哲学の未解決問題(2)

 次の問題も解くことができるかどうか定かではない問題です。最初から「機械は考えるか」を一心不乱に解こうとしても決してうまくいきません。「考える」とはとても人間的なことで、それゆえ重要なことだとわかってはいたのですが、それが具体的にどのようなことなのか、20世紀までは誰もよくわかりませんでした。さらに、考えるとは「人が考える」ことか、あるいは「人に似た動物が考える」ことか、はたまた人や動物とは違った機械が独自に「考える」ことなのか、判然としていませんでした。そんな中で答えを見出そうとすると、「機械が考えるか否か」という問いはYesにもNoにもなる理屈を捏ねまわすことができてしまいます。

機械は考えるか(心、Mind)
機能主義(functionalism)は機械(ここではコンピューターのこと)が(人間の)普通の心をもつことができることを主張しているようにみえます。機械はその機能的な体制によって心をもてるのでしょうか。もしそうであれば、機械は同時にある種の道徳的な地位ももつことになるでしょう。すると、私たちは機械に対して非人道的なひどい扱いをすることができないことになります。つまり、(心をもった)機械を殺すことはできないことになります。でも、単なる機能的な体制がどのようにして心を生み出すことになるのかは明らかではありません。
チューリング(A. Turing)は「機械は考えるか」という問いが余りに漠然とし過ぎていると考えました。考えるとはそもそもどのようなことなのでしょうか。この問いに正確に答えるには漠然とした問いを正確な問いに変える必要があります。コンピューターは人を模倣するといったゲームで人間と互角に戦うことができるのでしょうか。この問いも正確にしなければなりません。そこで考えられたのがチューリング・テストでした。そのテストは、コンピューターと人に同じ質問を何度もして、それぞれの回答に区別がつけられないならば、そのコンピューターはチューリングテストに合格したと判定されるというものでした。
  サールの「中国語の部屋の論証(Chinese Room Argument)」は強いAIに向けられていました。強いAIは、適切にプログラムされたコンピューターは心そのものである、正しいプログラムが与えられたコンピューターは(人と同じく)文字通り何かを理解することができる、と果敢に主張するのです。この主張に反対するサールの思考実験が中国語の部屋の論証です。この思考実験に対するサールの否定的な解答に対する機能主義サイドからの主要な返答は次のようにまとめることができます。

1. システムによる解答
中国語を理解するのは、中国語の部屋にいる中国語を知らないサールではなく、彼がその一部になっているシステム全体です。サールだけでなく、規則とデータ、入ってくる紙と出ていく紙の全体が中国語を理解するということです。
2. ロボットによる解答
「知覚的」そして「運動的」な能力(例えば、カメラやセンサーとロボットアーム)を駆使することによって、システムは理解しています。でも、サールは、それだけでは不十分で、知覚的な情報と運動能力だけでは中国語の理解には至らないと考えます。
3. 脳のシミュレーションによる解答
システムの「規則」が人の脳が働く仕方に基づいているとしてみましょう。中国語を話す人の脳の機能的な複製は確かに中国語を理解します。サールは、 (i) 機能主義が多数実現可能性(multiple realizability)を許すのであれば、私たちはどのように脳が働くかをなぜ知る必要があるのだろうか、と問い返し、(ii) 複雑な脳のようなシステムはそれでも理解できない、と考えます。
4. 目的による解答
知性は広範な外部環境の下での多様な目的のバランスを取る能力です。コンピューターはこの知性を欠いています。というのも、コンピューターの柔軟性、可塑性を著しく制限することになり、コンピューターは人間が与える情報に頼り、自らの目的を展開できないからです。

ここでジャクソンの知識論証(Knowledge Argument)に戻り、メアリーの思考実験の変形を考えてみましょう。

1.外に出る前にメアリーはすべての物理的、機能的な事実を知っている。
2.そして、メアリーは新しい事実、色経験とはどのようなものかを学ぶ。
3.経験とはどのようなものかについての事実は物理的あるいは機能的な事実ではない。

これは、機能主義が経験の「これはどのようであるか」についての説明ができないことを示しているのでしょうか。
 機能主義は、色経験がどのようなものかを知ることが内側からのようなものだということに反対はしません。あなたはあなた自身の経験を実際にもたなければなりません。内側から知ることはある種の情報を知ることではないからです。それは特別の種類の知り方で、見知りによる知識(Knowledge by Acquaintance)です。
メアリーは、内観的に脳状態を識別するまで、色の経験の書物による知識しかもっていません。そして、その後、彼女は色を知るのです。