「諸行無常」、「色即是空」はなぜ真なのか(5)

宗教と科学:「信じる」と「疑う」
 「宗教教義を真だと信じること」と「科学理論を真だと信じること」とはまるで違うものだと教え込まれていて、疑問を持つどころかその通りだと素通りする人がほとんどなのだが、それに疑問を抱いた人たちがいた。より簡単に、「神を信じる」ことと「自然法則を信じる」ことと置き換えても構わないだろう。その人たちは、あるまとまった信念、あるいはその信念を表現した言明の束を真であると信じることでは宗教教義も科学理論も違いはないと考えた。その人たちは、新しくつくられた科学理論について、その内容を経験的に確かめ、単なる信念を確実な知識に変えることが、その科学理論を真だと信じることだと考えた。一方、宗教は験証できない信念を真として信じることだと考え、それは験証によってではなく、神の命令によって、あるいは自ら悟ることによって真だと受け入れることだと主張した。すると、実験や観察の結果という証拠によってではなく、それとは別の証拠、あるいは証拠なしに直接の啓示によって真として信じることを認めることになる。信じるきっかけや理由は違っても、私たちは宗教も科学も真であると信じる(あるいは偽であると信じない)点では変わりないことになる。彼らはこのように考えた。
 このように同じだと考えることに対してごく自然に疑念が生まれてくる。「信じる」という述語は科学と宗教、さらには日常生活ではその意味が異なるのだろうか。「理論を信じる、神を信じる、隣人を信じる」に登場する「信じる」はみな異なる意味なのか。異なるとすれば、それは根本的に異なっていて、共通の部分はないのか。もし共通の意味がどこにもないのだとすれば、言葉のもつ基本的な原則、つまり同じ謂い回しは同じ意味という原則を自ら破棄することになる。
 信じることには過程があり、それが(認識の)風景になっている。「信じ、行為し、変わる」ことすべてが「信じる」ことの意味を構成していて、行為とその結果に至るまでの過程=風景が「信じる」ことの意味である。「信じる、信じない、疑う、疑わない」といったそれぞれの述語とその否定の使用について自由放任主義をとるのが科学だが、宗教はこれら認識的述語について独特の立場を取る。これは宗教認識論とも呼べる領域で、高階の認識的な述語は独特の文法をもつことになる。

 「Pを信じることを疑う」: 科学では自由に疑うことができる。
 「Pを信じることを疑う」: 宗教では疑うことが禁止されている。

*上の言明に登場するPが第1階の言明なら、「Pを信じる」は第2階、「Pを信じることを疑う」は第3階の言明となる。Pが第n階なら、「Pを信じる」は第(n+1)階、「Pを信じることを疑う」は第(n+2)階の言明となる。

 「当為」ということが昔はよく議論された。倫理や規則に従うことは助動詞(must)や形容詞(necessary)によって表現され、「事実」とは異なることが強調された。どのように異なるかがうまく説明できなかったのだが、可能世界意味論によれば、様相(modality)概念によって表現されるのは「ある世界で成り立つ事実」ではなく、「すべての世界で成り立つ事実」になる。だが、このモデルを使った様相概念によっても倫理と宗教の言明の違いを明らかにすることはできていない。そこで、第2階、第3階の述語を考え、それらの関係を考えることによって、科学と宗教の言明の違いを上述のように捉えたのである。
 科学は疑うことと信じることの間の平等性を守る。仮説を信じることと疑うことの民主主義とは、いずれに対しても平等に配慮するということである。だが、信仰は信じることを強要し、それを疑うことを禁止する。一度信じたならば、「信じることを疑う」ことを許さない。つまり、高階の認識的述語に関して厳しい制約を設けることが信仰の特徴となっている。
 新説、異説は時には歓迎され、新しい知識を獲得するきっかけとして役立つ。異なる主張そのものが否定されるのではなく、その異なる主張が誤っているゆえに否定されるのが科学だが、宗教における新説、異説は教派にとって異端、異安心であり、それだけで否定される。宗教は最初から新しい知識を獲得することを否定するのである。自らの信念以外を認めないことによって、その教団の結束を守るのである。
 『イソップ寓話』に「オオカミ少年」という話がある。ヒツジ飼いの少年が、退屈しのぎに「オオカミが出た」と嘘をつき、騙された大人たちは武器を持って出てくるが、徒労に終わる。少年が繰り返し同じ嘘をついたので、本当にオオカミが現れた時には誰も助けに来なかった。その結果、村のヒツジは全てオオカミに食べられてしまったという話である。嘘をつく少年に対して、それを信じることを疑うことによって悲劇となってしまったのである。疑わなければ、ヒツジはオオカミに食べられることはなかった。
 私たちはこのような寓話を含め、様々な経験をもとに、「信じる、疑う」の意味を分脈に応じて使い分け、その結果を行動に結びつけてきた。その中の極端な二つの形態が科学と宗教で、自由放任とその完全否定という対立になっている。日常生活ではこの二つの対立の間に「信じる、疑う」があり、それぞれの事態に応じて右往左往することになっている。
 このような基本的な事柄をまずは確認した上で、「「諸行無常」、「色即是空」はなぜ真なのか」を考えてみよう。その手始めに、中世ヨーロッパのキリスト教とスコラ哲学の関係を見てみよう。少々ステレオタイプの説明だが、我慢願いたい。
 古代ヨーロッパの政治秩序を守っていたローマ帝国は、ゲルマン民族の大侵攻、ローマの農業経済の基盤崩壊等によって瓦解、西ゴート族ヴァンダル族に蹂躙されて滅亡。ローマは最終的にはローマ軍の最高指揮権を掌握するローマ皇帝に全権力を集中させたが、ローマ帝国が滅亡した中世ヨーロッパでは「ローマ教皇の権威」と「国王の権力」が並立する二重構造が生まれてくる。ローマ帝国では他宗教や異端思想に対して寛容で、「多神教」が信仰されていたが、キリスト教ローマ市民統合の基軸にしようとしたコンスタンティヌス大帝のミラノ勅令(313)から、段階的に他宗教と共存が難しいキリスト教の影響力が強まっていく。他宗教の信仰を許さないキリスト教がテオドシウス帝の時代に国教化(380)され、ローマ世界から信仰の自由、思想信条の自由が失われていく。テオドシウス帝の時代にミラノ司教のアンブロシウスが宗教的権威として存在感を強め、ローマ世界の最高権力者であるローマ皇帝と対等な立場に立つ。宗教であるキリスト教が、俗世の最高権力者と対峙できるほどの強大な権威をもつ時代が近づいていた。
 古代ローマ人は他民族や異文化を受け入れる寛容の精神を持ち、戦争の敗者を自分たちの社会に同化させ、ローマの勢力圏を飛躍的に拡大させ、アレクサンドロス大王の帝国に匹敵する世界帝国を建設した。古代ローマ時代には、「心の中では何を信じても、何を考えても自由」という思想の自由の基盤が自明の原則だった。しかし、中世ヨーロッパでは、ローマ・カトリックの正統な教義に反する信仰や考えを持つことは罪悪であるという考えが強くなる。これは当時の哲学にも大きな影響を与え、精神的なもの、概念的なものが存在するという実在論によって物事を考える中世では「思考と行動の境界線」が曖昧になっていった。今の私たちには理解し難いことだが、教会や政治権力が道徳的に悪いと定めることを考えるだけでも実際に処罰される可能性があるという危険な状況が生まれたことを意味している(前述の高階言明参照)。
 キリスト教に限らず宗教の特徴は、「個人の内面の自由」に対して基本的に非寛容であり、道徳と法律の境界線が曖昧になることで自由な発言や表現を禁止することである。宗教教義がそのまま罰則のある法律となるような原理主義的政治では、民衆が相互に道徳的な監視を行うことになりやすく、正しいことをしなければ処罰される、悪いことを考えれば制裁を受けるという強迫観念が一般化する。淫らな事柄を想像さえしてはいけない、生殖と無関係な性的快楽は罪悪であるという性的欲求の抑圧というのは、中世ヨーロッパ社会において普遍的な信仰であると同時に法でもあった。信仰心が高い村落共同体は、性を罪悪視する余りに男女差別の観念を集団的に強調し、異端審問の名を借りた魔女狩りや共同体によるリンチなどへと暴走することもあった。また、地方領主自身が率先して神聖裁判や魔女狩りを行うこともあり、中世封建社会では地方領主の権力は絶大で、国王といえども各領主に対して強制力のある命令を下すことは難しかった。ローマ的な実利優先の法治主義は、キリスト教の聖書、教義や信仰に基づく慣習法よりも劣るものと見なされ、「内面の自由、自由意志」は被造物が神の意志を否定する許されない自由だと考えられていた。
 個人の自由な意志と性的な想像力が徹底的に抑圧された中世期にも独自の哲学(=スコラ哲学)が発展する。中世のスコラ哲学は神学の婢女であり、キリスト教の正統性と権威性を証明するという役割をもっていた。スコラ哲学は文献学や理性的な討論を重視した学問を意味するが、神学を論理的、かつ実在論的に補強する哲学だった。批判精神や懐疑主義、そして自由意志を表明できないという意味では、スコラ哲学は不自由な哲学で、最終の解答がわかっている命題を証明するために文献学的、論理学的な証拠をかき集めるという性格を濃厚に持っていた。しかし、キリスト教とスコラ哲学は中世ヨーロッパが分断するのを押し留めた精神的な礎石だった。アリストテレス哲学を使ってキリスト教実在論的神学をつくり出したトマス・アクィナスは、「神の実在」を論理的、文献学的に証明したのである。
 トマス・アクィナスの『神学大全』によるスコラ哲学の完成の意義は、キリスト教の正統教義に対する反論、疑問、異説に対する「解答マニュアル」をつくったことにある。だが、スコラ哲学を基盤とした壮大かつ煩雑なマニュアルは、「精神的な普遍的概念や観念」が「物理的な事物(実際の個物)」に先行して独立的に存在するという実在論を前提にしていたため、ウィリアム・オッカムによる実在論を論駁する唯名論の提唱によって、スコラ哲学自体の根拠が揺らいでいく。オッカムの唯名論によって普遍的概念は「単なる記号(ことば)」と見なされるようになり、人間中心の人文主義の影響もあってスコラ哲学の権威は失われていく。その結果、信仰(宗教)と哲学(学問)の分離が起こり、「主観的な思考(心の内面)」と「客観的な行動」の境界線が明瞭になり出す。
 普遍的概念が実在するという実在論は、理性的な思考によって導かれたイデア的な真善美の規範から、被造物である人間は逸脱してはいけないという行為規範を導き出した。これは、「普遍的な知性に対する意志の従属」という帰結を導き出し、宗教的に正しいとされる知識に反する行動も思考も決して許されないという世界観を作り上げた。中世ヨーロッパでは、人間が自分の行動を自由に選択できるという自由意志の存在を認めず、人間は、イデア(神の実在)のような普遍的な観念の実現に向けて行動するだけの「受動的知性」として定義されていた。しかし、オッカムがその剃刀を駆使して、人間を従属させていた普遍的な観念が具体的な事物を言葉で表現するために用いる「記号」に過ぎないと論じたことで、実在論による自由意志の呪縛が解け出したのである。人間は普遍的な知識に無条件に従うだけの受動的知性ではなくて、自分の人生を自分の善悪観に従って選択できる自由意志を持つ主体的存在(=能動的知性)であると認識することによって、内面の自由が拡大し始めた。
 そして、キリスト教的な禁欲や魂の実在を前提とするヨーロッパ世界の普遍主義は、イタリア・ルネッサンスによって世俗の世界での支配力を失うことになる。中世哲学は「神」ではなく「自我」を理性的思考の出発点とする人文主義にその座を譲り、市民社会形成の基盤となる近代哲学が登場することになる。