神々と人々の絆(2)

三神一体論

 ヒンドゥー教は、バラモン教から聖典カースト制度を引き継ぎ、土着の神々や崇拝様式を吸収しながら出来上がった多神教。紀元前2,000年頃にアーリア人がイランからインド北西部に侵入し、紀元前1,500年頃にはヴェーダ聖典がつくられ、それに基づくバラモン教が成立します。紀元前5世紀頃に政治的な変化や仏教の隆盛があり、バラモン教は変貌を迫られます。その結果、バラモン教は民間の宗教と同化してヒンドゥー教へと変って行きます。ヒンドゥー教は紀元前5-4世紀に勢力をもち始め、紀元後4-5世紀に当時優勢だった仏教を凌ぐようになり、その後インドの民族宗教になっていきます。近世以降、ヒンドゥー教では「三神一体論(トリムルティ)」とよばれる教義が唱えられてきました。この教義では、本来は一体である最高神が、三つの役割「創造、維持、破壊」に応じて、三大神「ブラフマー、ヴィシュヌ、シヴァ」として現れると説かれます。でも、現在ではブラフマー神を信仰する人は減り、ヴィシュヌ神シヴァ神が二大神として並び称され、それぞれ多くの信者を集めています。

 創造神ブラフマーは、紀元前15-10世紀に宇宙の根本原理であるブラフマンを神格化した神として登場します。バラモン教では神々の上に立つ最高神とされ、「自らを創造したもの」、「生類の王」と呼ばれます。宇宙に何もない時代、ブラフマーは姿を現す前に水を創り、水の中に種子として「黄金の卵」を置きました。卵の中に一年間留まって成長したブラフマーは、卵を半分に割り、両半分から万物を創造しました。

 ヒンドゥー教の時代(紀元後5-10世紀以降)になると、ヴィシュヌやシヴァが一般大衆の支持を得て力を持って来るのに対し、観念的で独自の神話を持たないブラフマーは人気が得られませんでした。三神一体論(トリムルティ)では、ブラフマー最高神の三つの神格の一つに相対化され、世界の創造と、次の破壊の後の再創造がその役割です。さらに、ヴィシュヌ派やシヴァ派の創生神話では、ブラフマーはこれら二神いずれかに従属して世界を作ったに過ぎないとされます。

 ブラフマーは、インド北部のアブー山に住んでいます。四つのヴェーダを象徴する四つの顔と四本の腕を持ち、水鳥ハンサに乗った赤い肌の男性の姿で表されます。手にはそれぞれ、数珠、聖典ヴェーダ、小壷、笏を持っています。ブラフマーの妻は、サラスヴァティー弁才天)。

 維持神ヴィシュヌは、バラモン教聖典リグ・ヴェーダ』にも既に登場する、起源の古い神格です。世界を三歩で踏破する自由闊歩の神とされ、世界の果てまで届く太陽光線を神格化したものと考えられています。ヒンドゥー教の時代になると、動物や英雄たちをヴィシュヌの化身「アヴァターラ」として取り込んで行くことによって、民衆の支持を集めます。三神一体論(トリムルティ)では、ヴィシュヌは最高神の三つの神格の一つにまで高められ、世界の維持・繁栄を司るのです。ヴィシュヌ派の創世神話によると、宇宙ができる前にヴィシュヌは大蛇シェーシャ(竜王アナンタ)の上に横になっています。ヴィシュヌのへそから蓮の花が伸びて行き、そこに創造神ブラフマーが生まれ、さらに、ブラフマーの額から破壊神シヴァが生まれます。ヴィシュヌは、メール山の中心にあるヴァイクンタに住んでいます。四本の腕を持ち、右には円盤と棍棒を、左には法螺貝と蓮華を持っています。乗り物はガルダと呼ばれる鳥の王で、鷲のような姿、もしくは鷲と人を合わせた様な姿をしています。ヴィシュヌの妻は、ラクシュミー(吉祥天)。

 ヴィシュヌは、「アヴァターラ」と呼ばれる十の姿に変身して地上に現れます。これは、偉大な仕事をした動物や人物たちを「ヴィシュヌの生まれ変わり」として信仰に取り込むための手段であったと考えられます。ヴィシュヌの化身で特に有名なのは、ラーマとクリシュナです。ラーマは、叙事詩ラーマーヤナ』の英雄で、魔王ラーヴァナから人類を救います。クリシュナは、叙事詩マハーバーラタ』の英雄で、特にその挿話『バガヴァッド・ギーター』で活躍します。

 破壊神シヴァは、バラモン教聖典リグ・ヴェーダ』では、暴風雨神ルドラの別名として現われます。暴風雨には、風水害をもたらすという破壊的な側面と、土地に水をもたらして植物を育てるという生産的な側面があります。このような災禍と恩恵を共にもたらす性格は、後のシヴァにも受け継がれます。ヒンドゥー教の時代になると、民間信仰によってシヴァに様々な性格と異名が付与され、民衆の支持を集めます。三神一体論(トリムルティ)では、シヴァは最高神の三つの神格の一つにまで高められます。世界の寿命が尽きた時、世界を破壊して次の世界創造に備える役目をもっています。

 シヴァは、ヒマラヤのカイラーサ山に住んで、瞑想に励んでいます。両目の間には第三の目が開いており、彼が怒る時には激しい炎が出て、全てを焼き尽くすのです。肌は青黒い色で、三日月の髪飾りをした髪の毛は長く頭の上に巻いてあり、短い腰巻を纏った苦行者の姿をしています。シヴァの妻は、パールヴァティー(雪冰天女)。夫婦の間にガネーシャ歓喜天)が生まれます。

 シヴァは、教学上は破壊神ですが、民間信仰によって様々な性格を付与され、それに応じて様々な異名を持っています。マハーカーラ(大いなる暗黒)と呼ばれるシヴァは、世界を破壊するときに、恐ろしい黒い姿で現れます。ナタラージャ(踊りの王)と呼ばれるシヴァは、炎の中で片足をあげて踊っています。ニーラカンタ(青い喉)と呼ばれるシヴァは、大蛇ヴァースキが猛毒を吐き出して世界が滅びかかったとき、毒を飲み干し、その際に喉が青くなりました。三都破壊者と呼ばれるシヴァは、三つの悪魔の都市(金でできた都市、銀でできた都市、鉄でできた都市)を焼き尽くします。その他、バイラヴァ(恐怖すべき者)、ガンガーダラ(ガンジスを支える神)、シャルベーシャ(有翼の獅子)、パシュパティ(獣の王)、マハーデーヴァ(偉大なる神)、シャンカラ、などと呼ばれ、異名の数は一千を超えます。

 このように歴史的な経緯を含めて見てくると、「ブラフマーとヴィシュヌとシヴァは同一であり、これらの神は同等の力をもち、唯一の神聖な存在がもつ異なる機能の三つの様相に過ぎない」というトリムールティの理論がヒンドゥー教の実際の歴史の中に現れることは稀であり、宗教美術のテーマになることも少なく、生きた信仰としてより、単なる理論に過ぎなかったのです。 トリムールティ理論が登場した背景には、ヴェーダ後の時代に顕在化してきた宗派間の争いを調停しようという意図があったのではないでしょうか。

 「三神一体」という考え自体は一見単純明瞭なのですが、人の信仰は相対化されにくく、どれか一つの神への信仰が一般的な姿です。これは仏教でも同じで、拝む仏も宗派によって、時代によって変わっていきます。神社会での離合集散は人間社会のそれと変わらないのです。でも、キリスト教の三位一体論となると話は別です。

オオオナモミ(大葈耳)

 「大きなオナモミ」という意味のオオオナモミはキク科オナモミ属の一年草。同属のなかで最も大きく育つ。北アメリカ原産。1929年に岡山県ではじめて見つかり、現在では各地に広く帰化している。茎は褐紫色を帯びるものが多く、高さ2mにもなる。

 農耕文化渡来とともに帰化したオナモミが広く生育していたが、その後オオオナモミが優勢となり、現在ではオナモミは姿を消しつつある。湖岸や放棄畑など、栄養豊富な場所に生育し、9月頃から目立たない花をつける。オオオナモミの果実には先端が曲がった鉤状の棘があり、最初は緑、熟すると灰褐色となり、棘も堅くなる。この棘は防御のためというよりは、動物の毛に絡みついて運んでもらうためのもの(「ひっつき虫」)。実際、その藪を通れば、どんな服にも絡みついてくる。皮膚に当たってもかなり痛い。

f:id:huukyou:20191101050750j:plain

f:id:huukyou:20191101050804j:plain

f:id:huukyou:20191101050819j:plain

 

神々と人々の絆(1)

神国の原点:神功皇后住吉三神

<『日本書記』や『古事記』をそのまま素直に読めば…>

 神功皇后は第14代仲哀天皇の后であり、第15代応神天皇の母親です。朝鮮半島の制圧を神より命じられたにも関わらず、それを無視して亡くなった仲哀天皇に変わり、妊娠したままで朝鮮へ出兵し、その後出産したことから、神功皇后は聖母であり武芸の神として祀られています。応神天皇が八幡様と同一視されることから全国の八幡神社で、よく一緒に祀られています。また、三韓出兵(朝鮮への出兵)の際に関わった住吉三神宗像三女神と一緒に祀られることも多いようです。
 彼女は夫である仲哀天皇の死後、応神天皇を生んでいます。本来、仲哀天皇の子供であるにも関わらず、『古事記』、『日本書記』の中でも神功皇后は神との間に子を作ったという聖母の扱いに変わり、応神天皇は神と人の子ということになっています。これは応神天皇が長子ではなく、異母兄が何人かいることから、応神天皇の正当性を主張するためだったと思われます。もっとも、女性が神との間に子供を作り、父親の影が薄いというのはキリスト教でも同じで、よくある神話・伝承のパターンの一つです。

 九州南部の豪族である熊襲を討伐しようとした際に、神功皇后が占いをすると、「西方に金銀豊かな国がある。そこを服属させて与えよう」と神託がありました。ところが仲哀天皇はそれを信じず、予定通りに熊襲と戦争を始め、急死してしまいます。そこで、もう一度占い神意を伺うと、「皇后の腹の御子が国を治めるべき」と神託があったのです。神功皇后は神に名を尋ねると、「神託はアマテラス大神の意思、伝えるよう命じられたのは住吉三神である」と答えました。
 そこで、神功皇后住吉三神とともに出兵し、新羅を平定。朝鮮側の資料にも「倭人の兵が来た」という記述が多くあり、出兵があったのは事実。妊娠してから朝鮮半島に出向いた神功皇后は出産を遅らせるために、美しい石を腰につけて出産を遅らせるように祈ったところ、筑紫国に帰国してから出産できるほど遅らせることができました。石を使って産道を塞いで出産を遅らせたとあります。妊娠期間は15カ月。帰国し、筑紫の国で出産。近畿に帰る途中で、応神天皇を亡きものにしようとした異母兄の忍熊皇子、香坂皇子を破っています。そして、幼い応神天皇の摂政として政治を行いました。

 九州に帰国後、8本の幟を立てたことから、八幡信仰が始まったという伝承がありますが、八幡様はそれ以前からあった地域の信仰とも言われています。

 

<『日本書記』や『古事記』を批判的に読めば…>

 仲哀天皇から応神天皇への代替わりは、クーデターによる王朝交代だった。このとき、仲哀の九州遠征に同行せず大和に残っていた息子たちを滅ぼして権力を奪ったのが、神功皇后と建内宿禰(タケシウチノスクネ)である。

 「三韓征伐」とはどんな事件だったのか。『古事記』によれば、神功が軍船を整えて新羅に行ったら、一戦も交えることなく、向こうが勝手に恐れをなして降伏してしまったというのである。(『日本書記』にもほぼ同じ内容の物語が記されているが、こちらは新羅だけでなく、高句麗百済まで降伏してしまったことになっている。)こんなことは不可能。確かに『記紀』に朝貢の記載があるが、それだけでは服属の証拠にはならない。『記紀』は、天皇家中心の史観に貫かれ、『記紀』は古来の伝承に対して、天皇家に「有利」に改編することはあっても、「不利」に改編することはなかった。天皇家は遥か昔から、この日本列島の中心の存在という基本思想が『記紀』を貫いている。これが歴史的な事実以前の、世界観、歴史観の大前提なのである。だから、中国や新羅が日本の天皇家に臣従し、朝貢してきたように書いてあっても、朝貢の事実を示している訳ではなく、『記紀』の史観に従った表現の仕方なのである。明らかに、中国の皇帝が「東夷」の蛮族と見なしていた日本に朝貢してくるはずがない。

 『記紀』の三韓征伐が意味しているのは、神功皇后新羅を訪問し、このときから天皇家新羅との国交が始まったということである。では、なぜ新羅との国交が必要だったのか。神功皇后と建内は、仲哀の熊襲征伐に従って九州まで来ていた。仲哀天皇をうまく始末したのは良かったが、次は大和に戻って仲哀の息子たちを討ち滅ぼさなければ自分たちに未来はない。だが、まだ熊襲との戦争は続いていて、簡単に敵に背を向けて帰るわけにはいかない。追撃を避けるには、熊襲との休戦が不可欠。『日本書記』では、自分を良く祭れば新羅は従い、また熊襲も自ら従うだろう、と言っている。この両者の間には何らかの強い結びつきがあり、新羅との友好は熊襲との関係改善にもつながることを示唆している。だから、神功皇后熊襲との戦争状態を終わらせて大和での権力奪取に集中するため、熊襲のバックに控えている新羅との友好関係を確立しようと海を渡ったのである。それは、「征伐」とは正反対の、友好を求める外交交渉だった。

 

 日本が神国であり、神々の加護によって外敵から守られてきたという物語の最初の一つが神功皇后三韓出兵でした。『記紀』の物語が謡曲『白楽天』にまで及ぶのですが、それは次回以降の話としましょう。

 

ピラカンサ

 ピラカンサ(Pyracantha)、あるいはトキワサンザシはバラ科ピラカンサ属の常緑広葉中高木。春から初夏に、木全体が真っ白に見えるほどたくさんの白い小さな五弁花を咲かせ、秋から冬にかけて、赤や橙の小さな実を枝が撓むほど沢山つける。姿が美しいので木は観賞用、果実は鳥の好物となる。英名はFirethornで、刺があり実が真赤に燃え立つように樹木全体を覆い尽くす様子を表現している。同じバラ科で同じ赤い実がなるナナカマドに似ている。

 トキワサンザシはヨーロッパ南部から西アジアが原産で、単に「ピラカンサ」というと本種のことが多いが、日本ではトキワサンザシ、タチバナモドキ、カンデマリの三種類をピラカンサと呼んでいる。タチバナモドキは柿色の実、カンデマリは平たい実をつける。

f:id:huukyou:20191031041517j:plain

f:id:huukyou:20191031041530j:plain

f:id:huukyou:20191031041540j:plain

 

神々と人々の絆(0)

 神様がたくさんおられると、喧嘩したり、徒党を組んだり、騙し合ったりと、神様同士の付き合いや争いが生まれ、人間関係ならぬ神様関係ができてきます。複数の神様がいれば、当然神様社会ができ、その仕組みや構造は人間社会とよく似たものになります。ギリシャ神話や『日本書紀』、『古事記』の中にもよく似たエピソードが数多く見られますが、それも複数の神様のつくる社会が人間社会に類似しているからと思われます。神と人間は全く異なるとしても、神様社会と人間社会は多くの共通点、類似点をもっているのです。

 ところが、唯一の神と複数の神は「神」の概念が根本的に違うと考えられ、それが宗教を理解する上での根本的な前提と見做されてきました。そして、キリスト教イスラム教と仏教や神道が根本的に異なるのは一神教多神教の違いにあると信じられてきました。神の社会学、神の心理学などは複数の神が存在する世界でしか意味をもちません。唯一神社会学は存在しませんし、倫理学などあり得ません。唯一神は孤立無援ですが、そのために倫理も道徳も必要としないのです。一人で暮らすロビンソン・クルーソーでさえ、周りの動植物に配慮が必要だった筈ですが、唯一神にはそれさえ無用なのです。でも、その絶対的な唯一神が人間を創ることになると、事態は変わり出し、神に忖度する人たちが様々な神擬きを生み出すことになるのです。

 神々の間の絆を言葉で具体的に表現した例となれば、「三神一体」であり、より具体的には「住吉三神」でしょう。複数の神はしばしば一つにまとめ上げられ、合体した形で信じられます。これは正に神の絆の証しでもあります。

 ヒンドゥー教は代表的な多神教ですが、そこでの三神一体(さんしんいったい)またはトリムールティとは、ブラフマーとヴィシュヌとシヴァは同一であり、これらの神は力関係の上では同等であり、単一の神聖な存在から顕現する機能を異にする三つの様相である、というヒンドゥー教の理論です。すなわち、ブラフマー、ヴィシュヌ、シヴァの三神、宇宙の創造、維持、破壊という三つの機能が三人組という形で神格化されたものであると主張するのです。ブラフマー、ヴィシュヌ、シヴァがそれぞれ創造、維持、破壊/再生の神を分担しているのです。

 『日本書記』では主に底筒男命(そこつつのおのみこと)、中筒男命(なかつつのおのみこと)、表筒男命(うわつつのおのみこと)、『古事記』では主に底筒之男命、中筒之男命、上筒之男命と表記される三神の総称が住吉大神と呼ばれ、さらにそこに息長帯姫命神功皇后)を含めることもあります。 かつての神仏習合思想では、それぞれ薬師如来底筒男命)、阿弥陀如来中筒男命)、大日如来表筒男命)を本地とすると考えられました。こうなると、鬼に金棒どころか、神と仏の合体です。

 伊邪那美命火之迦具土神を生んだときに大火傷を負い、黄泉国(死の世界)に旅立ちました。その後、伊邪那岐尊は、黄泉国から伊邪那美命を引き戻そうとしますが、それが果たせず、「筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原」で黄泉国の汚穢を洗い清める禊を行いました。このとき、瀬の深いところで底筒男命が、瀬の流れの中間で中筒男命が、水表で表筒男命が、それぞれ生まれ出たとされます。

 『日本書紀』によれば、仲哀天皇の御代、熊襲、隼人など大和朝廷に反抗する部族が蜂起したとき、神功皇后が神がかりし、「貧しい熊襲の地よりも、金銀財宝に満ちた新羅を征討せよ。我ら三神を祀れば新羅熊襲も平伏する」との神託を得ました。しかし仲哀天皇はこの神託に対して疑問を口にしたため、祟り殺されてしまいます。その後、再び同様の神託を得た神功皇后は、自ら兵を率いて新羅へ出航しました。皇后は神々の力に導かれ、戦わずして新羅、高麗、百済三韓を従わせたのです。これが神国日本と他国との戦いの最初の記述ですが、その後の外国との戦争に際して手助けする神々の一つが住吉大神なのです。

 「三位一体」はキリスト教において「父」と「子(キリスト)」と「聖霊」が「一体(唯一の神)」であるとする教えです。キリスト教で、神を考え、語るのに外せない言葉が「三位一体」です。ギリシア語ではΑγία Τριάδαラテン語ではTrinitas、英語では Trinity。「三位一体」は唯一の神が三つの姿になって現れるというもので、その三つが「父」と「子(イエス・キリスト)」と「聖霊」。父はイエス・キリストの父で、天地万物の創造主です。イエス・キリスト聖霊も、この父なる神から生まれました。聖書の中では「ヤハウェ」という名前で登場します。父である神の唯一の子がイエス・キリスト。人間も神の子供で、神によって創造されたものです。それに対してイエス・キリストは神自体から生まれた人です。聖霊は父である神の霊で、イエス・キリストを通して注がれたもの。聖霊は炎の形で表現されたりします。聖書の中では「聖霊による洗礼」とか「聖霊が降った」という言葉で登場します。

 三神一体、住吉大神、三位一体は「三つのもの」を除けば、まるで異なる概念だと教えられてきたのですが、このように見てくると、ついそこに共通するものを見出したくなる人が多いのではないでしょうか。神様の間の戦いにかこつけ、神の加護のもと、聖戦に明け暮れてきた歴史を振り返るなら、そこには神と人が敵、味方になって共に戦う姿が溢れているのです。

 そこで、謡曲『白楽天』、住吉大神を手掛かりにして、神と人の共同作業から見ていくことにしましょう。

ツワブキの黄色い花

 艶蕗を見ていつも私が思い浮かべるのは蕗で、正に「艶のある太い蕗」。ツワブキ(石蕗、艶蕗)はキク科ツワブキ属の常緑多年草で、葉柄は食用になる。海沿いの草原や崖、林の縁によく見られ、葉はフキ(蕗)に似ていて、革質でつやがあることから「つやぶき」となった。新芽は茶色の綿毛に包まれている。地下には短いワサビ状の根茎が連なり、大きな株になる。花は株の中心から出て、先端に10~30輪ほどのキクに似た、花径3cm前後の黄色い花を咲かせる(画像)。開花時期は、10月中旬から11月末頃まで。

 冬から春にかけて、ツワブキの若葉をつみとって「キャラブキ」をつくることができる。九州での収穫は1月頃から始まり、食べ頃の旬は3月から4月となる。フキとよく似ているが、フキが夏に葉を広げるのに対し、このツワブキは常緑性で一年中青々としている。ツワブキにはピロリジジンアルカロイドと呼ばれる有毒な物質が含まれていて、アク抜きが不可欠。

f:id:huukyou:20191030054745j:plain

f:id:huukyou:20191030054759j:plain

 

あなたが好きなのは性質、それとも物自体

 「誰が好きですか」と問われても、それはどんな問いかなどと誰も改めて考えないし、まして問うことさえしません。その問いは疑問の余地なく、答えることができる問いとして通用しています。「Aさんが好き」と答え、「Aさんの何が、どこが好き」と問い返されても淀むことなく答えることができます。「Aさんの律義さが好き」と答えるだけでなく、「実はAさん自身が好き」だと白状しても、誰も不思議に思わないのです。

 「Aさんを知る」と「Aさんの律義さを知る」ことの間にある違いは普通は誰も気にしません。でも、「原子を知る」ことと「原子の性質を知る」こととは違うというのが、これまた普通の科学的な常識です。これらの例から滲み出る「知る」ことの違い、あるいは「知り方」の違いは実は意外に厄介な問題なのです。

 個人を知ることは漸次的で、試行錯誤的だというのが私たちの日常生活での知恵のようなものです。人を知るには、何度も会って、色んなことを知り、その人を少しづつ知っていくしかないと思われています。そこで、改めて「ある人を知る」と「その人の性質を知る」との違いを問われるとまごつくだけなのです。というのも、私たちの常識的な信念によれば、Aさんを知るとはAさんの性質の主なものを知ることと同じことだからです。

 

 「対象が在る」から「対象を知る」へと私たちの哲学的な関心をシフトしたのはデカルトでした。それがカントによって正面から取り上げられ、認知科学へと繋がることになります。とはいえ、私たちがまず採用したのは、経験的、実証的に対象を知るためには実験や観察が不可欠で、信頼できる情報に基づいて対象が何かが知られることになるという図式です。つまり、対象を知るために対象の性質を実証的、経験的に知ることが求められてきたのです。そして、あらゆる情報を経験的に入手し、それを使って対象を知るに至るというのが科学的な探求の目標になってきました。私たちが直観的に知ることができるのは知覚経験であり、それらは簡単に消えたり、忘れたりするものです。そのために、得られたデータを確認し、保存する方法が考えられ、対象の性質の特定から対象自体の特定への過程が次第に洗練されてきたのです。

 こうして、知ることには対象の性質の認識と対象自体の認識の二つが見え隠れしていることがはっきりしてきます。「知ること=認識すること」、そして、その結果が知識、つまり、「知ったもの=知識」ということなのですが、そこでは対象の性質を知ることと対象自体を知ることが同じか、違うか決着がつかないままであることがわかります。

 物自体を知ることが目標でないなら、その情報は何のための情報なのでしょうか。そこには仮説としての物自体が考えられているように思われます。データを説明するための物自体、データを担う対象としての物自体、データが指示する物自体が仮定されているのではないでしょうか。それは仮説演繹法の仮説に対応するもので、物自体が仮定された上での話になっています。でも、演繹のための仮説ではなく、つまり、言明ではなく、対象の存在の仮定です。存在の仮定のもとに、その対象のもつ性質を知覚し、その結果が言明として表現されるのです。

 

 対象から人に話を移してみましょう。人は誰かを好きになることが本当にできるのでしょうか。普通は誰もそんな疑問は毛頭もちません。人を好きになったり、嫌いになったりするのは私たちの本能のようなものですから、誰も疑わないのは当然のことです。でも、そんな疑問にしっかり答えてみようと思い、それを語るような話をつくろうとすれば、どんな内容が必要なのでしょうか。

A 

 私の前には彼女の美しい姿があり、しなやかな肢体が眼前で躍動しています。健康そうな笑いが溢れ、周りは新鮮な雰囲気に満ちています。私はそんな彼女を好きでたまらないのですが、私が彼女自身を好きであることを直接に表現しようとすればどのように言えばいいのか、気になって仕方ないのです。彼女が好きな私の気持ちは本当に表現し尽すことができるのでしょうか。

B

 物自体を「物自体」としてしか表現できず、無限小も「無限小」としか呼ぶしかありません。それは、「1より大きい実数の中で最小のもの」という表現と同じように、直接にその対象を指示できないものです。これに対して、「私の隣の人」や「1より大きい自然数の中で最小のもの」は一つの対象をきちんと指示でき、それゆえ、固有名詞を使って呼ぶこともできます。このようなことと同じように、あなたが自分の好きな彼女自身を直接に呼ぶことができるためには言葉の表現レベルだけでは無理で、好きな彼女が表現される前に存在しなければなりません。直接に表現しようと考え出すと、そのような文をつくることができず、眼前の彼女を直示するしかないのです。彼女の何かが好きであることはいくらでも言葉を駆使して叙述できるのですが、彼女自身を直接に表現することが厄介なのと同じように、彼女を好きだということも実はユニークな仕方で表現できないように思われるのです。でも、彼女の名前は直接に彼女自身を指示していて、ユニークな仕方で表現できるのだと信じることができると考えることもできます。兎に角、彼女が好きだと直観し、そう思い込むことが心底できて、それが若さの証拠であり、また特権なのでしょう。

 

 「誰が好きか」、「何が好きか」、「誰の何が好きか」という問いを見比べたとき、同じような問いに見え、どれにも同じように即答できると思っているのではないでしょうか。後の二つの問いが容易に解答できないように見える場合があるのに対して、最初の問いは簡単そのもので、いつでも問題なく答えられるように見えます。ても、後の二つは容易に解答できるのですが、最初の問いが実は何を意味しているのかはとても分かりにくいのです。そのように考えるのが哲学なのですが、人の何が好きかを特定できなくてもその人が好きだという方が単純明快でわかりやすいというのが常識なのです。この大きな違い、この哲学と常識の対立は一体何なのでしょうか。

 私たちが暮らす生活世界は個人を基本の単位の一つとして成り立っていて、その個人が好きだ、嫌いだというのが生活の基本になっています。そして、ある個人が好きだという理由としてその個人の何が好きなのかが求められる場合が多いのです。でも、上述のようにそれらは異なっています。日常の世界では「誰が好き」と「誰の何が好き」はほぼ同じ程度に自明の事柄として考えられ、使われています。それらを話したり、考えたりすることが同じように捉えられているのが私たちの生活世界のもつ大きな特徴なのです。私たちの世界は個人を単位として成立していて、その個人が好きか嫌いかは正に基本的な事柄なのです。

 若い時、経験のない時に人が好きになるものは特定の個人や物事である場合が多いようです。恋愛で好きになるのは「誰かの何か」ではなく、「誰か」そのもの。その人全体を好きになるのであり、それが感情的に好きになるということ。何とも大雑把で、大胆なのです。それが歳をとり、経験が豊富になると、人は分別盛りをむかえます。分析的な見方、分別による判断が主となって、全体よりは部分や細部に目がいくことになります。分別が働くと、嫌いになるのはその人のある性質であり、分別ある嫌悪は性質や特徴が主となります。分別は好きになるより、嫌いになることに敏感なのです。

 こうして、ある性質が好き、嫌いということと、個人が好き、嫌いの違いがもっともらしく説明できるようなカラクリが見えてきます。個人に対する好き嫌いは大雑把で大胆な感情から生まれ、個人の性質に対する好き嫌いは分別が働いた判断から生み出されるというのがその説明となります。

 人のもつ性質だけでなく、どんなものの性質も誰かの性質、何かの性質です。それぞれの性質は個体によって、その個体の性質として実現されています。性質は個体の性質であり、性質をいくら集めても個体にはなりません。これは集団や組織の性質も個体の場合と同じです。

 現象や事態を眺める場合、個体を重視するのが実在主義の基本的立場、性質を重視するのが経験主義の基本的立場です。個体や対象をまず措定し、次にその性質を考えるのが古典的な仕方であるのに対して、近世以降の思考は唯名論的、経験論的に、経験できる性質の検証や測定に重点を置きます。

「誰かを失う」と「誰かの性質が失われる」には大きな違いがあると思うのが普通です。ですから、「誰かを手に入れる」、「誰かの性質が増える」の間にも大きな違いがあります。それだけですと、牧歌的な感があるのですが、「君はその人が好き」なのか、「その人のある性質が好き」なのか、いずれかと問い詰められると、二つの違いが表面に現れてきます。特に、あの人が嫌いなのはあの人の何かが嫌いなのではないかと思う人が多い筈です。そうなると、「あの人が好き、嫌いとはそもそもどのような意味なのか」といった基本的な問いに立ち戻ることになるのです。

 

*これまでの話の背後には固有名詞に関わるミルやラッセルの記述説とクリプキの因果説の対立があります。