反実在論者が要求する純粋な観察言語が存在するかどうかを考えてみよう。ラッセルの還元主義と、経験論が依拠する帰納法が考察の対象である。経験論は反実在論を要求するが、その反実在論は保持できる立場ではないことが結論となる。
ラッセルの還元主義的試み)
 観察から何を学ぶことができるのか。ラッセルは直接的な感覚データ以外には何も学ぶことができないと考える。物理世界に想定されている内容はそれら感覚的なものとは一見非常に異なっている。分子は色をもっていなし、原子は音を立てず、何の味もない。それらが検出されるには、感覚データと結びついていなければならない。両者に相関する関係だけから検出されなければならない。だが,このような相関はどのように確かめることができるのか。感覚データと対象との相関は決して検証できないように思われる。では、ラッセルはどのように考えたのか。
 ラッセルは感覚データについて次のように考える。感覚データがデータである間はそれらがそこにあることを知ることができる。これが外部の個別的な対象についての認識論的な基礎である。感覚データだったものがそうでなくなるとき、それが存在し続けるかどうかはわからない。感覚データがデータであるとき、それらは私たちが直接に外部世界について知るすべてである。だから、それらがデータであることが認識論にとって重要となる。
(感覚可能なもの(Sensibilia)と対象の構成)
 ラッセルによれば、感覚可能なものは感覚データと同じ形而上学的、物理学的身分をもち、私たちにとって今はデータではないが、データになることが可能なものである。感覚可能なものが感覚データに対してもつ関係は、女性の妻に対する関係のようなものである。女性は結婚することによって妻となる。同じように、感覚可能なものは私たちが経験することを通じて感覚データになる。
 すべての感覚データは感覚可能なものである。すべての感覚可能なものが感覚データかどうかは形而上学的な問いであり、感覚データからそうでない感覚可能なものを推論する手立てがあるかどうかは認識論的な問いである。
 ラッセルは対象をその現象の束によって定義しようとする。事物はその外観のどれか一つと同じとみなすことはできないので、外観のすべて、外観の背後のすべてとは異なるものと考えられるが、オッカムの剃刀によって、事物とその外観のクラスを同一視しなければならない。
 推論による構成の代わりになるのは感覚データによってすべてをつくりだすことだが、これに単一の人の感覚データという条件を加えることができる。というのも、他人の感覚データは推論なしには知ることができないからである。つまり、現象主義を厳密に考えれば、それは最後には独我論を帰結する。これは私たちには受け入れることのできない立場である。
(観察言語の必要性:帰納主義と科学の進歩)
 帰納主義は(17世紀以来)科学によって用いられてきた基本的方法についての見解であり、科学の研究は次の二段階で進行すると主張する。

1. 観察データの収集
2. データに基づく一般化の定式

 この一般化は「帰納的方法」と呼ばれていた。データを集め、記述する過程が理論に先行し、それゆえ、帰納的方法はそれによってつくり出される理論からは独立している。データを記述するのに使われる言語は(それを使ってつくり出される)理論に依存できない。だから、帰納主義はデータを表現する観察言語を独立に必要とする。
 科学史の中で、古い理論に代わって新しい理論が登場するのは稀ではない。私たちはこの過程の中に客観的な意味で進歩があると思いたくなる。例えば、科学は一歩一歩真理に近づいていると思いたくなる。だが、そのように言えるためには理論が互いに比較できることが必要である。一方、異なる理論は異なる言語を使っている。このことは理論間の比較は異なる言語で書かれた主張を比較することを意味している。
 理論を比較するには観察できる事柄についてそれらが何を言っているか比較する必要がある。しかし、そのためには観察できる事柄を、比較される理論のいずれにも依存しない、中立的な言語によって記述できることが必要である。この理由から、科学は真に進歩しているという見解を擁護するには、進歩を測るために理論から中立の観察言語が必要だとしばしば考えられてきた。
(ハンソン(Norwood Russell Hanson, 1924-1967):観察の理論依存性)
 ハンソンの観察に関する見解は理論負荷性という概念に基づいて述べることができる。
・科学では理論的な信念によって条件付けられた観察(知覚)しか存在しない。純粋な、あるいは理論を一切仮定しない知覚など存在しない。これは経験論の伝統的仮定の一つと対立する。つまり、私たちが頼る基本データは原初的な経験によって直接与えられるという仮定と対立する。知覚は生の感覚ではなく、学習の結果(知識)を使った判断である。
・科学的な理論化は「見ることの新しい仕方」の展開として考えられるべきである。理論は世界を観察する、記述する仕方の中に暗黙のうちに、不可分に含まれている。
観察が理論負荷的であることから、帰納主義は問題を抱えることになる。帰納的方法が使えるためには観察は理論から独立していなければならなかった。だが、観察は理論に先立つことができない。というのも、観察は理論的な概念によって実行され、記述されるからである。また、競合する理論を比較するための共通の基盤もないことになり、単純に理論間の比較ができなくなる。さらに、科学は新しい理論が古いものに置き代わることによって進歩するという考えも問題を抱えることになる。科学に純粋に観察的な部分があるとすれば、反実在論者もその部分については実在論をとる。
*ここで議論されている反実在論は観念論ではない。デカルトは知覚経験を疑ったが、ヒュームはそれを疑いはしなかった。だから、ここで議論されている反実在論はヒューム的である。しかし、他の文脈では反実在論に観念論が含まれる場合が多い。
 理論言語が(反実在論者が主張するように)文字通りに受け取ることができないなら、科学のどの部分も文字通りに受け取ることができない。これは反実在論を不合理にしてしまう。
 このような厄介な問題に対して帰納主義者はどのように対処したらよいのか。まず、帰納主義者は知識の「発見の過程(文脈)」を知識の「正当化の過程(文脈)」から区別し、正当化に関しては彼らが誤っていると認めることができる。これは帰納が正当化に使えないと表明することである。また、理論を比較するのに共通の基盤が必要なのだろうか。あるいは、古い理論はそれ自体で誤り、新しい理論もそれ自体で正しいと言える場合を見つけるだけで十分ではないのか。理論は自己評価だけで進歩できないのか。実際、私たちがみな共有する理論があると仮定してみよう。多分、それは生物進化や社会進化によって私たちに植え付けられた、私たちの遠い祖先から受け継がれた「常識的理論(folk theory)」だろう。だが、これは反実在論に中間サイズの対象のための基盤を与えるだろうか。

(問)発見の過程と正当化の過程が異なることを使って、なぜ性比が1:1かを二通りの仕方で説明してみよ。

コブシの実

 コブシの樹も花も申し分のない風情なのだが、何とも形容しがたく、不規則なアモルファスのような姿をしているのがその実。それがとても対照的で、コブシに独特の存在感を与えている。私には均整の取れた、優等生のコブシがなぜあんな不定の形の実をつけるのか皆目わからないのである。確か昨年もそれが気になってコブシの実について調べた記憶がある。
 コブシは春にモクレンに似た白い花を咲かせるので誰でも知っているが、その花が終わると見向きもされずに忘れ去られてしまうようで、秋の実はあまり知られていない。袋果(たいか)という袋の中に入っている実が、握りこぶしのように見えることからコブシの名がついたようである。
 枝もたわわに実ったコブシの樹に出会った。初夏には緑の袋果が初秋には黄色っぽくなり、やがて赤みを帯びてくる。画像のように、今年は既に色づいている。秋にコブシの実が熟し、集合果の袋状の皮が破れ熟した実が顔を出してくる。

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