言葉のもつ力と言葉を操る力と

 私たちは言葉をもつ動物です。その言葉は自分の信念や欲求を正確に表現し、的確に相手に伝える力、能力をもっています。真実を、正確に、詳細に、雄弁に表現できるのが私たちのもつ言葉で、その力は他の動物のコミュニケーション能力をはるかに引き離しています。これらの力は言葉そのものの力とその言葉を私たちが操る力との二つに分けることができます。それがタイトルの「言葉のもつ力と言葉を操る力」のことです。
 しっかりした文法、豊富な語彙、正確に叙述する文、巧みな表現からなる会話等々、言葉自体が規則的に組織化されていて、それゆえ、言葉を系統的、組織的に習得していくことができます。現在私たちが使っている言葉はみな学習することができ、互いに訳し合うことができます。高度に練り上げられた言葉のシステムは長い歴史の中でつくり上げられ、それは今でも日々変化しています。
 次が言葉を操る能力。2歳の幼児は既に言葉を操り、コミュニケーションができるようになっています。言語習得はまだ続きますが、言葉をマスターするとは言葉自体の規則の習得だけではなく、言葉の使い方の習得でもあります。それがさらに進むと、言葉を操る専門家と呼んでもよい人たちが現れます。言葉に係わる職業をもつ人は少なくありません。作家や詩人は言葉を操ることが仕事です。
 ここまでは何の変哲もない話。ここからは騙し、欺くという人間的な悪行について考えてみましょう。人を騙すことは倫理的に褒められたものではないというのが相場です。でも、マジシャンは観客を騙せば騙すほど称賛されます。その称賛の理由は何か。人を騙すのではなく、人の知覚を騙すだけだというのがその理由で、これは理屈にかなっています。嘘をつくのもよくないことですが、人にではなく病原菌に対して騙して退治するのであれば、誰も非難しないでしょう。
 私たちは信じることを阻むこと、信じることを疑うことができます。そんなことはいとも簡単なことで、デカルトに言われなくても十分知悉していることです。自分が信じていることを疑い、苦悶した経験は誰でも幾度かはしている、ごく普通の経験です。そこから私たちは、「信じたことを単純に真だと信じてはいけない」ことを学びました。その結果は大切この上なく、実証的な真理だけを真理とすることでした。
 「信じない、疑う」ことと「騙す、嘘をつく」ことの間には大きな溝があります。信じないのも疑うのも私が自分だけの都合で勝手に意識内でできることであり、それは私的な心理的出来事に過ぎません。でも、騙すのも嘘をつくのも私一人でできることではなく、騙す相手、嘘をつく相手がいる公的な出来事なのです。
 「騙される」のも私だけではなく、騙す相手がいなければ成り立ちません。「騙す-騙される」という相互関係はどのような関係なのでしょうか。「騙し合い」はその相互関係が二重に重なった関係です。この騙し合いというコミュニケーションの特別の形態は私たちの社会に緊張と注意をもたらしてきました。騙し合いの存在はコミュニケーションに陰影を与え、コミュニケーションが一筋縄ではいかぬ構造をもち、それがコミュニケーションを人間的なものに仕立て上げてきたのです。
 さて、人は何故騙すことができ、そして騙されることが可能なのでしょうか。騙し合いには人の場合、言葉が不可欠な仕方で関わっています。言葉が騙し合いの仕組みを供給しているのです。最初に、言葉のもつ力、言葉を操る力を強調しましたが、それら力は言葉自体のしっかりした構造から生まれるものだと述べました。皮肉なことですが、その力が騙す力、欺く力になっているのです。
 この正負の効果は力の裏と表の顔ということになります。記号化、コード化、文法、意味、さらに、表現とその使用というコミュニケーションの堅固な仕組みが信頼できる情報を生み出すとともに、「騙す」、「欺く」、「嘘をつく」ことを可能にするのです。騙すことができない言語があったら、それは言語ではありません。文を自由につくることができ、それを自由に組み合わせて出来事を記述できるのですが、その際、偽の文も真の文も巧みに組み合わせ、事実とは異なる架空の話をつくり上げることも自由にできるのです。
 文法規則は正直な使用にも欺きの使用にも公平です。真なる文しか生み出すことができない文法の規則があったとすると、その文法の公理はすべて真なる文で、そこから規則によって生み出されるどんな文も真、このような文だけがつくれるなら、偽なる文は生まれる余地はありません。でも、文法の規則は否定を含まなければならず、ある真なる文からその否定形がつくられ、それは真なる文ではなく、それゆえ、偽なる文になり、それを使って人を欺くのはいとも簡単なことです。
 私たちは情報を正しく伝える手法を練り上げ、論理や言語を生み出し、正しい情報を伝えることができるようになりました。真正なコミュニケーションによる情報の伝達と蓄積から知識がつくられ、私たちは世界を征服することができたと言われています。でも、同時に私たちは人を騙し、嘘をつくことができる欺きの手練手管も手に入れることになりました。偽なる概念の発見は真の概念の発見と並んで重要であり、それが神の文明ではない、人間独特の文明をつくり上げてきたのです。嘘、偽、騙し、欺きを許す文明が人間の文明であり、それが人間を幸福にすると同時に不幸にもしてきたのです。

*「創世記」11章 「バベルの塔」の要約
 地上の人々はみな「同じ言語を話す、ひとつの民族」でした。東方に移動しながら生活していた人々は、シナル(シュメール)の平野に住み着きました。彼らは神がつくられた「石と漆喰」の代わりに「煉瓦とアスファルト」を使った技術を見つけました。人々は団結力を高めようと、その技術を駆使して「都市」と「天国への階段(=塔)」を築き始めました。 神はその都市と塔を偵察し、彼らの団結力が神の存在を脅かすと危惧します。人間が「単一民族」で「単一の言葉」を話しているこのような事態になったと結論します。そこで、神は地上を混乱させるために人間が使う言葉を互いに通じないようにしました。そのため、人々はコミュニケーション不能に陥ることになり、都市と塔の建設はできなくなり、まとまった集団は崩壊したのです。人々は世界の各地へ散らばり、やがて別々の言葉を話すようになります。こうして世界は分裂し、崩壊した都市はバビロンと呼ばれました。

 

f:id:huukyou:20200730043953j:plain

(Pieter Brugel the Elder, The Tower of Babel, 1563, Wikipediaより)

 

シロヤマブキの実

 シロヤマブキ(白山吹)はバラ科シロヤマブキ属の落葉低木で、庭や公園でよく見る。花期は4-5月で、径3-4cmの両性花を側枝の先端に一つずつ咲かせる。花弁は4枚で白色(以前の画像)。果実は痩果(種子が果皮に包まれ、それが一見種子に見える)で、夏に一つの花に光沢がある黒色の実を4個ずつつける。実は黒く熟す。野鳥に人気がないためか、長い間枝に残る。

 シロヤマブキとシロバナヤマブキは違うと以前述べたが、シロヤマブキは実が黒く、シロバナヤマブキは実が褐色である。春のシロヤマブキの白い花は印象的だが、その後の4個の実もまた見事に黒い。黄色いヤマブキは5弁の花に実を1個から5個までいろいろつけるが、八重のヤマブキは実をつけない。

f:id:huukyou:20200730035447j:plain

f:id:huukyou:20200730035507j:plain

f:id:huukyou:20200730035523j:plain

 

視覚経験は主観的なのか

 私たちの視覚経験は客観的な科学的知識と違って主観的だと言われてきた。科学的知識と違って、主観的的で個性的なのが人がものを見る経験だと信じられてきた。視覚をその「仕組み」と「志向的内容」に分けて、どれほど主観的か見直してみよう。
 眼はカメラと同じ構造をもち、視覚像は大脳内で電気的に処理される、といった仕組み自体は、私たちには直接見ることができず、それゆえ経験することができない。だが、その仕組みは科学的に実証された知識である。また、視覚は「何かについての」視覚であり、その「何か」が視覚の志向的内容。それは見えているものや風景で、私たちが直接に経験し、そこから知識や情報を獲得する源である。
 私たちは眼の構造や仕組みを直接に経験して、それを主観的に気づくことができない。視覚の仕組みは、外の世界の山や川、車や家と同類の存在からできているが、それらと違って、視覚の仕組みは見えないもの、意識できないものである。研究結果を利用し、実験や観測装置の工夫によってその一部は再現でき、あるいはCGで経験が可能になっている。眼の構造や仕組み、その働きは主観的な視覚体験の何に対応しているかを知ることが真に重要な仕事なのだが、今のところは客観的にわかる範囲での研究が先行している。
 一方、視覚の志向的内容は私の視覚の内容で、私だけが経験できるもので、それゆえ、主観的な意識である信じられてきた。こちらは私の私的経験を別の人にどのように伝えるか、経験させるか、が真に重要なのだが、これは私的経験のコミュニケーションの問題として様々な研究がなされてきた。
 では、視覚の志向的内容はどれほど主観的なのか。20世紀以降、写真や映画、テレビが発達し、映像文化が飛躍的に浸透した。戦後間もない映画館では映画の同じシーンに観客が一斉に涙する光景がよく見られた。映像と音を通じて、実際に自分がそこにいるかのように場面を楽しんだ。映像の編集に主観的なものを感じる人はいても、映像そのものに主観性を感じる人はいない。映画以前の写真や絵画を考えても事情は変わらない。描かれている人物や事件は知覚の志向的内容であり、客観的でなければ意味がないという状況で描かれたものである。古典的な絵画の志向的内容は描かれた人物や事件であり、観る人にそれらを正しく伝える目的があった。私たちに見えた通りに描くのが似顔絵や肖像画。風景はどこの風景かがわからなければならなかった。
 志向的内容は客観的であるだけでなく、科学的でもある。太陽や月、気候や季節、さらには色や匂い、それらが科学によって解明され、それがそのまま志向的内容となってきた。科学的知識こそが志向的内容を豊かにしてきた。視覚の仕組みが科学的に解明され、視覚が拡大され顕微鏡や望遠鏡につながっただけでなく、視覚の志向的内容も科学的知見によって豊かに、正確になり、視覚データがより精緻に特徴づけられることになった。
 このようにみてくると視覚経験は視覚の仕組みと視覚の志向的内容の両方で科学的知識に負っていることになる。つまり、視覚経験とはその肝心なものが客観的であり、主観的なものを見つけ、その存在理由を見つけるのが実は大変な経験なのである。

 そこで、真に「主観的」な風景などあるのだろうか?三つの印象的な絵が画家の主観的な風景ならば、主観性とは個性の別名となり、問いへの答えはYesとなるのだが…(他人の個性は理解可能、だから、若冲等伯雪舟の絵画を私たちは味わうことができる、それゆえ、答えはNoという方が正しいのでは…)
 (…そんな哲学詮議より、三者三様の美的感覚の凄さに圧倒される方が生きる喜びというもの(画像は、雪舟「秋冬山水図」、長谷川等伯「松林図屏風」、伊藤若冲「群鶏図」)、いずれもWikipediaより)。)

f:id:huukyou:20200729052614j:plain

雪舟「秋冬山水図」

f:id:huukyou:20200729052717j:plain

長谷川等伯「松林図屏風」

f:id:huukyou:20200729052800j:plain

伊藤若冲「群鶏図」

 

カクレミノの花と実、そして葉

 カクレミノ(隠蓑)は、ウコギ科カクレミノ属の常緑亜高木。原産地は日本をはじめとする東アジアで、庭木などによく用いられており、最近は公園でもよく見かける。花期は6-8月で、両性花だけつく花序と、雄花と両性花が混じる花序がある。果実は長さ1cmくらいで先端にめしべの花柱が残り、晩秋に黒紫色に熟す(画像は昨年のもの)。

 カクレミノは神様へのお供えなど神事に使われてきたが、その特徴が葉の形。芽生えたばかりの時は切れ込みのない葉だが、幼木では深く3~5裂し、ヤツデに似ている。生長するにつれ、切れ込みは浅くなり、全縁の葉と3裂した葉が混ざるようになる。先端につく葉は葉柄が短く、切れ込みが浅いが、それより下についている葉の葉柄は長く、上の葉と重ならないようになっている。大きく生長した葉では、全縁で長楕円形の葉ばかりとなる。

f:id:huukyou:20200729042824j:plain

f:id:huukyou:20200729042845j:plain

f:id:huukyou:20200729042909j:plain

f:id:huukyou:20200729042935j:plain

f:id:huukyou:20200729042950j:plain

 

校是「第一義」

 早稲田実業の校是は「去華就実」、校訓が「三敬主義」。「去華就実」は「華やかなものを去り、実に就く」ことで、「実業」精神そのもの。「三敬主義」は天野為之(早稲田実業第二代校長、早稲田大学第二代学長)が唱え、「他を敬し、己を敬し、事物を敬す」という思想。早実の校是、校訓は単刀直入、単純明快。一方、我らが高田高校の校是は「第一義」、校訓が「質実剛健堅忍不抜、自主自律」。ある人は「第一義」を謙信のモットーと呼び、別の人は座右の銘と記し、加藤徹男現校長は公式Webサイトで「上杉謙信公に由来する「第一義」を校是とし、…」と述べるにとどまる。校是「第一義」は一体何を主張しているのか。それを見つけるのがこの雑文の目的。

(1)謙信の「第一義」

 謙信の「第一義」は達磨大師と梁の武帝の問答中に登場。中国に禅を伝えた達磨が梁の武帝と問答し、仏教に帰依する武帝が「如何なるか聖諦(しょうたい)の第一義(仏教最高の真理は何か)」と尋ね、達磨は「廓然無聖(かくねんむしょう)(カラリとして聖なるものはない)」と応じ、そう答えるのは誰かと問う武帝に、達磨は「不識(ふしき)(知らない)」と答える(『碧巌録』第一則)。

 「聖諦の第一義=廓然無聖」に似た表現を探せば、「力学の第一法則=慣性の法則」、「熱力学の第一法則=エネルギー保存の法則」など。聖諦、力学、熱力学という条件を外すと、「第一義」、「第一法則」だけとなり、何の原理、法則を指すかわからなくなる。第一義が廓然無聖であるためには「聖諦」が、第一法則がエネルギー保存の法則であるためには「熱力学」が不可欠。「第一義」を辞書で調べても、根本的な原理、道義とあるだけで、何の原理、道義なのかは全く不明。校是「第一義」もまた然り。それゆえ、「第一義」は禅寺の扁額という条件のもとでは頗る適切でも、扁額から離れ、条件なしの校是となると、至極不適切。

 時代は下り、謙信と林泉寺の和尚益翁宗謙がこの「不識」問答を行う。「達磨の「不識」の意味は何か」と和尚が尋ね、謙信はそれを考え続け、ついに気づく(どう気づいたか識りたいが、私にはわからない)。謙信に武帝のような権力者になってほしくない、謙虚な心を忘れないでほしい、と和尚は考えた(和尚のこの考えと不識との関連も私にはわからない)。とにかく、和尚の心を知った謙信は林泉寺の山門に「第一義」の扁額を掲げたと言われている。

(2)義、義理と第一義

 「義の人謙信」の「義」は、「利」の対局にある儒教概念。義とは正義であり、大義名分。こうなると、人は謙信の第一義を義だと解したくなる。江戸時代に入り、朱子学の「義理」が広まり、謙信の義理堅さが知れ渡る。その中で起こった変化が上杉家の藩校「興譲館」の教育方針。細井平洲と上杉鷹山は学問の目的を「譲るを興す」こと、つまり「相手を思いやる」ことだと説き、倫理の基礎を正義から善へ移した。「興譲の精神」を第一義としたのが米沢興譲館高校となれば、「高田高校の第一義は何か」と問い直したくなる。江戸社会では儒教の「義」が「義理」へと転化し、西鶴の『武家義理物語』でさらに庶民化される。亀井勝一郎によれば、義理は「江戸文化の草化現象」の一つ。こうして、義、義理、さらに人情が江戸の時の流れの中で絡み、縺れ合うが、謙信の「第一義」とはすれ違う。

(3)校是の決定とその意図

 そんな「第一義」が校是となった経緯を探ろう。竹澤攻一著『新潟県立高田高等学校沿革史余話』に鈴木卓苗(たくみょう)第9代校長の訓辞が記され、久島士郎氏がそこから「…偲ぶべき唯一の宝物林泉寺山門の大額に跡をとどむる第一義をそのまま採って以て本校の修養目標と定めたい…」(一部改変)と引用されている(『雪椿』、平成21年、p.37)。「第一義」を校是に定めた鈴木校長は1879(明治12)年岩手県延命寺に生まれ、16歳で如法寺(曹洞宗)の養子となる。東京帝国大学哲学科に入学し、参禅三昧の学生時代を送る。新発田中学校の教諭の後、高田中学校校長となり、在任中に全校生徒による「妙高登山」を始めた。同郷の宮沢賢治とも知り合いで、曹洞宗、哲学科、座禅となれば、禅の公案からの校是採用もわからなくはない。だが、「第一義」をそのまま校是にしたのは単なる論理的誤謬か、それとも教育的な深慮の末か、それが私にはわからない。

 1866年高田藩は長州で敗れ、帰藩後に藩校「修道館」を急遽つくる(後に「脩道館」と改称)。それを母胎にした高田高校を含む上越地方では謙信人気が衰えず、それは林泉寺の扁額のみならず、最近の国宝「山鳥毛」の取得活動にも窺える。越後の英雄の遺物は唯一自筆の扁額のみとなれば、「第一義」は最初から謙信を崇め、敬うという郷土の文脈の中で、謙信を指示する唯一の象徴として校是に選ばれたのではないか。そうであれば、校是は第一義の概念的な意味ではなく、それが象徴するものとなる。

(4)漱石の「第一義」

 校是を側面から支持するのが夏目漱石の「第一義」。漱石の「第一義」は「人生の第一義」であり、「人生の第一義は道義に裏打ちされた生き方」というのが漱石の答。そして、この答が「第一義」の近代的な意味となり、多くの日本人に受容されていく(鈴木校長も『虞美人草』を読んでいた筈で、彼が高田中学に在職していたのは1915年頃で、『虞美人草』の初出は1907年)。

 その漱石が感銘を受け、『虞美人草』執筆に至る扁額がある。それは宇治市萬福寺総門の扁額「第一義」。萬福寺の第五代高泉和尚は書や詩文に長じた高僧。総門の建て替えで、書かれた額字「第一義」は見事な能筆。鈴木校長も漱石と同じように扁額「第一義」に触発されたと考えたくなるが、そこに漱石のような人生解釈は見つからない。他の「第一義」を探せば、鈴木大拙の『禅の第一義』(1917年)、島木健作の小説『第一義』(1936年)、『第一義の道』(1936年)など。また、成城学園創立者澤柳政太郎は漱石と大学同窓で、「所求第一義(求むるところ第一義)」を校是に掲げた(1917年)。「所求第一義」は「究極の真理を求めよ」という主張。上記いずれも「何の」第一義かが定まっている。

(5)上越の「第一義」素描

 「第一義」は上越の人々の胸に合言葉の如くに刻まれ、唯一残る遺品の扁額は謙信と上越の人々とを結びつけてきた。これまでの様々な「第一義」解釈に共通するのは、謙信が故郷の英雄であること。武田信玄の「風林火山」に対応する「第一義」は、謙信を象徴し、地域の謙信信仰を支えてきた。

 漱石は高泉の書に刺激を受け、「人生の第一義」を「道義に基づく生き方」だと描いてみせた。それと同様に、故郷の英雄の残した「第一義」は謙信の生き様に倣い、従おうというメッセージだと類推しよう。校是は地域の人々の謙信への気持ちを代表した宣言になっていて、人々は謙信を信じ、倣いながら、何の「第一義」かを漱石風に臨機応変に盛り込んで、解釈してきたと捉えることができる。例えば、「人生の第一義=謙信に倣って人生に真摯に対応すること」と図式化できる。要は、何事であれ、謙信を真似て難題に立ち向かえ、ということ。

 こんな謙信基準を暗黙裡に設定するという芸当は、上越の人たちの懐の深さによるのか、単なる謙信頼みに過ぎないのか、私には何とも言えない。とはいえ、論理的に無理なことを敢えて「第一義」と見得を切り、見栄を張るのは校是の背後に篤い謙信信仰がなければできないことである。

学習される本能:Hard Empiricism

 1歳前後からの幼児の成長を見ていると、言葉や知識はまだでも、感情や欲求の学習は実に見事で、それらの学習は模倣に基づくとはいえ、それに尽きる訳ではなく、驚嘆そのもの。人の顔の様々な表情、喜怒哀楽を幼児は着実に習得していく。食べ物の味、寒暖、好き嫌いを含め、あらゆるものを疲れを知らずに身につけていく。その熱心さは見事としか言いようがなく、猛烈なスピードで人間になろうとしている。幼児の学習の貪欲さを見れば、学習は人間の本能そのものであることが実感できる。親なら誰も子供の学習能力に驚嘆し、嫉妬する気になった筈である。
 幼児は欲求さえ巧みに学んでしまう。何がほしいか、何が嫌か、幼児の感性は実に鋭く、瞬く間にマスターしてしまう。幼児の学習への貪欲さは何を物語っているのか。人の本能は生得的で、学習によって獲得するものではない筈なのに、幼児はそれさえも学習してしまうと言わんばかりである。だが、私たちの真っ当な常識からすれば、「本能が学習される」ことはあってはならない筈のもの。

 「本能の学習」とは「丸い三角形」のように矛盾した表現だというのが常識。筋金入りの経験主義は「生得性」を否定し、生まれたときはtabula rasa(白紙)の状態で、すべては経験的に学習して獲得するものだと主張する。学習は当然ながら後天的なものである。というより、後天的なものしか学習はできない。それゆえ、本能や生得的能力が人にあるとしても、それらを学習することは不可能というのが経験主義の立場である。
 私の主張はこの立場に反して、本能は学習できる、学習しなければ私たちは本能を発揮できない、というものである。私は経験主義者であるが、学習が経験主義のエッセンスであり、私たちは何事も学習によって自分のものにすると考えている。本能も生得的能力もしかり、というのが私の経験主義的な主張である。
 「氏か育ち」と問われれば、育ちがなければ氏もない、というのが私の立場。本能も学ばなければ形にならず、盲目のまま。「学ぶ」という本能は正に人間的な能力であり、他のどんな能力より優れた能力である。それゆえ、ここでの私の主張の主旨は「学習は何にも還元できない、原初的な能力、真の本能」である。
 さて、哲学には「志向性(intentionality)」という言葉がよく登場し、それが意識のもつ特徴と声高に言われてきた。「何かについての」意識というのが意識の本源的特徴で、それが「意識の志向性」と呼ばれてきた。心的能力や心的機能についての一般名詞のほぼすべてはこの意味で志向的である。「本能、能力、感情、欲求、信念」等々、これらはいずれも「何かについての」本能や信念である。志向的な心的働きは大抵生得的なものだが、心的働きと言っただけでは何もわからない。その理由は、例えば本能について、「何かについての」本能は「何かについて」の部分を経験的に学習しなければ、その本能の肝心の内容が不明のままで、何もわからないからなのである。
 DNAには数学も物理学の知識も書かれていない。学習本能をもつとしても、「何かについての」学習が意味をもつのは「何かについて」がわからなければならない。それは経験的に学習しなければならず、あらかじめDNAに書き込まれてなどいないのである。数論も幾何学もDNAには書かれておらず、学校で学習しなければならないのである。
 学ぶとは「何かについて学ぶ」のであり、その学ぶ何かは志向的内容。志向的な心的働きは学ぶことによって実現されるのである。これは至極当たり前のことで、相撲取りが強いのは生得的な素質に(その原因が)あるとしても、稽古によってその素質を鍛えなければ強くはなれない。つまり、「相撲に勝つことについての」生得的な素質は実際に稽古によって学習しなければ実現しないのである。
 志向的な学習と学習の行為、プロセスの仕組みは異なっている。学習内容と学習過程が違うのは当たり前のことだが、本能と私たちが呼んできたのは学習の過程であって、学習内容ではない。内容はDNAには組み込まれておらず、学習されなければ獲得できず、またその正確な内容は科学的追求によって経験的に知られていくものである。
 こうして、学ぶのは本能の志向的内容だということになる。「何かについての」本能と言わなければ、本能が意味不明ということは、その「何か」を経験的に獲得しなければわからず、その最も単純明快な「わかり方」が知識として学習することなのである。

f:id:huukyou:20200728045323j:plain

f:id:huukyou:20200728045343j:plain

f:id:huukyou:20200728045407j:plain

 

オミナエシ(女郎花)

 別名は、敗醤(はいしょう)。オミナエシの名の由来は、同属で姿がよく似ている白い花のオトコエシ(男郎花)に対する「女郎花」で、全体に優しい感じがするところから名付けられたとされる。また、もち米でたくごはん(おこわ)のことを「男飯」といったのに対し、「粟(あわ)ごはん」のことを「女飯」といい、花が粟つぶのように黄色くつぶつぶしていることから「女飯」、「おみなめし」、そして「おみなえし」になったという説もある。

 花期は夏から秋にかけて(7 - 10月)、茎の上部で分枝して、花茎の先端に黄色い小花を平らな散房状に多数咲かせる。「秋の七草」だが、初夏から山野に咲いている。オミナエシの花が風にそよぐ様子はいかにも女性的で、「女郎花」の名にふさわしい。今では「女郎」は良い意味で使われないが、かっては「美しい人」を意味していた。秋の七草のひとつに選ばれ、歌にも盛んに詠まれ、万葉集に14首、古今和歌集にも17首ある。

f:id:huukyou:20200728041753j:plain

f:id:huukyou:20200728041817j:plain

f:id:huukyou:20200728041838j:plain

f:id:huukyou:20200728041904j:plain