私が生きる世界(2)

3 ターレス、パルメニデス、ゼノン
 論証や証明がもつ俯瞰的な観点を最初に導入したターレスは一流の幾何学者となり、幾何学によって因果的な世界から独立した数学的世界の存在を示すことに成功した。[1]彼に始まる幾何学は、その後ユークリッドによってギリシャ数学の主役として『原論』にまとめられることになる。
 幾何学的な見方を使って世界を非因果的に説明しようとした最初の哲学者がパルメニデスで、その形而上学は徹底して俯瞰的、非時間的であり、そのため因果的な運動変化は単なる仮象に過ぎないとみなされた。運動変化の否定をより具体的に示そうとしたのが彼の弟子ゼノンだった。世界のすべてが既に起こったかのように扱われ、起こったもの、起こるもの、起こるだろうものが、同じ存在として絵巻物のように列挙併記されるというのがパルメニデスの世界である。変化に関わるような、例えば「可能性」といった概念はすべて否定され、様相や時制が存在しない世界がパルメニデスの世界となる。彼の形而上学は決して荒唐無稽ではなく、その哲学的アイデアは原子論と同じように現在まで生き残り、ブロック宇宙モデル(Block Universe Model)として生きている。世界のすべてが展開されたものとして捉えられ、それを全体として俯瞰したのがパルメニデスの世界である。[2]
 ゼノンのパラドクスを知る人は多いが、それが正確に何を述べているかということになると専門家の間でも意見が分かれるほどで、現在でも哲学への憧れをかき立てるに十分な主題となっていて、好奇心の格好の対象であり続けている。運動に関わる彼のパラドクスは、運動自体の分割可能性、それを表現する線分の分割可能性、表現された運動についての論証が巧みに混同されることによって生じる。運動が分割可能なのか、運動表現が分割可能なのか、論証で使われる無限概念が適切なのか、これらの問題を丁寧に解きほぐしていけば、どこにも矛盾などないというのが標準的な解答である。[3]
 因果的でない数学を使って因果的な世界をどのように理解し、説明するかは何も問題を孕んでいないように見えながら、実は重要な問題を多く抱えていることがその後の2,000年以上にわたる知的な探求の中で次第に露呈されていくことになる。この過程は実に魅力的で、人間の好奇心を刺激し続けてきた。パルメニデス形而上学的な剛腕を振るって解決しようとしたのは自然の数学化と呼んでもいいような問題であり、ゼノンのパラドクスによって、それが論理的な問題だけでなく、無限分割可能性を通じた無限の問題をも含むことが明らかになった。その試みはガリレオによって再度なされ、数学を巧みに使うことによって実行され、ニュートン古典力学としてまとめ上げることになる。自然の数学化が引き起こす問題とその解決は数学研究そのものを大いに刺激しながら、現在もまだ続いている。

[1] 「ターレスの定理」と呼ばれる一群の命題はその具体的な姿である。
[2] 展開された世界とは絵巻物をすべて広げた世界であり、例えば、運動がその軌跡として表現される世界である。
[3] ゼノンのパラドクスの標準的な解決は解析学を使ったものだが、無限、無限小、極限等の概念が含む問題を鮮明にしようとすれば、パラドクスをSupertaskとして表現し直す必要があるかも知れない。