親椿(しんちん)と親水

 今はツバキの花が目につきます。武蔵野台地の端にあるのが関口台地で、神田川に面した辺りには南北朝時代から椿が自生し、「つばきやま」と呼ばれていました。そして、そこにできたのが椿山荘です。また、新椿橋(しんつばきばし)は新中川に架かる橋ですが、かつては椿橋と呼ばれていました。椿と水は昔から好まれてきた組み合わせのようです。

 江東区江戸川区には親水公園が多くあります。川や運河が多かったためですが、文字通り「水に親しみを感じ、それを好む」のが親水公園です。そのためか、冬や春は比較的静かで、それが親水公園と椿がしっくり合う条件になっているようです。水と椿を一緒に味わうこと、つまりは親水と親椿の公園がちょうど今ということになります。

 

ヤハズエンドウの花

 ヤハズエンドウはマメ科ソラマメ属の植物で、日本のいたるところで見ることができます。繁殖力が強く、あちこちに自生しています。画像のように茎には巻きひげがあるのがヤハズエンドウの特徴で、周囲の植物に絡みつくことがあります(画像)。別名の「カラスノエンドウ(烏野豌豆)」は中国名の「野豌豆」から出た言葉です 標準和名は「矢筈豌豆(ヤハズエンドウ)」で、小葉の形を矢筈(弓矢の弦を受ける部分)に見立てたもの。秋に発芽し、春になると60センチから120センチほどに生長し、花期は2月末から6月です。

 白花のヤハズエンドウは白花変種(はくかへんしゅ)で、本来は色のついた花を咲かせるはずなのに、花弁で色素が形成されず、白い花をつける個体です。いわば、花のアルビノ。カルコン(黄色)、フラボン(淡黄色)、アントシアン(赤や青)等の色素の発現に関わる遺伝子の異常によって起こり、花弁の細胞は一般に葉緑体が発達せず、透明に近いので、雪と同じで、光の乱反射で白く見えます。

 白花のヤハズエンドウは珍重され、好んで栽培されます。私がたまたま見た白花の個体は野生の個体で、その周りには普通のヤハズエンドウの花が咲いていました。目を凝らして見ると、花は純白ではなく、微かに赤紫の色が浮かび上がっています。

カラスノエンドウ(烏野豌豆)の標準和名はヤハズエンドウ(矢筈野豌豆)です。漢字を見ると「烏の豌豆」ではなく、「カラス野豌豆」です。同じように考えて、「ヤハズ野豌豆」、つまり「ヤハズノエンドウ」とはならないのでしょうか。

 

マルバ スボバータの花が咲く

 画像の花がウスベニアオイ(Malva sylvestris)の仲間だと推測し、調べた結果、アオイ科のマルバ スボバータ(Malva subovata)とわかったのが一昨年でした。Wikipediaによれば「Malva subovata, the tree mallow, is a species of flowering plant in the family Malvaceae」で、以前はLavatera maritimaと呼ばれ、二色の花びらが園芸家の人気を集め、ガーデン功労賞を受賞しました。別名がMediterranean Shrub Mallow。

 Malvaはゼニアオイ属を指していて、そのゼニアオイ属はマロウコモンマロウと呼ばれていて、地中海の海岸に自生するアオイ科の顕花植物の一種です。マロウは山や森に自生し、強い繁殖力をもつのが特徴です。成長が早く、園芸用としてもよく使われています。

 このマロウが今年もまた咲き始めています。花は淡紫色で濃紫色の筋があります(画像)。よく似た花をつけるのがウスベニアオイ、スイフヨウなどです。よく見るゼニアオイはウスベニアオイの変種ですが、花の印象はかなり違います。

 この春で3年目の有明アリーナのマロウは大した手入れがなくてもとても元気で、今年もたくさんの花をつけ始めています。



「花はなぜ咲くのか」への解答:老人の杞憂

 心配する必要がないのに心配するのが老人の本性で、その一つが「花はなぜ咲くのか」への解答。花が咲く理由は、風にそよいだり、虫をおびき寄せたりすることによって、花粉を遠くへ運んでもらう必要があったからというのが常識的な解答。ダーウィニズムに従えば、風や虫という環境要因をうまく繁殖に利用するような形質を発現する遺伝子は、その集団内でより増殖しやすい傾向にあるから。この二つの文の最初は日常的な表現、次はそれを生物学的な語彙を使った言い換えで、同じことを別の語彙を使って表現したものというのが一般的な見解。でも、最初の文は花粉を遠くに運ぶという「目的」のために必要だと言っていて、花は「花粉を(遠くに)運ぶために」ある。二番目の文は遺伝子を使い、しかも生物学的、統計的な事実を背景にした説明で、ここには「目的」は登場しない。目的を使った説明と因果的な過程をもとにした説明との違いを理解するのは意外に厄介である。私たちの常識や習慣は目的を有効利用しているので、ついそれに慣れて、目的を使って自然現象を説明しまいがちである。兎に角、花を咲かせる遺伝子群がそうでない遺伝子群より選択的に有利となり、現在花が咲いているというのが現在の説明である。

 私たちが見る多くの花は咲くと、実がなる。その実から芽が出て、次の世代の個体が生まれる。だが、そんな花ばかりではなく、ソメイヨシノのように花が咲いても種が取れず、次の世代が育つようにはなっていない花もある。そんな花がなぜ立派に咲き続けるのかというと、最初は突然変異という偶然の結果だったのに、それが続いたのはそこにソメイヨシノの花を愛でる人がいたからである。たとえ実は成らなくとも、花が美しければ、それだけで株を増やしてくれる人がいたという環境要因があったからである。特定のハチに選択的に受粉させるような花を咲かせることで代を重ねて進化してきた植物と、パッと咲いてパッと散る見事な花を年に一度だけ見せることによって、日本人に株分けをさせてきたソメイヨシノとでは、仕組みは大きく違う。だが、実は二つは同じことで、人間も生物に他ならないとすれば、自然淘汰(natural selection)と人為淘汰(artificial selection)に本質的な差などないのである。

 遺伝子研究の結果、ソメイヨシノエドヒガンとオオシマザクラの雑種が交雑してできた単一の樹を始源とするクローン。各地にある樹はすべて人の手で接ぎ木などによって増やしたもの。ソメイヨシノは人為選択によって、種のとれる花は大抵自然選択によって、それぞれ繁殖している。確かに二つとも選択だが、本当に同じことなのか。『種の起源』を書いたダーウィンは、その本の中では二つはアナロジーに過ぎないと考え、まずは人為選択を述べ、同じようなことが自然でも起こっているとして自然選択の原理を述べ、その例を挙げている。「人為」と「自然」の共通点と相違点をどのように捉えるかはとても基本的な事柄で、環境保全や持続可能な政策にとって不可欠のもの。

 人の遺伝子の99%以上は共通部分で、残りのわずかな違いが人種の違いや顔かたちの違いになって現れる。生まれつきの個性は遺伝子レベルでは本当に僅かしかない。だから、自分が直接遺伝子を残しておかなくても、同じ人類が生き残るのに有利な働きを残せば、かなり高い確率で自分と同じ遺伝子は存続できてしまう。そもそも、自分の子供を残したところで、その子供に本当に残せる自分の遺伝子はたった半分だけ。ここにも常識と科学の混入が見られる。「私の遺伝子」と「あなたの遺伝子」は違うのか、それとも同じなのか。科学的には「同じ」である。遺伝子には私やあなたの違いは反映されていない。「誰の遺伝子か」という問いは実に象徴的な問いで、常識や習慣と科学的知識とを組み合わせた表現になっている。既に私たちは「私の心臓、私の脾臓」という謂い回しには慣れているが、古代日本人は使わない謂い回し。でも、その古代人でも「私の手、私の足」とは表現したはずである。自分の手足や心臓に愛着を持てる人は当然自分の遺伝子にも愛着を持てるはず。自分の手足や心臓は自分の遺伝子の組み合わせからできているのだから。だが、私たちの気持ちはいつも理屈にしたがう訳ではなく、自分と他の哺乳類の遺伝子が同じことを受け入れる寛容さはもっていないようである。

 さて、「なぜ遺伝子交換を伴う生殖が必要か」という理由の答えが実はここにある。世代交代は遺伝子組み合わせ実験の実験場でしかない。どんな正常な人の子供にも、致死遺伝子のようなまずい組み合わせが生じる可能性がある程度はある。その代わりに、私たちは実際に形質として発現する遺伝子以外にも隠れた遺伝子をたくさんもっていて、その組み合わせの多様性によって、急激な環境変化に対して柔軟に適応できるような遺伝戦略を取れるようになっている。これこそ進化の結果、私たちが獲得した知恵なのである。

 人と類人猿、あるいは人とクジラやイルカなどを比較しても、遺伝子の総体としてはそれほど変わらない。だとすれば、イルカや動物の保護に血道を上げる人の行動もまた、たとえ人類が滅びようとも、哺乳類全体が生き残ればいいと考えることもできる。哺乳類の保護には敏感でも、ゴキブリや原核生物の保護に乗り出す人がほとんど見られないのも頷けるというものである。

 人は傲慢だから、何でも自分の立場から考え、説明しようとする。その際、どのような知識や情報を使うかには鈍感で、都合の良いものを無節操に使うことがしばしば起こる。知識を使うのが上手い人たちにはそのような傾向が顕著に認められる。文系の人たちの説明(「文系」のような分類も文系由来のもの)や歴史的な説明と呼ばれるものの多くは玉石混合で、見事なモザイクになっている。私たちの日常生活についての常識と遺伝子の存続に関する遺伝学的知識とをどのように組み合わせ、まとまった説明にするかは一筋縄ではいかない。個人の行動レベルと遺伝子の化学レベルは異なるレベルであり、二つの異なるレベルの因果連関を組み合わせて整合的なストーリーをつくることは通常はできない筈だが、それを何の支障もないかの如くに実行してみせることが行われている。それぞれのレベルの文脈をどのように斟酌し、それぞれの情報を一つの文脈にまとめ上げるか、残念ながら今の私たちはその方法を知らない。それはよく聞くインターフェイスなどといった概念では決して片がつくような問題ではない。常識は経験に基づくが、科学的知識も経験に基づいている。いずれも経験なのだが、とても違った経験である。常識の経験は日常生活の経験だが、経験科学の経験は実験や観察という特殊な経験。まず、いずれも経験であることで、両者はつながっているが、しかし、異なる種類の経験だということから、両者は異なっている。

春のヒメオドリコソウ

 今広い公園にはホトケノザヒメオドリコソウの花が咲いている。ホトケノザはその葉の形が仏様の台座のように見えるというのが名前の由来。ホトケノザといえば春の七草の一つとして有名。だが、残念ながら七草の「ホトケノザ」は同じ名前の別の植物で、コオニタビラコを指している。

 ヒメオドリコソウはヨーロッパが原産で、明治の中頃に渡来し、いまでは日本各地に広がっている。同じオドリコソウ属にオドリコソウ(踊子草)があるが、こちらは在来種。このオドリコソウによく似ていて、小振りなので「姫」がつけられた。ヒメオドリコソウは極めて繁殖力が強く、色々な場所で群落を作っている。

 湾岸地域のあちこちでホトケノザヒメオドリコソウもよく似た小さな花を開いている。まだ、暫くはその小さな花たちを楽しむことができる。

*最後の画像はホトケノザ、その前の画像の青い花オオイヌノフグリ

ホトケノザ

 

オオアラセイトウの花

 アブラナ科オオアラセイトウの花が咲いている。それも花壇の端で咲いている。別名が「ハナダイコン(花大根)」、「ショカツサイ(諸葛菜)」、「ムラサキハナナ」で、江戸時代に観賞用として渡来し、野生化したものとされているが、最近は園芸用に種や苗が売られていて、画像もその園芸用のもの。

 オオアラセイトウは発芽した状態で冬を越し、春に開花する越年草。群生すると、野原一面を紫色に変える。春になると河原や街中の空き地、道路脇など、身近なところでその花を見ることができるが、画像のオオアラセイトウは花壇に植えられたもの。

*「オオアラセイトウ」は、ストックの和名「アラセイトウ」からきている。一重咲きのストックに花姿が似ているということからつけられた和名。

**三日前にハマダイコン(浜大根)について記した。最後の画像のハマダイコンは野菜の大根が野生化し、海岸の砂地に生えたと言われている。

ハマダイコン

 

ネモフィラとオオイヌノフグリの花

 ムラサキ科ネモフィラ属のブルーインシグニスが一面に咲く光景で有名になったのが国営ひたち海浜公園ですが、普通はネモフィラと呼ばれています。ネモフィラは4月中旬に見頃になり、花径2cmほどのサイズで、みはらしの丘一面が青く染まり、インスタ映えする景色のため、多くの人が訪れます。湾岸地域でもあちこちで見ることができます。

 既に記したオオバコ科クワガタソウ属のオオイヌノフグリ(大犬の陰嚢)もあちこちの空き地で見ることができますが、その花色は一見するとネモフィラと似ていなくもありません。オオイヌノフグリは春の早い時期に花を咲かせることが多く、3月から4月にかけて見られます。一方、ネモフィラは4月中旬から5月にかけての開花が一般的です。

 オオイヌノフグリの花の直径は約1cm程度で、ネモフィラに比べて小さめです。一方、ネモフィラの花は直径が2cm以上になることもあり、オオイヌノフグリより大きな花を咲かせます。また、オオイヌノフグリの花びらは4枚ですが、ネモフィラの花びらは5枚のため、花びらの数でも見分けることができます。

ネモフィラは北アメリカ原産の一年草で、和名が「瑠璃唐草(るりからくさ)」。野原のオオイヌノフグリの別名も「瑠璃唐草」です。ネモフィラ以外の画像は既に記したものですが、「同じ、違う」という異なる観点から見比べると、どんな比較ができるでしょうか。

ネモフィラ

オオイヌノフグリ

マダムマルシア

オックスフォードブルー

オオカワヂシャ