主食

 パンダやコアラの副食は何か。ライオンやトラの主食は何か。こんな問いに答えようとすると、主食、副食の定義がなければ埒が明かないことに思い至るのです。「主食は炭水化物やエネルギーを摂取できる食品で、ご飯や餅、蕎麦やうどんなどを指す。じゃがいもや、とうもろこしを使った主食もある。副食は主食と一緒に食べるもので、主菜と副菜に分かれる。主菜はタンパク質や脂質の豊富な肉類、魚介類、卵、大豆や大豆製品などの料理。副菜は野菜、キノコ類、海藻類、果物でビタミンやミネラル、食物繊維といった体内の機能を健康に保つもの。」というのがおよその定義で、これは呆れるほど人間中心的で、そもそも主食、副食の区別が人間中心的なのだということになります。ここで文句を言っても詮方ないことで、この常識的な区別にとりあえずは従うことにしましょう。
 私たちの主食は米、そして小麦が代表格。それぞれに色々な種類があり、味も実に豊富である。御飯とパンは私たちの食生活の要になっています。そのためか、私たちは米ばかり、麦ばかり食べていても飽きません。種類だけでなく、調理の方法も実に多様で、正に日本食文化の基本になってきました。忘れられがちな主食の調理方法は肉や魚の調理と並んで重要であり、様々な工夫がなされてきたのです。
 現在の日本では米と麦が主食であり、トウモロコシはよく食べられても、主食とは考えられていません。そもそも日本のトウモロコシは甘過ぎます。ですから、スイートコーンは主食になれないのか、主食になれないから甘くなったのか、その辺の因果関係は定かではありません。ともあれ、トウモロコシは私たちの主食ではありません。
 一方、メキシコの主食はトウモロコシ、麦、豆、そして米と私たち以上に多彩です。どれもよく食べられています。タコスの皮であるトルティーヤは麦とトウモロコシの二通りあります。豆は大豆というより小豆で、塩、ニンニク、ベーコンで炊くのが基本。小豆はたんぱく質をふんだんに含み、これにチーズを加えれば、十分に肉の代わりになります。自己主張の少ない、ペースト状になった豆は何にでも合い、実にうまいのです。ところが、私たちはこの豆に砂糖を加えて甘くして食べていて、メキシコの人から見ればこれは邪道です。
 メキシコにこれほど主食が多い訳は何でしょうか。麦と米は支配者であったスペイン人の主食、豆とトウモロコシは被支配者のインディオの主食でした。両方の食文化が総合され、その結果、主食の種類がそのまま増えたと考えて構わないでしょう。支配されることによって、食生活が一層豊かになったと言うのは言い過ぎでしょうが、異文化融合の先駆け的な一例であるというのは確かです。政治も文化も主食からという訳です。
 これまでの話は人の主食の一部の歴史。農耕以前の私たち人間の主食は米や麦ではなかったし、未来の私たちの主食がどうなるかもわかりません。主食とか副食とか、あるいは食事という概念が大いに変わるのかも知れません。そんなSFめいた話はわからないにしても、主食のうまさと料理のうまさは何が同じで、何が異なるのでしょうか。御飯がうまく、刺身もうまいと感じる時、そのうまみにきっと違いがある筈ですが、その違いを正確に言い当てるのは私にはとても難しいように思われます。なにしろ私にはご飯とパンのうまさの何が違い、何が同じなのかよくわからず、ただただ感じ取るしかないのですから。