ノアサガオの花

 アサガオとなれば夏の花なのだが、野生のアサガオとも言えるノアサガオは未だに元気に咲き誇っている。樹木に巻き付く逞しさには脱帽である。「野朝顔」とは何とも味気ない名前だと言いたくなるのだが、一方で「野菊」も「野薔薇」も多くの人は味のある名前だと思う。どうして「野朝顔」は味気ないのかよくわからない。アサガオは昔から園芸種で,野の草ではなかったからなのか。確かにノチューリップは変である。

 ノアサガオは熱帯から亜熱帯地域に自生するつる性の多年草で、沖縄では海岸付近に旺盛に繁茂している。画像のような赤みのある青色の花が代表的だが、昨今の「緑のカーテン」ブームによって、注目されている植物の一つで、窓や壁を覆って日ざしを遮り、柔らかな日陰をつくってくれる。

 一年草アサガオと比べて格段に強く、10m以上もその蔓を伸ばす。開花期間は長く、霜が降りる11月まで咲き続け、10月上旬には花数が最も多く、美しくなる。しかもヒルガオのように花は夕方まで咲き続ける。

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ユークリッドの公理系に加えられた二つの公理

 ユークリッド幾何学には多くの暗黙の前提が使われています。それらが19世紀に指摘され、改良する試みがヒルベルトによってなされました(Hilbert, D.(1899),Grundlagen der Geometrie(『幾何学の基礎』寺坂英孝・大西正男訳・解説、共立出版、1970))。ヒルベルトの公理系には基本的な公理の他に、アルキメデスの公理とデデキントの公理の二つが採用されています。

 線が完備である、つまり線にはギャップがない(つまり、連続している)というのがデデキントの公理ですが、これは実数の連続性(continuity of real numbers)とも呼ばれ、実数の集合がもつ性質です。また、実数の連続性は完備性(completeness of the real numbers)とも呼ばれます。デデキントの公理、あるいは実数の連続性(完備性)の公理は次のように表現できます。

 

 実数を、次のように、空でない集合AとBに分割する。すべての実数はAかBのどちらかに属し、AとBに共通部分はないとする。さらに、Aの元は必ずBのどの元より小さいとする。すると、

 (1) Aに最大値があってBに最小値はない。

 (2) Bに最小値があってAに最大値はない。

のどちらかのみが成り立つ。

 

 アルキメデスの公理は「どんな長さも別の長さに比べ、無限に長いことはあり得ない」というもので、これは「任意の二つの線分ABCDについて、ABn倍がCDより長くなるようなnが存在する」と同値です。

 2つの量abがあるとき、bを何倍かすると、いつかはaをこえるというのがアルキメデスの公理。順序概念のある加法群で、ab>0について、anbとなるnがあるとき、アルキメデス的と言われます。これは、nを十分大きくすれば、どんなaよりもnb が大きくなることを意味します。さらに分割が保証されていれば、これはa/nb、つまりan等分すればどんな正の数bよりもa/nが小さくなることを意味します。

 デデキントの公理とアルキメデスの公理を見ると、いずれも実数の持つ性質についてのものであることに気づきます。直線という幾何学的対象について実数を使って特徴づけようとすると、実数の持つ二つの特徴、完備性と順序性をそれぞれ公理化する必要が出てくるのです。この公理化によって、点と線は「順序よく、隙間なく並んだ点が線となり、それは実数として表現できる」ことになるのです。こうして、ヒルベルトによるユークリッド幾何学の公理化は直線を実数として表現することだったのですが、その実数の研究は解析学に結実し、自然の数学化を先導することになったのです。

ホトトギスの花

 「ホトトギス」と聞いて、鳥と植物のいずれを思い浮かべるだろうか。大抵の人は鳥の方で、信長、秀吉、家康を比較した歌を思い出す歴史好きも相当いる筈である。植物のホトトギスは知らない人が多い野草の一つで、名前は花びらにある紫色の斑紋が鳥のホトトギスの胸の斑紋と似ていることに由来するらしい。鳥のホトトギスは横縞模様だが、野草の斑紋には横縞模様から大小の斑点まで様々である。

 ホトトギス属の植物は19種知られており、いずれも東アジアに生育。日本には12種分布している。この分布の仕方から、日本はホトトギス属の分化の中心地と言える。ホトトギスユリ科の植物で、園芸種としても人気があり、白〜紫の花弁に濃い紫の小さい斑点がつく(画像は二種類の園芸種)。ホトトギスの開花時期は8月〜10月頃で、紫色だけでなく、斑点のない真っ白な花や黄色に赤紫の斑点がつく品種もある。

 ところで、俳句の季語となれば、「雪月花」は冬秋春を代表する大きな季語。これに夏の「ほととぎす」(鳥)を加えて四季となる。それだけに異字も多様で、「時鳥、子規、不如帰、杜鵑鳥」などはよく知られているが、さらに「沓手鳥、田長鳥、早苗鳥」等々。口の中が鮮紅色なので「鳴いて血を吐く」(正岡子規の俳号の由来)と言われ、死出に通ずることから冥途の鳥と忌まれることもある。ホトトギスは夏の渡り鳥で、雪月花と異なり、他の季節にまたがることはない。「杜鵑鳥、杜鵑花、杜鵑草」と音には反映されない漢字(鳥、花、草)をつけて使い分けているが、何とも苦しい気がするのは私だけではあるまい。植物の「ホトトギス」は秋の季語。

*『ホトトギス』は明治30年(1897)松山で創刊。正岡子規主宰。34歳の若さで亡くなった子規は結核を患い、喀血した自分を「鳴いて血を吐くホトトギス」に重ね、ホトトギスの表記である『子規』を俳号とした。また、『不如帰』は徳富蘆花の小説。明治31~32年(1898~1899)発表。

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ふるさとの味

 高野辰之は信州の中野出身、室生犀星は越前の金沢出身で、共に越後に近い。その二人はまるで異なる風にふるさとを詠う。高野の唱歌「ふるさと」は、

 

うさぎ追いし かの山 

小鮒つりし かの川 

夢は今も めぐりて 

忘れがたき 故郷

 

と、ふるさとを懐かしく讃えることによって、日本人のふるさと観の原点になってきた。一方、犀星は高野とは違った心持でふるさとを詠う(『小景異情-その二』)。

 

ふるさとは遠きにありて思ふもの

そして悲しくうたふもの

よしや

うらぶれて異土の乞食となるとても

帰るところにあるまじや(以後略)

 

 犀星は犀川の近くで生まれた。「犀星」はそれに因むのだろう。21歳の時、文人を目指し、故郷を捨てて東京に出た。東京では貧困の中で詩作を続け、食い詰めると金沢に帰っていたようである。

 高野と犀星のそれぞれの心情を両方とも綴ったのが石川啄木。ふるさとを懐かしみ、賛美するときもあれば、ふるさとへの恨みをそのまま表すこともあるのが人の自然な姿なのだろう。

 

ふるさとの山に向ひて言ふことなしふるさとの山はありがたきかな

石をもて追はるるごとくふるさとを出でしかなしみ消ゆる時なし

 

 子規の「春や昔十五万石の城下かな」や芭蕉の「旧里や臍の緒に泣く年の暮」は子供の頃のふるさとを懐かしく思い出し、感慨に耽っている。さらに、出雲崎良寛は「山里は蛙の声となりにけり」とふるさとを心から楽しんでいるのだが、信濃の一茶となると、「古里やよるも障も茨の花」と詠んで、ふるさとの居心地の悪さをものの見事に表現している。

 このように文人たちのふるさとの描き方を見てくると、ふるさとは懐かしいものであり、苦いものでもあることがよくわかる。さて、読者諸氏にとって自らのふるさとはどのような味がするのだろうか。

ツルムラサキの花と実

 ツルムラサキが絡まった姿を見て驚き、それが食べられると知ってさらに驚いたことを思い出す。とはいえ、まだツルムラサキを食べたことがなく、その味を伝えることができないのが残念である。

 ツルムラサキツルムラサキ属の二年草で、熱帯アジア原産のつる植物。今では花壇や食用によく栽培されている。花期は7月から9月頃で、花には花弁がなく、萼片も全部は開かない(画像)。カロチンが大変多く含まれ、健康食品として一時期もてはやされていた。若い茎葉をおひたしや和えもの、また炒めものや汁の実にも利用できる。スーパーなどで販売されているのは、おもに緑茎種とのこと(画像は赤茎種)。

 その実を食べることはないが、黒い実をつぶすと鮮やかな赤紫の果汁が出る。この果汁を食紅のようにゼリーや和菓子などの色づけに使うと、薄紫のきれいな色の食品ができる。青い実は葉と一緒にゆでて、おひたしにすると、海ぶどうのようにプチプチしておいしいらしい。熟した黒い実は、中に大きな種があるが、緑のものはまだ種は無く、丸ごと食べられる。

 黒い実をつぶすと、赤紫の汁が出て、これが手につくと、なかなかとれない。

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越後の端に生まれた私のコンプレックスなのか?

 「新潟県中頸城郡新井町大字小出雲」というのが子供の頃の私の住む住所で、とても長く、難しい漢字が続きます。そこは越後の端の地域。頚城は西頸城、中頸城、東頸城からなり、古くは上越地方を指した「久比岐」にまで遡るようです。既に奈良時代には「久疋郡」(正倉院庸布)、「頸城郡」(東大寺文書)と記されています。郡名の由来については、「国引き」説、古志(腰)(=古志郡)に対する「頸(首)」説、蝦夷を防ぐための「杭柵(くひき)」説などがあり、「頸城」という郡名が越後の住民が自発的につけた名前ではなく、外からつけられた地名であることを示唆しています。

 越後についてまとめられた文書となれば、鈴木牧之『北越雪譜』、橘崑崙『北越奇談』が有名です。よく取り上げられる「越後七不思議」に登場する多くは雪と石油に関わる自然の特徴であることがわかります。『北越奇談』に挙げられている頸城郡の勝所は市振、居田、五智、今町、関川、高田、春日山林泉寺などですが、上越地方の記述は圧倒的に少なく、越後の中心ではないことは誰の目にも明らかです。

 信濃からはずれ、越後の端に位置する妙高市新潟県の端であることを実感したのが小学校の修学旅行で新潟に行った時でした。長野市に比べると新潟市はなんとも遠く、まるで違う地域と感じたのですが、その長野も松本、諏訪、木曽などと比べると随分と違います。信州大学の多くの学部は長野ではなく、松本に集中しています。そのためか、信濃と越後の一部を組み合わして、「信越」県をつくってもよさそうな状況は十分にある訳で、「妙高戸隠連山国立公園」はそのような状況を見事に表現しています。

 とはいえ、自分が越後の人間で、信濃の人間ではないという意識があるのも確かなことで、そんなケチな根性はすっかり葬り去るのがよいに決まっているのですが、そうするとそれはわがふるさとの喪失につながります。この二律背反的な状況が私の中でずっと持続しており、おそらくそれは私が死ぬまで変わらないのだろうと今では観念しています。

 

*越後と信濃の間で揺れる私の「ふるさと観」は私の生まれた地域に大きく依存しているようです。上越市妙高市でも平坦な地域だと随分と違っていて、私のような宙ぶらりんの気分にはならない筈です。私が生まれた家の前は北国街道で、(小出雲坂ではありませんが)小出雲の最初の坂がちょうど始まるところだったのです。家の周りは斜面が多く、平野から里山へと地形が変わり始める場所だったのです。そして、平野は越後、山地は信濃という私の心の中での二分化がいつの間にか出来上がり、それは覆すことのできない事実として持続しているのです。ですから、私にとって妙高は越後と信濃の国境のような地域で、ある時は越後、別の時は信濃となってきました。

ピラカンサ、そしてソヨゴやナナミノキの赤い実

 タチバナモドキ、カザンデマリ、トキワサンザシは、いずれもバラ科タチバナモドキ属に属し、総称としてピラカンサと呼ばれ、棘があり、葉が長楕円形であるなど、とてもよく似ている。私には見分ける自信がない。

 ピラカンサは生け垣や鉢植えとして栽培される常緑低木で、まとめてピラカンサと呼ばれている。湾岸地域でもよく見かける。日本には明治時代に導入されたが、果実が美しく、特別な管理をしなくてもよく育つ。春に開花する花は白色で観賞価値が高く、秋には美しい果実がたわわに実り、葉は濃緑色で光沢がある。

 ヨーロッパ南部からアジア南西部に自生するトキワサンザシは、最も多く栽培される種類。鋸歯(きょし)がある葉は濃緑色で、両面とも毛がない。秋には鮮やかな赤色の果実を多数つける(画像)。

 一方、ピラカンサよりずっと実が少なく、色も地味なのがソヨゴやナナミノキである。見比べると、ピラカンサの実の色と量の圧倒的な迫力がわかる。

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ソヨゴ

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ナナミノキ