我流の哲学史雑感(11)

 ライプニッツ(Gottfried Wilhelm Leibniz 1646-1716)は、ドイツが生んだ最初の大哲学者。ドイツにはヤコブベーメとマルチン・ルターという偉大な思想家がいたが、体系的な哲学者となればライプニッツが最初である。彼は生前自分の説の全部を公開しておらず、その研究の全貌は20世紀に入ってようやく明らかになってきた。ライプニッツは深遠かつ多面的な思想家だった。
 ライプニッツが生前に発表した思想は、『単子論』で展開したモナドという実体をめぐる議論と、独特の論理学に支えられた『弁神論』である。ライプニッツの「モナド」はギリシャ哲学の「アトム」と似ているが、物質的なアトムとは違って、徹底して精神的なものである。しかも、この精神的なものこそが私たちの物質世界を構成している真の単位だと彼は主張する。世界は無数のモナドが集まって構成されており、それら自体は消滅せず、互いに交渉せず、一つ一つのモナドが宇宙全体を反映している。このモナドは、デカルトスピノザが提出した実体をめぐる議論へのライプニッツの解答だった。
 ライプニッツデカルトの延長を実体とは認めない。なぜなら、延長は多数性を含意するゆえに、それは実体の集まりを想起させるからである。実体とは定義上単一なものであり、したがって、それは延長を持たない。では、延長しないものが集まって、なぜ空間がつくられるのか。この問いに対しては、ライプニッツは(ニュートンと違って)空間が実在することを否定した。ライプニッツによれば、世界には空間も真空もなく、ただ無数のモナドが充満しているだけである。
 一方、神のみを唯一絶対の実体とするスピノザの説に対しては、ライプニッツは表立った議論をしていない。だが、ライプニッツモナドスピノザの神が属性や様態となって顕現したのだといってもよいほど、スピノザの説に似ている。ライプニッツは宗教に関してカルヴィニズムに近いものをもっていたようで、それがモナドの定義に反映されている。
 各々のモナドの中にはあらかじめ確立された調和があるというのが彼の「予定調和説」。様々な事象が私たちの眼に調和しているように見えるのは、神によって作られた多くの時計が互いに無関係でも同じ時刻をさすのと同じことだと彼は考える。この予定調和説はさらに進んで、モナドの中にはあらかじめ宇宙の全体が組み込まれているという主張につながっていく。私たちの眼には偶然に映ることでも、それはモナドにあらかじめ組み込まれたものが実現しているのであり、モナド相互が調和しているようにみえるのも、この組み込まれている運命のようなものが発現したことの結果である。この主張は、主語と述語に関するライプニッツの論理学の考え方と密接な関係を持っている。ライプニッツによれば、特定の主語に属するとされるあらゆる述語はあらかじめ主語に含まれていなければならない。それと同じことがモナドにもいえる。モナドは哲学上の概念であるが、論理学から見れば述語を包括する主語のようなものである。だから、それは述語に相当するものをあらかじめ自分のうちに含んでいることになる。世界には偶然的なものは存在せず、すべてはあらかじめ組み込まれていて、必然的に生起する。
 個々の人間もモナドである。そのモナドは自分のうちに宇宙全体の出来事をあらかじめ組み込んで持っている。だから、そのモナドにとっての世界の現われは、偶然に見えるようでも、必然の出来事なのである。ライプニッツにとって、一つのモナドは世界を表象する単位であり、その限りでミクロコスモスなのである。
微積分学発見の優先権論争
 ライプニッツデカルトと同様、数学や自然科学分野で多くの業績を残した。特筆すべきは微積分学。ライプニッツ微分法の研究に打ち込んだのは、パリに滞在していた1675年から76年にかけてである。ライプニッツは数の無限分割から微分法を思いついたとされる。ところが、ライプニッツよりも10年ほど前に、ニュートン微分法(流率法)を発見していた。だが、ライプニッツニュートンの研究のことは何も知らず、微分法を取り上げる方法も異なっていた。ライプニッツは1684年に『極大と極小にかんする新しい方法』を出版して、その中で微分法を発表し、ついで1686年に『深遠な幾何学』を出版して積分法を発表した。ニュートン微積分法を発表するのは1687年に出版した『プリンキピア』においてであった。ニュートンの支持者は、ライプニッツニュートンのアイデアを盗んだのだと批判を始めた。一方、ライプニッツ側も独創性の主張を譲らなかった。こうして両陣営の論争は泥沼化し、歴史上でも有数の論戦に発展していく。
論理学
 ライプニッツアリストテレス以来の伝統的な論理学に対して大きな風穴を開けた。彼は論理的思考を主語と述語という人間の対象認識のパターンに即して考えた。この考え方は今日の記号論理学につながる。だが、ライプニッツ自身は生前それを公表しなかった。もし彼がそれを公表していたら、論理学は違った発展を遂げた筈である。人間は、対象を認識してそれを言語で表現する場合、「主語+述語」という命題で表す。この場合、述語としては決して用いられることがなく、主語としてのみ用いられるものがある。これが実体である。このようにライプニッツの実体概念は、論理学と密接に結びついている。
 主語+述語で表される命題には、全称命題と特称命題がある。全称命題とは、例えば「すべての人間は死ぬ」といった命題であり、特称命題とは、「ソクラテスは死ぬ」といった命題である。ライプニッツが主に考察の対象としたのは、特称命題だった。その中で述語があらかじめ主語の中に含まれている命題は分析命題と呼ばれ、そのためいつでも真である。ライプニッツはこの分析命題を根拠として矛盾律と充足理由律を自分の哲学の基礎とした。矛盾率は「すべての分析命題は真である」ということを述べており、充足理由律は「すべて真なる命題は分析的である」ということを述べている。
 ある主語には様々な述語が内包されているが、その中にはそれを捨象しても主語の主語としての本質に影響しないようなものもあれば、それを捨象すると主語が主語として成り立たないようなものもある。例えば、カントについて「食事した」という述語がなくともカントであることは可能であるのに対して、「人間である」という述語を取り除くと、カントでなくなってしまうといった具合である。
存在と論理
 ライプニッツは存在を論理によって導き出そうとするような観念論者だった。ギリシャ以来、哲学とは存在の根拠を問い続けるものであり、それを物質的なものと考えようと、イデアのような観念的なものと考えようと、まず問題とされるのは存在そのものの姿であった。その存在について、どのように説明すれば、世界がもっとも整合的に解釈できるか、哲学者はそれを求めて思索を続けてきた。だから、唯物論であれ、観念論であれ、存在を一義的な与件として措定する点においては、共通の地盤に立っていたのである。ところが、ライプニッツにはこの存在そのものを棚上げして、論理的な操作を優先するところがある。なるほど、彼の論理学は統語論を解剖することから成り立っており、その限りで、主語+述語関係のうちに含まれている存在性を問題にしないわけではないが、問題設定として存在は出てこないのである。
 伝統的な議論においては、真理とは存在と一致する言明のことであった。だが、ライプニッツはそれを純粋に論理的な無矛盾性(consistency)のうちに解消してしまう。つまり真なる言明とは、論理的に矛盾のない言明のことであり、あらかじめ主語の中に含まれている述語が主語と結びついたところに成立する。彼にとって真理とはトートロジーや分析命題とあまり違わない。だから、存在と真理は独立している。ライプニッツにとって存在は大した意味を持っていない。その証拠に、存在とは無数にある実体が自分の属性としてもっている多くの可能性のうちの一つに過ぎない。彼によれば、ある実体は存在するかもしれないし、存在しないかもしれない。だが、それはその実体の価値とは無縁で、それを巡る言明が真理であることと無関係である。世界には実体としてのモナドが無数に充満している。その無数のモナドは互いにかかわりを持たず独立しているにかかわらず、調和ある世界を生み出している。それは無数にあるモナドのうちで、互いに両立しあう部分が顕現し、その結果、整合的な事象のみが生じているからである。整合的な世界があるということは、それにかかわっているモナドの組み合わせに矛盾がないことを意味している。逆にこのような組み合わせと矛盾しているような属性をもったモナドは、顕現することを許されない。この顕現がライプニッツには存在なのである。それは可能なモナドの組み合わせのうちで、もっとも矛盾の少ないものを意味する。モナドとは実体のことであり、それは言い換えれば、主語‐述語関係における主語のことである。世界には無数のモナドがあるというライプニッツの主張は、世界には無数の論理的な主張があるということと同義である。ライプニッツにとって重要だったのは、存在ではなく、論理だった。