マツヨイグサ

 「待てど暮らせど来ぬ人を」で始まる『宵待草』は、大正浪漫を代表する画家・詩人の竹久 夢二(1884-1934)の詩歌をもとにした抒情歌。銚子での儚いひと夏の恋を歌った夢二の詩は、1912年に雑誌『少女』で発表され、バイオリニストの多 忠亮(おおの ただすけ)により曲がつけられ、愛唱されることになった。
 1910 年当時27歳の竹久夢二は、離婚した家族と避暑旅行へ千葉県の銚子を訪れ、犬吠崎にほど近い海鹿島(あしかじま)町の宮下旅館に滞在する。旅館の隣には長谷川家があり、その家族を訪ねて来ていた長谷川カタ(当時19歳)に出会った夢二は、彼女に一目ぼれしてしまう。夢二の恋が実ることはなかったが、何とも滅茶苦茶なことだった。
 夢二は翌年の秋、一人で再び海鹿島を訪れたが、カタの姿はなく、既に嫁いでいたのだ。いくら待っても来るはずのない恋人を思い、夢二は胸の内を一篇の詩に綴った。それが『宵待草』の原詩である。この原詩を元に抒情歌『宵待草』として人気の曲ができ上がる。
待てど暮らせど来ぬ人を
宵待草のやるせなさ
今宵は月も出ぬそうな
 また、太宰治の『富嶽百景』の中に「富士には、月見草がよく似合ふ。」と書かれた一文が出てくる。これは、本来のツキミソウではなく、オオマツヨイグサではないかと言われている。ツキミソウの花は夏の夕方に開花し、朝には萎んでしまう一夜花。中心に雌しべがあり、先が4裂し、その周囲には8本の雄しべがある。月の光に照らされたとき雌しべは蛍光色になり幻想的な輝きを増す。花は徐々に白から薄ピンク色、そしてやがて赤紫色に変わって行く。江戸末期に観賞用として渡来したツキミソウはその清楚で、幻想的な姿で人々の心を惹きつけた。
 こうして、マツヨイグサは「宵待草、月見草」として私たちの記憶に入り込むことになった。マツヨイグサの仲間にはオオマツヨイグサ、メマツヨイグサ、オニマツヨイグサコマツヨイグサなどがある。

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マツヨイグサ

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マツヨイグサ

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オオマツヨイグサ

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ツキミソウ