論文や資料、報告などから見えてくるライチョウと私たち

 私が子供の頃はライチョウは富山や長野の話題で、妙高では誰も知らず、そのため当時の私たちにはライチョウは遠くの存在でした。でも、今では火打山ライチョウが棲息することが確認され、妙高ではライチョウ会議まで開かれました。そのため、ライチョウの調査や保護が人々の関心を呼ぶようになっています。そして、地球温暖化によるライチョウの生息域の劇的な減少に関する論文を紹介したばかりです。では、ライチョウに対する様々な議論、実際の対策、活動に対して、私たちはどのような態度をとることができるのか、それを考えてみましょう。
 ライチョウに関する研究、考察、対策、活動のどれにも共通していながら、忘れられがちな前提があります。それは、「生物多様性」や「地球温暖化」といった前提で、これら概念は科学的に真なる概念というより、相当に蓋然性の高い仮説だということです。それらが正しいという前提のもとに、モデルが考察され、そこから具体的な対策や活動が計画され、実行に移されてきました。この一連の動きは、例えばライチョウの系統や生態についての事実の観察・調査とは違って、私たちがライチョウをどのように扱うかの決定で、それは前提に支えられていることを示しています。大袈裟に言えば、事実確認ではなく、仮定に基づく行動策定なのです。そこで、私たちが考えてみるべきことは、この事実の確認と行動の決定の間を何がどのように結びつけているかなのです。つまり、知識の確認から行為の決定に至る過程に何があるのかを明瞭にすることなのです。モデルやシミュレーションを使って未来の行動を探り、決定するという過程が20世紀以降常套の手段として使われてきました。私は既にライチョウの研究結果の総論や環境省ライチョウ対策の計画案などをClub Myokoで挙げてきました。それらの資料、情報を的確に理解するために誰もほとんど言及しない基本的な事柄を押さえておく必要があるのです。

 「ceteris paribus」というラテン語の謂い回しは、現代風に言うなら、「一つの要素を変数とし、その他の要素すべてを定数とする(All other things being equal)」という意味であり、字句通りには「他の事情、条件が同じならば」と言うことです。経済学の教科書で見かける「セテリス・パリブスの仮定」です(私は中世風にチェテリス・パリブスと発音してきました)。日常的な表現を使うなら、「他のものは同じままであるとして」あるいは「他の全てが同じ、または一定であるとして」という意味のラテン語の表現です。二つの出来事や状態の間にある因果的な関係や論理的な関係についての言明がceteris paribusであるというのは、そうした言明が成り立つ状況では正しいと主張できるものの、他の要因がある場合には、正しいとは言えなくなるという状況を指しています。科学者は焦点を定めたことが成り立つのを妨げるような要因は排除したいのです。基礎的な物理学(古典力学相対性理論量子力学など)では普遍的な法則を扱う場合がほとんどであるのに対し、生物学、心理学、経済学といった個別的な領域では「通常の状態」では成り立つが、例外のある場合がほとんどの法則、すなわちceteris paribusな法則がたくさん登場するのです。
 ライチョウの系統関係のDNA解析、生態に関する地道な調査研究にはceteris paribusという条件は必要ありませんが、予測や推測となると、複雑な対象であればあるほど、ceteris paribus付きの言明が必要になってきます。いつでも、どこでも成り立つことの予測はまず不可能で、一定の条件のもとで成り立つ予測しかできないのです。私たちは単純化のためにモデルを作りますが、その単純化とは変数の範囲を制限し、理想的にはたった一つの変数の値の変化に応じて対象がどのような変化をするかをモデル化することなのです。そのために、ceteris paribusと条件を入れて、単純化を図るのです。
 基本的な仮定からの調査研究、それに条件のceteris paribus化をつけ加えたモデル作成や予測の一例として、ライチョウの調査とライチョウの将来予測を挙げることができます。地球温暖化を仮説として認め、他の生息条件等は現在の条件と同じと仮定する(ceteris paribus)ことによって、時間的に変化するモデルを使って予測が可能になり、それに基づいてライチョウの将来を考え、対策を講じることになる訳です。実際はもっと紆余曲折を経て、具体的な対策が決まっていくのですが、条件を減らしたり、増やしたりといったアレンジによって個別の状況により合致した予測が得られます。
 こんな単純な仕組みがライチョウ対策の骨組みだとすれば、相当に気分は晴れて、ずっと気楽に、冷静に火打山ライチョウをどうすべきかの意見も出しやすくなります。住民の要望、行政の都合もceteris paribusの中の条件と捉え、それらを自由に取捨選択しながら、議論をすれば面白い結果が出てくる筈で、これはライチョウに限らないということになります。