妙高の生い立ちを垣間見ると…

 歳をとると生まれ故郷が気になるのが人の常だが、故郷に大した想い出をもたない私でもそれなりに故郷が気になり出す。死と生は意外に近いのである。自分の故郷は知っているようで知らないことばかりなのだが、知っていることは子供の頃に経験した事柄ばかりで、故郷についての客観的知識や最新情報など皆無に近い。そんなことへの反省や後悔を込めながら、我が故郷を自己流に振り返ってみた。
(1)新井は在郷町、そして宿場町
 在郷町は中世から近世に、農村部で商品生産の発展に伴って生まれた集落。主要な街道が通る農村では、その街道沿いに形成される場合が多い。ランドマーク(目印)、パス(道)、ノード(結節点)、エッジ(縁)、ディストリクト(地域)の5つが町を構成する要素と言われるが、在郷町が城下町、宿場町、門前町などと決定的に違うのは、町の中心となる施設(城郭・大きな宿場・有力寺社など)がないことで、農村部で自然発生的にできたことを物語っている。城下町などと違い、商工業者のほかに農民が多く在住していることや、都市と農村の性格を併せ持つことも特徴である。
 在郷町の発達には近世期の在方(農村部)における生業の変化があり、近世に在方では米麦栽培のほか養蚕、たばこなどの商品作物が生産され、それによって在郷町が生まれたと考えられている。 私が住んでいた頃は、町場(まちば)に対して、在=いなかの意味で使われていた。
 在郷町は都市的要素と農村的要素が社会的・空間的に混在しながら町を形成するという特質を持つと言われてきた。つまり、農村地帯において、流通の結節点となり街道沿いに商工業が集積した「まち」であり、他農村とは一線を画した存在だった。在郷町として農産物の集散地であり、商工業の中心でもあった。だが、高度経済期を迎え、車社会が到来する頃には、郊外型の大規模店舗が登場し始め、商店数や娯楽施設は減少していく。その結果、多くの在郷町は衰退し、新井も他の在郷町と運命を共にしたのである。
 妙高市の前身の一つが新井(荒井)宿である。新井宿は北国街道と信州の飯山とを結ぶ飯山街道の交差する交通の要所として発展した。現在でも旧街道沿いには古い町屋や東本願寺新井別院、賀茂神社などが点在している。街道から少し離れると延喜式神名帳に記載されている斐太神社や上杉景虎の最期の地となった鮫ヶ尾城、縄文時代から古墳時代までの多くの史跡があり、古くから開けていた地域だとわかる。物資の集積地として早くから開かれていた新井宿は、飯山街道の起点で、信州・江戸への荷物の運搬の拠点としても栄えた。新井の町並みは上・中・下の三町からなり、中心となる中町には本陣(大名・幕府役人などの休憩施設)・町名主宅(村の代表者宅)・高札場(法令を知らせる立て札所)・問屋(宿役人馬の責任者宅)などが軒を列ねていた。元禄14(1701)年から文化6(1809)年の間、幕府代官所の陣屋が置かれ、大崎郷・上板倉郷・下坂倉郷の計97ヵ村総高5万石余を支配していた。また近郷の在郷町として毎月6日・10日・16日・20日・26日・晦日に市が立っていた。
(2)赤倉は温泉町
 江戸時代の温泉開発となれば、赤倉温泉赤倉温泉妙高火山の北地獄谷に湧き出す温泉を引湯してきている。多くある日本の温泉町の一つであるが、その歴史は独特だった。妙高山御神体とする宝蔵院(関山権現)がその温泉の権利をもっていた。安永7年(1778年)に長野県 牟礼村から、天明元年(1781年)には地元の庄屋たちから湯治場の開湯の願いが出された。だが、宝蔵院は神聖な妙高山に俗人が入るのを嫌い、さらに享保12年(1727年)にすでに開湯していた関温泉から入る冥加金が減るのを嫌い、許可を出さなかった。その後、享和3年(1803年)に地元の庄屋たちが高田藩の後押しを得て、再度開湯の願いを出した。高田藩がくり返し交渉を続けた結果、文化11年(1814年)になりようやく、宝蔵院から開湯の許可を得ることができた。赤倉温泉の工事が始まったのはさらに2年後の文化13年(1816年)である。文化13年9月には共同浴場の湯船2箇所が完成し、赤倉温泉がはじまった。今風には赤倉温泉第三セクターによる温泉経営であり、むろん日本最初のものだった。
 その後、明治26年1893年)に信越本線直江津・上野間の全線が開通した。これと同時に従来の湯治客が激減する。そのため、それを補う方法として県外客を誘致することに努め、皇族や文化人・県知事などが訪れるようになった。明治32年には尾崎紅葉が赤倉に滞在している。文化人の中でもっとも赤倉を愛した人は、日本美術の理解者である岡倉天心であろう。天心が初めて赤倉を訪れたのは明治39年1906年)で、その後彼は赤倉に別荘を建て、東洋のバルビゾンを夢見た。
 鉄道の開通により湯治客が減少し、苦境に立った赤倉温泉を救ったもう一つは、駅に近い田口地区から持ち掛けられた分湯の話である。田口地区が赤倉の温泉を分湯する権利を、当時の金額6000円で買い取り、妙高温泉が明治36年から営業を始めた。さらに、大正6年から池の平温泉の開発が始まった。

 同じ故郷でも随分と違った話になってしまった。それは何を意味しているのか。今の妙高市は二つの(あるいはそれ以上の)異なる歴史をもった地区のモザイクのような町であり、それゆえにその二つの違った歴史、風土、経済が時にはうまく融合し、時には両立しないことが起こってきた、ということか。
 妙高市が他の町と異なるのは妙高戸隠連山国立公園の存在なのだが、それが地域住民に何をもたらすかは意外に霧がかかり、雲に覆われ、謎に包まれたままなのである。国立公園が在郷町と温泉町とをどのように結びつけるか、誰にもその答えがよく見えない中で、自然をどのように利用するかを模索しているのだと自分に言い聞かすのだが…

アリストテレスの正常(normal)モデル

[性についての伝統]
 アリストテレスは生殖を他の動物と比較することによって研究した最初の人であり、彼の考えによれば、精子が胎児を産み出す種をもち、月経の血がそれを成長させる土壌となる。アリストテレスは、胎児を形成し、成長させるのは霊魂であり、男はその形相因、機動因であり、女はその質料因であると考えた。彼の考えはトマス・アクィナスに引き継がれ、カトリック神学の基盤となる。人間の誕生はまず植物的、次に動物的、最後に人間的の順で起こる。この考えから初期の教会では嬰児殺しより、植物的段階の堕胎に対する倫理的な反対の方が少なかった。また、精子は生命の本質であるので、それを浪費することは重大な罪とみなされた。イスラム教では女の精子も生殖において血や肉を造る素になると考えられ、男の精子だけでは生命はできないので、男の精子の浪費は問題ではないとされた。こうして、マスターベーションに対してキリスト教イスラム教で異なる態度が取られることになった。

(問)なぜ多くの生物には性があり、オスとメスの性比は通常1:1なのだろうか。まず、性比について性染色体を使って性比が1:1であることを説明しなさい。また、関心のある人はフィッシャーの性比(sex ratio)のモデルを調べ、そのモデルによる説明と性染色体を使った説明を比較し、何が異なるか示しなさい。

 性やジェンダーの議論に限らず、人間の心理や行動を語る場合、「正常」、「異常」という言葉が多用される。「異常性愛」という言葉は正常な性愛があって、そこからのズレと考えられている。「正常」や「異常」には事の「善し悪し」に似た、価値判断が含まれているようにみえる。ここには規範にかなっていれば正常、もとれば異常という判断が含まれているように思われる。そのような判断が含まれていれば、「正常」や「異常」を含む考察や研究は価値判断を含むものとなってしまう。類似の例は「健康」と「病気」である。このような理解はどこから生まれてきたのだろうか。

(問)「正常」と「異常」について自分が今までどのように区別していたか要約しなさい。

[科学的知識と正常モデル]
 どのようなものにもそれ本来の存在の仕方と場所があり、その本来的な姿を正しく把握することが本質の理解につながるというのがアリストテレスの正常モデルの考えである。アリストテレスの物理学は目的論(teleology)に満ちている。彼は星を有機体に劣らず、目的志向型のシステムであると信じていた。重い物体はそれがもつ内的な目的によって地球の中心へと引きつけられる。重い物体はこれを自らの機能としてもっている。どんな対象にもその自然状態(natural state)があり、その対象の不自然な状態から区別される。対象が不自然な状態にあるのは外部からの干渉が働いた結果である。自然な状態にある対象に働いて、その対象を不自然な状態にする干渉力は、自然なものを偏向させる原因である。したがって、自然の中に見られる変異(variation)は自然な状態からの偏向として説明される。干渉力がなければ、重い対象、軽い対象はみなそれぞれの本来の場所に存在することになる。ニュートン以後の物理学には「自然な」、「不自然な」という語は登場しなくなるが、アリストテレスの区別はそれらの物理学においても可能である。対象に働く力がなければ、当然、干渉力もない。物理学での自然状態は力の働かない状態であり、慣性の法則がこれを表現している。また、目的と機能はアリストテレスでは結びついていたが、ニュートン以後の物理学では切り離されている。
 このアリストテレスのモデルは物理的なものだけではなく生物に対しても適用される。人間の正常な姿が人間の本質を具体化したものであり、その本質から外れたものが正常でないものである。それら異常なものはたとえ出現しても選択され、支配的になることはない。このモデルは天体の構造や生命現象を大変うまく捉えている。模範になる姿があって、それに外れるものはたとえ存在しても、あくまで例外に過ぎない。現在でも理科室にある動植物の標本はその種を確認するための模範となる標本(模式標本)と理解されている。

ダーウィンの変異モデル]
 アリストテレスの正常モデルと根本的に異なるのがダーウィン(Charles Darwin, 1809-1882)の変異モデルである。彼は生物集団の中には常に変異(variation)が存在し、それが個体差として選択のふるいにかけられ、生存と生殖に関して有利なものがその集団の中で多数を占めるようになっていくという、いわゆる自然選択説(theory of natural selection)によって生物の進化を説明した。この説明の出発点は変異の存在である。この変異あるいは個体差には正常も異常もない。集団内の個体に模範となる正常なものも異常なものもない。あるのは個体間の差だけである。そして、この差が選択の原動力になっている。したがって、「正常、異常」とはある時点の集団の「多数派、少数派」に過ぎなく、本質的なものではない。

(問)ダーウィンの「自然選択、人為選択」と統計学の「サンプリング」を比較し、共通点を述べなさい。また、サンプリングエラーと遺伝的浮動(genetic drift)を比較し、共通点を探してみなさい。特に、バイアスのあるサンプリングと選択を比較してみてください。
(問)「自然選択」という概念は擬人的でしょうか。「動く」と「選ぶ」という表現を手掛かりに考えてみなさい。
(問)自然選択と性選択(sexual selection)は何が異なるのでしょうか。

[二つのモデルの違いと価値判断]
 このように見てくるとアリストテレスニュートンダーウィンの違いは歴然としている。では、私たちが現象を考える際、いずれのモデルで考えているだろうか。多分、物理現象、生命現象に関してその原理的な部分ではニュートンダーウィン風に、私たち自身の身体的特徴、行動に関してはアリストテレス風に考えているのではないか。異常な行動は大抵の場合悪い、してはならない行動とさえ考えられている。このように述べただけでも、そのような分析が価値判断を含むかどうか、価値判断から中立かどうかといったステレオタイプの問題ではないことが明らかだろう。

(問)宇宙の仕組み、環境問題、友人関係を考える場合、いずれのモデルを使って考えてきたか振り返ってみてほしい。また、「基準」と「規準」の違いは何でしょうか。

 アリストテレスのモデルが(かつて考えられていたように)正しい科学的なモデルであれば、「正常」、「異常」は優れて科学的な概念であり、それら概念を正しく使っての判断は正しい科学的な判断である。一方、ダーウィンのモデルが正しい科学的なモデルであれば、「正常」、「異常」は科学的に誤った概念であり、それら概念を使っての判断は科学的に誤った判断ということになる。この表現のどこにも価値判断など入っていない。問題は「正常」、「異常」を最初から価値判断が入っていると思い込むことである。確かに、より複雑な人間の行動に関しては科学的でない基準や約定が関与しており、そこから価値判断を含んだ「正常」や「異常」が生まれ、伝統をつくってきた。しかし、それら基準や約定は科学的な知見に依存している。その科学的な知見が正しいかどうかを判定するのはいずれのモデルを選ぶかという問題であり、価値判断とは独立した事柄である。

(問)奇(畸)形という概念が科学的か否か述べなさい。また、「高等生物」、「下等生物」という表現はどんな基準に基づいていたのでしょうか。

秋(6):ユズ

 西条は「新井の在」という表現が妙に子供の私の耳に残っている。在の西条の親戚の家に大きな柚子の木があり、沢山の柚子がなっていた。それはとても珍しい光景で、今でもぼんやり憶えている。在の農家は新井の街中の家とは違っていて、それも脳裏に刻み込まれている。妙高市の前身の新井は「在郷町」と呼んでいいだろう。城下町、宿場町、門前町ではなく、農家と農産物の集積の町で、幾つもの在をもっていた。
 さて、肝心の柚子は大木になり、果実は比較的大きく、果皮の表面はでこぼこしている。種子が多く、酸味、香りが強い。ミカン属の中でもっとも耐寒性が強い。他の柑橘類より手がかからない。 成長が遅く、「桃栗3年柿8年、柚子の大馬鹿18年」などと呼ばれてきた。海外でも「ユズ」と呼ばれている。原産地は中国の揚子江上流とされている。
 画像はオニユズ(シシユズ、獅子柚子)で、実はブンタン(文旦)の亜種。奈良時代に日本に渡来。画像の姿はまさに「獅子」のようなイカツイ顔立ちで、グロテスクでさえある。オニユズはユズではなくブンタンの仲間なので、ユズのような強い香りは無く、ほのかに柑橘類の香りがする。大きな実で、直径20㎝前後にもなる。表皮と果肉の間にはブンタンと同じように厚く白い綿が詰まっている。

f:id:huukyou:20180919061155j:plain

f:id:huukyou:20180919061213j:plain

f:id:huukyou:20180919061236j:plain

 

アリストテレスの自然:アリストテレスの四原因

[世界には四つの原因がある]
 論証の前提と現象の原因とは無関係の事柄である。論証は心的な働きであるが、因果的経緯は心の外、つまり物理世界での現象の生起パターンのことである。前提と帰結、原因と結果、これら二つはとてもよく似ているが、実際は似ても似つかぬものであり、その混同がこれまで多くの問題を生み出してきた。私もこれまでそのことを何度も述べてきた。
 「どんなもの、どんなことにも原因がある」のは自明のことだと考える人が多いが、そのような伝統をつくり出したのがアリストテレスである。そして、今でも出来事や現象を知るとは、それらの原因を知ることだというのが常識になっている。アリストテレスは哲学者である以上に経験科学者だった。彼の研究方法とその成果は17世紀まで物理的な世界観を支配し、19世紀まで生物的な世界観を牛耳ってきた。それほどまでにアリストテレスの伝統は強大であり、また説得力ももっていた。そこで、長い伝統を育んできたアリストテレスの自然についての考えを見てみよう。
 アリストテレスは形相(本質)が対象の外にではなく、具体的な個体(個物)の中にあると考えた。彼の師であるプラトンイデアが個物から超越して存在しているのと違って、形相は個体に内在し、すべての個体はその形相と質料から合成されている、つまり個体の性質はその個体に内在する、とアリストテレスは考えた。
 アリストテレスは存在するものの変化を説明するために「可能態」と「現実態」という区別を考えた。そして、彼は可能態と現実態の間の変化を4つの原因によって説明しようとした。アリストテレスは自然に4原因-形相因、質量因、機動因(起動因)、目的因-を認め、それらを使って事物の現実あるいは可能な状態とその間の変化を因果的に説明しようとした。それぞれの原因がどのようなものかを家を例に考えてみよう。質料因は家を造る材料、石、木等である。形相因は家を造る設計者の心の中にあり、質料によって具体化されるデザインである。機動因は家を造る主体、つまり、建築家である。目的因は家を造る目的である。アリストテレスはこれらの異なる役割を下の表のように考えている。

形相因 物質的なものを現実化する、決定する、特定するものである。
質料因 それなしには存在や生成がない、受動的な可能態であるものである。
機動因 その作用によって結果を生み出す。それは結果を可能な状態から現実の状態に変える。
目的因 そのために結果や成果がつくられるものである。

(問)身の周りの事柄を理解・説明するためにアリストテレスの4原因が使い分けられ、彼の考えが今でも生きていることを確かめてみよう。

 アリストテレスの四原因は事物の構成と変化の両方に関わっており、変化の時間軸に二つの原因(機動因と目的因)、構成の階層軸に二つの原因(形相因と質料因)を置いたと考えられ、それぞれ時間的因果性、存在論的因果性と呼ばれている。その後、いずれの軸も一方向だけが取り上げられ、時間軸からは目的因が、階層軸からは形相因が排除されて行った。それが現在の因果的、還元的説明のもとになっている。階層軸は科学の研究の仕方もあって個別科学の研究領域に分けられ、分業化が進み、階層的に分割された各領域では機動因だけがもっぱら研究対象として取り上げられることになる。
[四原因のその後の運命]
 四原因すべてを使わずに、少ない原理、原則によって現象を説明しようとする傾向が次第に強くなっていく。自然法則によって運動を説明しようとした物理学の最初の総決算はニュートン古典力学だった。さらに、物理的な運動だけでなく、生命現象に対しても自然選択だけで十分説明可能と考え、自然選択に基づく進化論を展開したのがダーウィンだった。力学や進化論では機動因に対応する自然法則が因果的な説明に不可欠のものとなっている。そして、機動因以外の原因は自然の説明にとって不要のものというだけでなく、誤ったものという烙印を押されることになる。だから、物理学の教科書に出てくる物体が目的をもっている、生物種が変化しない性質しかもたない、つまり、生物は不変だ、といった考えは現在の私たちにはない。
 機動因に対応する自然法則によって因果性が理解できるという物理学に対して、因果性の認識について疑いをもったのがヒュームだった。因果性についてのヒュームの徹底した懐疑論は因果関係の認識を心理的な恒常的連結に過ぎないとしたが、これを救おうとしたのがカントであった。だが、彼の試みは因果性をカテゴリーという合理的思考の領域に追いやり、やはり、自然の性質そのものであるとは見なさなかった。
 上のような説明は私たちの行為に関して成り立つだろうか。行為の説明も同じように法則を使って行われなければならないというのが通常の考えであり、信念・欲求を原因にして、その結果として行為を説明するという風に考えられている。しかし、心的な状態である信念・欲求がどのように身体的な変化である行為を引き起こすかは誰にもまだわかっていない。また、心身の間の法則もその形式すらわかっていない。その理由の一つは上述の時間軸と階層軸の違いにありそうである。

心的状態 (信念、欲求)→ 脳状態 ⇒ 行為
→:階層間の還元関係、⇒:時間的な因果関係

行為の因果的な説明は時間軸上でなされるはずであるが、行為の因果的関係の一部である心身の関係は階層軸上の関係であり、行為は二つの軸にまたがっての因果関係になっている。だが、両方の軸にまたがる因果関係を正確に表現し、理解することに私たちは依然として成功していない。階層軸上の関係は因果関係ではなく、還元関係として特徴づけられており、そのような枠組自体が心的因果(mental causation)を考えにくい、厄介な問題にしているのである。この厄介さはどのようなものなのか。アリストテレスの4原因は分解され、因果関係と還元関係の二つにまとめられ、この二つの関係は相互に独立のものと見なされてきた。例えば、物質と生命は異なるレベルにあり、物質にはない「生きる」という性質は創発的な(emergent)性質であり、還元はできないという主張をよく耳にするだろう。物質のどこを探しても「生きる」ことは見出せないように見える。これが生命ではなく心であれば、なおさら物質に還元できない性質が多くあると想像できる。そのような性質をもつ心の状態が下方因果的に脳の状態に働きかけるのが信念や欲求が原因として働くことであると考えられてきた。しかし、心の物質への働きかけ、作用は異なる階層間での因果関係であり、そのような因果関係は私たちが科学革命以後捨て去ってきたものである。これが厄介さの理由である。

秋(5):コブシの実

 早春のコブシの白い花は凛として美しい。だが、その実となると不定形で醜い。コブシという樹木そのものがなかなかの存在感をもつのだが、私にはこの花と実の落差がコブシにさらに独特の顔貌を与えていると思えてならない。
 袋果という袋の中に入った実は、緑色から黄色、やがて赤みを帯びてくる。画像は袋果。そして、袋果が割れ、赤い実が覗く。この赤い実の中に黒い種がはいっている。実は外に飛び出すのだが、下まで落ちずにネバネバした白い糸でぶら下がる。鳥に実を晒すというコブシなりの一工夫である。
 春に香りのある白い花を咲かすコブシは古くから日本人に愛されてきた。この花が咲くと田植えを始めたことから「田打桜(タウチザクラ)」または「種蒔桜(タネマキザクラ)」とも呼ばれている。さらに、ヤマアララギ、コブシハジカミという別名もある。モクレンよりもコブシに似ているのが「田虫葉(タムシバ 別名:ニオイコブシ)」。タムシバは萼(ガク)の長さが花弁の約半分で、花は純白、枝がまっすぐに斜上することで区別でき、花の匂いもつよい。

f:id:huukyou:20180918053224j:plain

f:id:huukyou:20180918053244j:plain

f:id:huukyou:20180918053328j:plain

 

スーパータスク(Supertask)

 SFに登場するような大袈裟な名称のスーパータスクとは、「有限の時間間隔の中で無限の操作を行う課題」を指している。私たちは有限時間内で有限数の操作しか実行できない。それが普通の人間的なタスクであるのに対して、無限の操作をするという意味でスーパータスクと呼ばれてきた。
 スーパータスクの最初の例はゼノンのパラドクスである。アキレスが100メートル走るにはまず50メートル走る必要があり、そのためには25メートル走る必要があり、さらにそのためには12.5メートル走らなければならない…これは限りなく続き、結局アキレスは無限の地点を通過しなければゴールには到達できないことになる。ゴールを目指すアキレスはスーパータスクを実行しなければならず、それはこの世界では不可能であるため、運動は不可能となる、これが運動に関するゼノンのパラドクスのスーパータスク版である。ゼノンのパラドクスの解析学的な解決は運動が極限概念によって表現可能であることに基づいていた。これは運動する区間のどの分割もゴールではないが、その分割の極限がゴールであることを数学的に示すものであり、ゴールに到達できることをスーパータスクとして示すものだった。極限は連続的な変化の表現に必要だが、変化が離散的な場合はどうであろうか。すでにSorites(連鎖論法のパラドクス)に言及したが、山盛りのピーナッツの皿から一個つまんでもやはり山盛りのままである、n個つまんでも山盛りのままなら、(n+1)個つまんでもやはり山盛りのままである、という伝統的なパラドクスの一つだった。また、数学的帰納法は次のような公理で、証明の方法として多用されている。

F(0) F(n) → F(n+1)
∀nF(n)

これをSoritesに応用して、F(n)を、ピーナッツn個は山盛りでない、としてみよう。ピーナッツ1個は山盛りではない。だが、ピーナッツが何個でもあれば、山盛りである。すると、ある数より多いか少ないかで山盛りかそうでないかが分かれることになる。

F(0) ⏋∀nF(n)
∃n(n≥0∧F(n)∧⏋F(n+1))

この線引きができないのが曖昧な述語のもつパラドクスである。
 これが連続的な場合はどうなるだろうか。アキレスが区間[0,1]を走る場合である。Boxで詳しくみたが、それは次のように表現できた。F(n)を、アキレスは地点nでゴールしていない、としよう。スタート時点ではゴールしていないので、F(0)だが、ゴール時点では⏋F(1)である。Gを部分和の集合で収束条件を満たしているとすると、

F(0) ⏋F(1)
∃G(∀x(x∈G→F(x)∧⏋F(supG))

G=[0,1]のとき、supG=1となり、アキレスはゴールできることになる。これは超限帰納法が成り立つことであり、それはスーパータスクを実行することであり、この物理世界では不可能、また連鎖論法のパラドクスも生まれてしまう。スーパータスク、Sorites、帰納法が同じ問題を異なる見方、方法で捉えている点を理解してほしい。
 スーパータスクがもたらす哲学的な問題は、数学的な操作と自然の中で起こる出来事の間にどのような関係を想定できるかという問題である。また、自然の数学化が如何にして可能かという原理的な問題とも関連している。そこで、スーパータスクの典型的な例を幾つか挙げてみよう。

(問)スーパータスクはどのような意味で自然の数学化に対する反例なのか説明しなさい。(関心のある人は、Gazebrook, T. (2001), Zeno against Mathematical Physics, Journal of the History of Ideas, 62, No.2, 193-210.を参照。)

・トムソンのランプ(Thomson’s Lamp
 ランプの状態はいつでもオンかオフのいずれかである。時刻が0の時、ランプはオフで、時刻がt = ½の時、オンに変わる。時刻が¾ (= ½ + ¼)の時、ランプはオフに変わり、時刻がt = ⅞ (= ½ + ¼ + ⅛) になると、オンに変わる。この単純な繰り返しを続けたとすると、時刻がt =1の時、ランプはオンかオフのいずれになるか?
ランプがオンで始まるなら、次は必ずオフになるので、最後の状態がオンではあり得ない。ランプがオフで始まるなら、すぐ次はオンになるので、最後の状態はオフではあり得ない。しかし、ランプの状態はオンかオフのいずれかでなければならない。これは矛盾である(Thomson, J. (1954/55), Tasks and Super-Tasks, Analysis, 15, 1-13.)。

(問)上のトムソンの論証は正しいだろうか。トムソンの議論はランプの最後の状態以前の過程に関しては正しいが、最後の状態には適用できないとし、矛盾ではないと批判したのがベナセラフである(Benacerraf, P. (1962), Tasks, Super-tasks, and Modern Eleatics, Journal of Philosophy, LIX, 765-784.)。

・トリストラム・シャンディ(Tristram Shandy)
 トリストラム・シャンディはスターン(Laurence Sterne)の小説の主人公である(The Life and Opinions of Tristram Shandy, Gentleman は9巻からなり、1759年に最初の2巻が刊行された。他の7巻も1761年から1767年の間に刊行された。)彼の自伝はとても詳細を極めていて、一日の出来事を叙述するのに1年の年月を費やしてしまうほどである。彼が不死でなければ、自伝は完成しないようにみえる。また、永遠に生きることが許されても、自伝の完成には何の助けにもならないようにみえる。なぜなら、自伝の叙述はますます遅れ、書き残しがますます増えていくようにみえるからである。だが、最後には彼の毎日が記録に残されることになる。

ニュートン力学の非決定論
 「物理的な対象の無限の集合はニュートンの運動法則に一致する仕方で自発的に励起できる」という命題はニュートン力学では偽の命題にみえる。だが、その証明は以下の通りである。質量mの質点が1メートルの線上に1, ½, ¼, …と並んでいるとしよう。最初の質点が1秒に1メートルの速度で次の点まで押され、衝突する。衝突で最初の質点の運動量は次の質点に移動し、最初の質点は静止する。次から次と衝突が続き、最後にはすべての質点が静止する。ニュートンの法則は時間に関して不変であるから、時間を逆転しても同じように成立している。すると、逆転した衝突の過程は時刻t>0で何の原因もなく始まることになる。すなわち、最初の命題が成立する。そして、これは明らかに決定論の反例となる(Laraudogoitia, J. P. (1996), A Beautiful Supertask, Mind, 105, 81-83. Laraudogoitia, J. P. (1997), Classical Particle Dynamics, Indeterminism and a Supertask, British Journal for the Philosophy of Science, 48, 49-54.)。

(問)文中の三つの例に登場する無限の系列は、物理的な過程なのか、それとも物理的な過程を表現する数学的な過程なのか自分の考えを述べなさい。
(問)無限の系列や過程は物理的な世界に存在するのかどうか論じなさい(例えば、アリストテレスはどのように考えたでしょうか)。
(問)連続的な系列や過程の存在と微積分の適用可能性の間にはどのような関係があると思いますか。

 

秋(4):コスモス

 秋の青空に映えるのがコスモス。コスモスは秋の青空にピッタリ。だから、コスモスは「秋桜」と書かれ、夏から秋に咲く花かと思いきや、別名がオオハルシャギク(大春車菊、大波斯菊)で最近は既に初夏から咲いている。「ハルシャギク」の由来は波斯(ペルシャ)の菊。ペルシャとは全く関係ない謎のネーミングなのだが、大春車菊のネーミングもこれまた謎である。
 私たちが通常「コスモス」と呼んでいるのは、学名を「Cosmos bipinnatus」といい、和名が「アキザクラ」又は「オオハルシャギク」。一方、「キバナコスモス」は、学名「Cosmos sulphureus」で前者とは同科・同属だが、種が異なり、交配は不可。両種とも1年草で、原産地も同じメキシコである。
 コスモスの日本への渡来は1896(明治29)年で、葉の形は羽状に細かく切れこみ線形になる。コスモスもキバナコスモスも18世紀末にメキシコからマドリッドの植物園に送られ、ヨーロッパから渡来した。キバナコスモスはコスモスと比べて葉が幅広く、切れ込みが深く、コスモスよりも繁殖力が旺盛。画像はコスモスとキバナコスモスそれぞれ二葉。
 さて、「コスモス」とは度肝を抜くような名前なのだが、私のような世代だとキューブリックの「A Space Odyssey」やビートルズの「Across the Universe」が浮かび上がってくる。space と universe は両方とも「宇宙」を指すが、space は地球の大気圏より外の空間、universe は地球を含めた万物。space は人の生活世界の常識的な空間概念であり、universe は物理世界の科学概念。肝心のcosmosは円運動からなる秩序あるシステムとしての宇宙で、chaos(混沌)の対義語。だから、コスモスは古科学概念だったが、今では擬似科学あるいは形而上学の概念である。
 円いコスモスの花を秩序ある宇宙と結びつけるか、「秋桜」を愛でて秋の風情を味わうか、それは個人の自由ということになるのだが、となれば、両方に同じように関心を寄せるのが人の自然な姿というもので、何とも業突く張りなことか。

f:id:huukyou:20180917044802j:plain

f:id:huukyou:20180917044740j:plain

f:id:huukyou:20180917044819j:plain

f:id:huukyou:20180917044845j:plain