生命の変化(4)

(定義) (遺伝子によって表現される)ある形質に関して、集団が下の条件を満たすが場合、その集団はハーディ-ワインバーグ均衡にある。

1集団のサイズは無限である。(実際に無限の集団はないので、通常は極めて大きな集団と仮定される。)
2集団間に移住はない。
3突然変異はない。
4交配は任意である。
(4を正確にしようとすれば、任意交配に加え、集団のメンバーはすべて交配する、すべての個体は同数の子孫を生む、が必要となる。)
5自然選択はない。(つまり、異なる遺伝子型は同じ適応度をもつ。)

 これらの条件を言い換えれば、集団に働いて進化を引き起こす要因がなければ、進化は起こらない、つまり、遺伝子プールの頻度は不変のままである、となる。だが、これら5つの条件のすべてが満たされるということは自然の中ではまずあり得ないことである。したがって、実際の生物世界では進化は避けることのできない、ほとんど必然的な結果ということになる。
 集団がハーディ-ワインバーグ均衡にあると、進化が起こらないことを見てみよう。まず、ある世代の遺伝子と遺伝子型の頻度からスタートし、次の世代にそれらがどのようになるかを考えてみる。前と同じように遺伝子Aとa、三つの遺伝子型AA、Aa、aa を考えよう。N世代でのAの頻度をp、aの頻度をqとする。つまり、Freq(A) = p、Freq(a) = qとする。さらに、この集団は上の条件をすべて満たすとしよう。交配が任意だから、対立遺伝子は任意に混ざり合って接合子の遺伝子型をつくる。集団は無限だから、特定の対立遺伝子をもつ配偶子の確率はその対立遺伝子の頻度である。同様に、特定の遺伝子型の確率がわかれば、集団内のその遺伝子型の頻度もわかる。だから、遺伝子型AAは確率pの対立遺伝子Aの卵と、確率pの対立遺伝子Aの精子から得られる。それらを得る確率は、p2である。同じように、遺伝子型aaの確率はq2である。Aaは、Aの卵とaの精子、Aの精子とaの卵があり、それぞれの確率はpqなので、合わせてpq + pq = 2pqとなる。
(集団がハーディ-ワインバーグ均衡にあれば、遺伝子頻度と遺伝子型頻度の間には、遺伝子頻度がわかれば、遺伝子型頻度がわかり、その逆も成立する、という関係がある。)
 さて、時間の経過と共に遺伝子型頻度と遺伝子頻度はどのようになるだろうか。それらに何の変化も起きていないことを見てみよう。遺伝子型は同じ適応度をもつので、それらに変化を起こす原因はない。だから、それらの接合子からできる個体は同じ遺伝子型頻度をもつ。これら個体が次世代の配偶子をつくる。それら配偶子の遺伝子頻度は次のようになる。AAの個体からの配偶子はみな遺伝子Aを、Aaの個体からの配偶子の半分が遺伝子Aをもつので、次世代に伝わる遺伝子Aの頻度はFreq(A) = p2+(1/2)2pq = p2+pq = p(p+q)となる。p + q = 1であるから、Freq(A) = p。したがって、遺伝子Aの頻度に変化はない。p + q = 1より、遺伝子aにも変化はない。次世代の遺伝子型頻度はこれら遺伝子の頻度に基づいているので、遺伝子型の頻度も世代間で変化はない。
 以上のことは何を意味しているのか。ハーディ-ワインバーグ均衡にあると、遺伝子頻度は世代間で変化せず、遺伝子型頻度も同じままである。これは有性生殖であっても遺伝子頻度も遺伝子型頻度も変わらないことを意味している。均衡状態にあれば何の遺伝的変化もなく、したがって、進化は起こらない。では、進化が起こるには何が必要なのか。明らかに5つの条件のどれかが満たされなければ、進化が起こると期待できる。正確に言えば、進化が起これば、5つの条件のいずれかが満たされていない。だから、どの条件が満たされていないか経験的に探らなければならない。そのためにいずれかが満たされていないモデルをつくり、経験的なデータと照合しながら、進化の過程を描いてみることになる。
 進化の要因は5つの条件の否定から得られるものがすぐに考えられる。それらは次のような要因で、それぞれ独立した要因である。
1遺伝的浮動:集団が無限でないことからサンプルは母集団と異なる遺伝子頻度をもつ。
2遺伝子流動:移住の遺伝子レベルでの表現で、個体が集団間を移動することによって起こる遺伝子頻度の変化である。同じ種の異なる集団で異なる遺伝子頻度が認められれば、個体が別の集団に移動すると、その集団の遺伝子頻度とは異なる割合の遺伝子を加えることになる。そのため集団の遺伝子頻度は変化することになる。
3突然変異
4任意でない交配:個体が交配相手を自分の好みに合わせて選ぶために起こる進化である。任意でない交配のある形態では遺伝子型頻度は変わるが、遺伝子頻度は変わらない。
5自然選択
 これら要因はいずれも重要であるが、以下では自然選択と遺伝的浮動についてだけ考えることにしよう。
(自然選択)
 では、このようなモデルに基づいて自然選択はどのように表現されるのか。当然ながら自然の中で起こっている選択がどのようなものかに応じて典型的な選択のパターンが抽出できる。そこから選択の形式化がなされることになる。従来、選択は決して積極的に新しい形質を生み出すものではなく、むしろ劣ったものを選んで捨て去るという働きが主であると考えられてきた。正常な型から外れたものが異常なものとして選択され、捨て去られるという考えはアリストテレスが既に指摘していることである。この場合、選択は異常なものの除去にしか働かない。選択のこの消極的な働きを積極的な働きに変えるには変異についての異なる考えが必要だった。それがダーウィンの変異モデルである。彼は正常、異常の区別を単に程度の違いと考え、それらを変異という概念でまとめ、選択の働く前提条件の一つとした。
 ホールディン、フィッシャー,ライトはそれぞれ独立に、選択によって遺伝子型頻度がどのように変わるかをモデル化した。例えば、ヘテロ接合体が最も高い適応度を持たない限り、選択は最も有利な遺伝子を固定する。一般に、可能な中で最も高い適応度の遺伝子型が固定される。このような選択のモデルの例を挙げておこう。

(例1)劣性遺伝子に不利な選択
遺伝子A(をもつ個体)と遺伝子a(をもつ個体)の間に適応度の違いがあるとして、Aがaより有利な場合、この違いを一方を基準にして表すと、Aが1なら、aは1‐sと表現できる。このsは選択係数と呼ばれている。すると、次のことがわかる。

AAが1、Aaが1、aaが1‐sであると、aは失われる。
AAが1、Aaが1、aaが1+sであると、Aが失われる。
AAが1+2s、Aaが1+s、aaが1であると、aが失われる。
AAが1‐2s、Aaが1‐s、aaが1であると、Aが失われる。
(各自確かめてみよ。)

(例2)超優性選択(Overdominant Selection)
 (例1)の場合と同じように、AA 1-t, Aa 1, aa 1-sであるとしてみよう。すると、Aの頻度pはs/(t+s)の均衡値をもつ。ここで、ヘテロ接合体が最も高い適応度をもつ。ある世代の頻度が均衡値より低ければ、この値まで上がる。また、均衡値の上にあれば、均衡値まで下がる。(これも各自確かめてみよ。)

 選択モデルだけで確実に説明できる事実は意外に少なく、それは自然の選択を説明する際の困難さを物語っている。

(問)工業暗化と鎌型赤血球について調べてみよ。

(なぜ自然選択はランダムな過程ではないのか)
 集団内の個体の形質の適応度に遺伝可能な違いがあれば自然選択は働く。有機体の適応度は生存と生殖の能力であり、それは確率を使って表現される。例えば、有機体が卵から成体まで生存する能力に違いがあることは、異なる有機体が異なる生存の確率をもつことを意味している。
 適応度は確率によって表現されるので、自然選択による進化において偶然が役割を演じることになるように見える。しかし、偶然が役割を演じるならば、自然選択はランダムな過程ということにならないのだろうか。
 選択の過程がランダムなら、異なる可能性が同じ確率をもつことになる。壷からのランダムな抜き取りによる公平な賭けは同じ勝率をもっている。しかし、異なる可能性が全く異なる確率をもっているなら、その過程はランダムではなくなってしまう。たばこを吸い、脂肪分の多い食べ物を摂り、運動をしないなら、その人はそうでない人より人生が短い確率が高いだろう。この場合、人生の長さの決定はランダムではないだろう。
 自然選択は異なる確率を含み、そのためランダムな過程ではない。ランダムという概念は進化論では中立仮説(後出)が考えられる場合に問題になる。集団の対立遺伝子は適応度が同じであっても、自然選択ではなく遺伝的浮動によって遺伝子頻度は変化する。ランダムであることは進化論では重要な問題であるが、それは自然選択の過程にはない。
 進化論では「ランダム」という語が突然変異の過程を述べるのにしばしば使われるが、それはこれまで述べてきた意味とは異なっている。突然変異が有機体の役に立つゆえに生じるのではないという意味でランダムという語が使われている。ある突然変異が別の変異より高い確率で起こる物理的な理由があるだろう。「ランダムな突然変異」は異なる変異体が等確率であることを意味していない。

(問)「ランダム」という用語の異なる意味を挙げ、それらの違いを述べよ。

遺伝的浮動) 
 4の任意交配が成立している集団では、新しい世代の遺伝子は親の世代の遺伝子プールからのランダムサンプリング(任意抽出)である。同じ適応度の対立遺伝子の頻度は遺伝的浮動によってランダムに変化する。ある座位にある二つの対立遺伝子が同じ適応度をもつなら、ランダムサンプリングが集団の頻度変化を起こす。ハーディ-ワインバーグ均衡は小集団では成立していない。遺伝的浮動が集団においてどのように現われるか以下にまとめておこう。

1小集団において、次世代を生み出す配偶子のランダムサンプリングは遺伝子の頻度を変化させる。このランダムな変化は遺伝的浮動と呼ばれる。
2 遺伝的浮動は集団のサイズが小さい程より大きな遺伝子頻度の変化を引き起こす。
3小さな集団が新しいコロニーをつくるなら、それは元の集団の遺伝子頻度を反映していない可能性がある。
4遺伝的浮動によって一つの遺伝子が別のものに置き換わることができる。集団のサイズとは独立に、中立的な進化の比率は中立的な突然変異の比率に等しい。
5小集団で突然変異がないなら、一つの対立遺伝子が一つの座位に最終的に固定されることになる。つまり、集団は最終的に同型になっていく。ハーディ-ワインバーグ均衡は小集団には適用できない。浮動の効果で変異の可能性が狭まり、均衡が維持できないからである。

(問)遺伝的浮動が存在する条件を(ハーディ-ワインバーグ均衡の条件を参考にして)明らかにした上で、浮動が生物世界にだけ見られる事柄かどうか述べよ。

 過去に進化のメカニズムに関して大きな論争があった。自然選択は進化の唯一、あるいは主要なメカニズムなのか、それとも他のメカニズムが大きな役割を演じるのか。最初の論争はフィッシャーとライトの間で起こった。それは自然選択と遺伝的浮動の相対的役割に関するもので、進化においていずれがより強い役割を演じるかという論争だった。遺伝的浮動は個体の生存や生殖の違いに因果的に関係がない形で起こる。浮動が起こるのは生物学的な原因ではない。一方、自然選択は個体の生存、生殖の成功・失敗に因果的に関連する形で起こる。例えば、赤と緑の小魚の集団が赤と緑に関して色盲の捕食者に食べられるとしてみよう。色のタイプの違いはこの場合、小魚の集団の生殖の違いに何の影響も与えない。だが、特に集団が小さいとき、世代交代を通じて集団の色のタイプの頻度に違いが生じる場合が出てくる。例えば、集団のメンバーがすべて赤になるかもしれない(浮動による集団の変化は、例えば、公平なコインを10回投げて、すべて裏が出る場合があることと同じである。すべて裏が出る可能性は低いがないとは言えない)。これは集団の遺伝子頻度が変化するという意味で進化ではあるが、適応的な進化、すなわち、自然選択による進化ではない。(なぜか。)遺伝的浮動は、したがって、自然選択とは別の進化の要因である。浮動がバイアスのないサンプリングとすれば、選択はバイアスのあるサンプリングである。浮動は適応的ではない(つまり、選択に関して中立な)形質が偶然に増えたり、減ったりするような変化である。ライトが小集団に起こる浮動の役割を重視したのに対し、フィッシャーは大きな集団を基本にした自然選択の役割を重視して、対立した。

(問)集団のサイズが小さいと浮動の効果が大きくなることを説明せよ。

 二番目の論争は20世紀後半のもので、分子レベルの進化に関するものだった。分子進化の中立説(Kimura 1969、1983、木村資生、1924-1994)は、分子レベルの進化的な変化の大半は中立的な突然変異に働く遺伝的浮動の結果であると主張し、この説の出現によって自然選択と遺伝的浮動の相対的な役割に関する論争が再燃した。(しばしば中立説-選択説論争と呼ばれる。)この論争は現在も続いている。最近の論争では「ほとんど中立的(almost neutral)」な説が概念的、経験的に意味があるかどうかが議論されている。また、中立モデルが経験的に十分ではないと主張する人でも帰無仮説モデル(null-hypothesis model)として有用であると主張する場合がある。
 自然選択と遺伝的浮動の相対的な役割に関する論争は多くの哲学的問題を生じさせた。まず、概念上の問題がある。ビーティ(Beatty、1984)は幾つかの場合、遺伝的浮動と自然選択は概念的に区別できないと論じた。彼の議論は自然選択も浮動も確率的な概念であり、概念的に重複するという事実に基づいている。しかし、彼の議論が正しければ、中立説-選択説論争の基礎そのものが問題となる。二つの概念は結果だけを見れば区別できないところがあるが、選択や浮動を過程と見れば、過程としては明らかに異なっている。(どこが異なっているか。)
 二番目に、浮動が進化において僅かな役割でも演じるなら、それは進化が非決定論的であることを意味するのかという点である。ローゼンバーグ(Rosenberg、1988; 1994)は全能者的な進化の説明には浮動概念は必要ないと考える。つまり、浮動のどんな例も自然選択によって説明できると考える。彼はこの考えを使って、進化の理論は統計的であるが、進化の過程は決定論的な過程であると論じる。したがって、彼によれば、進化理論が統計的な考え方をする理由は道具主義的な理由だけである。それゆえ、浮動は有用なフィクションに過ぎないことになる。ホーラン(Horan、1994)も進化過程の決定論的性格を主張している。これに対して、例えば、ミルシュタイン(Millstein、1996)は進化理論では浮動を消去できないと論じる。さらに、ブランドンとカーソン(Brandon and Carson、1996)は科学的実在論の立場から、進化過程は基本的に非決定論的であると主張する。
 決定論か非決定論かの論争はまだ続いているが、その論争と密接に結びついた、進化論での確率がある意味で客観的かどうか、あるいはそれらは認識的なものに過ぎないのかという問いは重要である。(量子力学での確率の使用を思い出し、比較してみよ。)進化過程が非決定論的ならば、この問いへの解答は明らかである。進化理論は客観的な意味で確率的な理論である。他方、進化過程が決定論的でも、進化理論が用いる確率が頻度として客観的な意味をもつことを主張できる。

湾岸の夏

 連休は良く晴れたが、実に暑い。暑さを除けば平穏なのだから文句など言ってはいけないと思いながらも、温暖化を恨めしく思うのは私だけではないだろう。折角だから、この暑さの中で温暖化や地球環境について考えてみるのも悪くはないだろう。
 見渡せば夏の植物が花をつけ、元気に咲いている。これまで紹介したハマゴウは健全な木もあり、しっかり薄紫の花をつけている。湾岸地域に砂浜は(人工のものを除けば)ないのだが、ハマゴウはあちこちに植えられている。
 小学校の校舎をノウゼンカズラが這い上がり、逞しく赤い花をつけている。タチアオイの花が終わり、(ハマゴウとは一字違いの)ハマボウが咲き始めている。ハマボウの並木には薄い黄緑の花が点在している。フヨウも葉を伸ばし、花が咲き始めたが、まずは赤い花が開き出した。
 これから暫く、暑さを噛みしめながら、その暑さ、そして地球の環境について考えてみることにする。

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ハマゴウ

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ノウゼンカズラ

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ハマボウ

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フヨウ

 

生命の変化(3)

4進化の過程とその原因:選択と浮動
 私たちは既に進化を事実として認めるという、ただそれだけのために多大な努力が払われてきたことを述べてきた。だが、進化が自然の変化のレパートリーの一つに加えられ、事実としての進化が定着するだけでは進化の謎は解くことができない。生命現象の一つとして進化が認められると、すぐに問題になるのは進化現象を引き起こす要因である。なぜ、どのように進化が起こるのかが重要な問題として浮上してくる。進化の要因に関するダーウィンの答えは「自然選択(natural selection)」である。集団の個体が生存と生殖に関してその能力に違いがあるとしてみよう。これは変異(variation)が集団内に存在し、この変異が適応度(fitness)の違いをもたらすことを意味している。次に、それら変異は遺伝するとしよう。遺伝する変化が世代交代を通じて蓄積され、集団は進化していく。変異、適応度の違い、遺伝がいずれも存在することが自然選択の存在を意味している。これら三つの条件を合わせ、遺伝可能な適応度の違いが自然選択の存在ということになる。
 『種の起源』はこの自然選択のメカニズムや過程が生物世界に存在することの長い論証であるとも言われるが、初版から第6版までで内容は少しずつ違っている。特に、初版では自然選択だけが進化を引き起こす唯一のメカニズムと見なされているが、他の版では決して他のメカニズムを否定していたわけではなく、ダーウィンはメカニズムに関しては多元論者だったと見るべきである。他のメカニズムとして彼が考えていたものにラマルクの用不用説、性選択説がある。だから、ダーウィンにとってさえ進化と自然選択は同じものではなく、自然選択は進化の主要な要因だが、唯一の要因ではなかった。これに対して、ダーウィンと独立に、しかし同時に自然選択説を発表したウォーレスは、ダーウィン以上に自然選択だけで人間以外の生物の進化を説明しようとした。
(二つの集団概念)
 生物は集団でなければ生存できない(なぜか)。集団は生物の生存の必要条件であるという意味で、個体と同じように実在的である。この実在的な集団概念は既にダーウィンにも認識されていた。自然選択における変異の役割は集団内での変異でなければ意味をもたない(アリストテレスでさえこの意味での生物集団の実在性は認識していた)。生命現象はいつでも、どこでも集団現象であり、物体を粒子の集団と考える場合とは明らかに異なっている。物体は粒子の集団と考えなくともその性質を述べることができるし、集団のサイズは恣意的に変更できる。また、生物集団内では世代交代が行われ、メンバーが更新されていくが、このようなメンバーの周期的な更新は物理的な粒子集団にはない。
 集団遺伝学での集団は統計集団としての意味ももっている。この概念的な役割は大きく、それによって進化の総合説が理論的に成立したといっても過言ではない。個体レベルに働く自然選択は集団レベルの変化として形式化できる。それによって、不変の遺伝子をもとに、変化する集団を表現することができる。この考えは古代の原子論による変化の説明を思い起こさせる。また、これは統計力学で気体を粒子の集団として扱う場合と同じであり、温度が集団の粒子の平均運動エネルギーとして表現されるように、集団の平均適応度の変化が集団の進化を表わしている。
(進化モデル)
 自然選択以外の進化の要因も含め、進化がどのような歴史現象であるかを説明する理論としての進化論の構造を明らかにしてみよう。説明理論としての進化論の理論的構造は集団遺伝学に依存している。集団遺伝学は生物学の中では珍しくモデルの考案と分析を数学的、かつ実験的に研究する。進化の表現と説明の図式としての数学的モデルは要因に応じて異なるが、いずれも集団を基本的な対象にしてその変化を時間発展的に表現する点では同じである。集団内の変化だけが数学的モデルとなるため、集団を生物種全体とする場合が限度で、モデル化できるのは小進化(microevolution)だけである。したがって、博物館で見る進化のパノラマのような大進化(macroevolution)は小進化を外挿することによって推測されることになる。
進化の説明モデルは次のような要因と、それらの時間を通じての作用の表現にある。
自然選択
突然変異
遺伝的浮動
移住
その他
(その他という項目は曖昧に聞こえるが、ここには生物学的でない要因、例えば、隕石の落下による自然環境の変化、人為的な介入といった様々なものが入る。)
 これらの要因はいずれも集団の個体に直接に働く形で、結果として遺伝子や遺伝子型の頻度変化をもたらし、集団を変えていく。物体に力が働き、その結果として変化が起こるという力学の基本的な考えと同じように、集団のメンバーに進化の要因が働き、集団全体に変化が起こるという考えに基づいたモデルとなっている。進化が複雑なのは異なる種類の力が想定されている点である。ダーウィンによる自然選択がどのような仕組みになっているかは既に説明したが、それと同じように突然変異や遺伝的浮動、移住のメカニズムを考えることができる。突然変異がどのように起こるかは相当よくわかってきており、その生化学的過程が幾つか確認されている。遺伝的浮動は純粋に統計的なゆらぎとしてその概念的構造ははっきりしている。いずれの要因もその働きの因果作用は短い期間の変化として特定できるが、それらが総合的に働いた長い期間の変化が進化と考えられることになる。ここには変化に関する近因と遠因の区別がある。変化の遠因による説明が進化論的説明という形式であり、それが歴史的説明と言われる理由となっている。
 進化という変化は個体レベルで表現されるのではなく、集団内の遺伝子や遺伝子型の頻度変化としてモデル化されている点に注意してほしい。頻度変化は世代間の変化であるが、世代間の遺伝は原則としてメンデルの遺伝法則に従う。世代交代が続く中で進化要因が持続的に働くことによって、集団内の遺伝子の相対的な頻度変化が蓄積していく。この変化が進化であり、頻度変化を引き起こすものが進化の要因ということになる。個々の有機体は生死によって変わっていくが、集団の変化はその中の遺伝子や遺伝子型の頻度変化として表され、その集団の変化が進化である。マイヤー(Ernst Myre)は集団概念こそが進化論の基本概念であることを強調している。
 メンデルの法則は確率・統計の用語を使って表現されるので、集団の遺伝子頻度の相対的変化も確率の用語を使って表現される。確率革命の代表例として統計力学が挙げられるが、集団遺伝学もその典型例であり、確率・統計概念を使って進化現象を説明しようとしている。古典力学での変化表現は一つの対象の変化を決定論的に述べるものだったが、進化論での進化表現は集団の時間的変化を確率的に述べるものである。
 進化モデルは力学での説明と全く同じ因果的なモデルである。下の表から二つの類似性を見てほしい。

古典力学                         進化論
個体の初期状態              集団の初期状態
運動法則、重力法則       自然選択、浮動等
個体の終期状態              集団の終期状態

(問)統計集団としての生物集団を考えた場合、統計力学と進化論のモデルの間の類似性を上の表に倣って表にしてみよ。

 さて、典型的な進化の説明図式を述べておこう。以後議論する問題はすべてこの基本的な図式を背景に置いて行われると考えればよい。集団はある環境の中で他の集団と相互作用しながら存在している。生物は存在するのに多大なコストがかかる。原子のような安定した存在とは異なり、生物の生存は極めて不安定である。集団内部に眼を移せば、メンバーである個体はみな違っている。この個体差、個人差が変異であり、その変異の主要な供給源が突然変異である。変異は個体の生存と繁殖の違いとして表すことができ、この違いが適応度として指標化される。適応度の違いに応じて集団内の遺伝子頻度に世代交代を通じて変化が起こる。これが自然選択である。自然選択の働き方は多様で、形質の固定化、絶滅、分散等が初期条件の違いに応じて結果する。
 進化は集団のメンバーである個体の遺伝的な変化の総計として定義される。進化の結果は個体レベルに現われるが、実際に進化するのは集団全体である。例えば、二つの対立遺伝子Aとaのいずれか一つの遺伝によって決められる形質があると仮定してみよう。親の世代がA92%、a8%で、その子孫がA90%、a10%なら、そこには進化が起こっている。この定義は20世紀初頭にハーディ(Godfrey Hardy, 1877-1947)とワインバーグ(Wilhelm Weinberg, 1862-1937)の独立した研究の結果として生まれた(1908)。数学的なモデルを通じて、彼らは遺伝子プールの頻度は遺伝的に安定しているが、進化はすべての集団でいつも起こる可能性をもっていることを明らかにした。この一見矛盾するような結論は進化のメカニズムの結果を分析することによって解かれた。

(自然選択の基本的構造)
 ダーウィンの自然選択の存在についての推論は、生殖、遺伝、変異(適応度の違い)という三条件からなっていた。次のように条件が組み合わされると自然選択が働くとダーウィンは考えた。

1有機体は超多産でありながら、一定の資源しか利用できないので、有機体間に生存闘争が起こる。
2変異が存在し、その中で生存闘争が起こると、有利なもの(=適応度の高いもの)が多くの子孫を残す。
3有利な形質をものがより多くの子孫を残し、その形質は遺伝する。

では、自然選択はどのように集団内の変化を引き起こすのか。遺伝子型の頻度を使って上の直観的な自然選択の働き方を表現し直し、集団の遺伝子型頻度の変化を統計的な集団として形式化してみよう。この形式化が集団遺伝学の出発点である。既述のように遺伝子頻度と遺伝子型頻度が形式化の際の要点となる。集団がNの二倍体の個体からなり、有性生殖するとしよう。二つの対立遺伝子A、aを考えると、その遺伝子型はAA、Aa、aaとなる。まず遺伝子の頻度を数学的に定義しよう。集団内のすべての対立遺伝子を数え、Aであるもの、aであるものの割合を決める。すると、次のような関係が成立している。
Freq(A)= #A/(#A + #a) = #A/2N
Freq(a)= #a/(#A + #a) = #a/2N
#A + #a = 2N
Freq(A) + Freq(a) = 1
(ここで#AはAの個数、つまり、Aをもつ個体の個数、Freq(A)はAの頻度である。)
では、遺伝子型の頻度はどのようになっているのか。それぞれの遺伝子型をもつ個体を数え上げることによって決定でき、遺伝子型の頻度は次のようになる。
Freq(AA) + Freq(Aa) + Freq(aa) = 1 (#AA + #Aa + #aa = N)
上の式は遺伝子と遺伝子型の頻度の定義に過ぎない。進化を研究するには、これらの定義を使って遺伝子と遺伝子型の頻度の間の関係を明らかにし、進化が起こっているときにどのように頻度が変化するかを示さなければならない。
 二つの定義を使って進化の定義を与えると、次のようになる。

進化は時間を通じての遺伝子と遺伝子型の頻度変化である。

進化が生じているかどうかを知るためには、それが生じていない場合にどうなるかを考えるのがよい。進化が生じていない状態を「ハーディ-ワインバーグ均衡」の状態にあると呼ぼう。これを正確にしようとすれば、定義しなければならない。

*残念ながら、定義は次回に。

アベリア

 アベリアは、公園や道路沿いに数多く植栽されていて、勝手ながら少々食傷気味の植物です。花が美しいのはもちろん、斑入りなど、葉の観賞価値の高い園芸品種と見做されていて、正に園芸品種の優等生といったところです。
 アベリアは、19世紀中期にイタリアでつくられた交配種です。両親の長所である長い開花期や、半常緑でありながら寒さに強いという特徴を受け継いだ、優秀な園芸品種です。
 アベリアの野生種は、日本、中国、ヒマラヤ、メキシコに15種が分布する常緑、または落葉の低木で、日本には4種が自生しているとのことですが、残念ながらその自生種を私は知りません。
 子供の頃田舎でアベリアを見た記憶はありません。東京に出てきても暫くの間はアベリアは私の生活世界にはありませんでした。私がアベリアを認知したのはバブル期の少し前で、公園でアベリアを見たのが始まりだったと思います。その後はどこでもお目にかかる常連の植物で、それは今も余り変わっていません。
 綺麗に刈り込まれると花は少なく、画像のように自由自在に放任すると花が溢れます。

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ハマゴウ(2)

 二枚の画像のハマゴウの葉をまず見ていただきたい。とても健康だとは言えない。フシダニによってハマゴウハフクレフシという虫えい(虫こぶ)ができている状態である。それを調べていくと、見つかったのが直江津中学校科学部の研究「ハマゴウ虫えい(虫こぶ)に生息する動物生態研究」だった。直江津中学校では、国立研究開発法人科学技術振興機構JST)の補助事業を受けて新潟県海浜に見られるハマゴウの生態に取り組んできた。この植物にはフシダニが寄生すると葉に大小の瘤ができることから、この植物とダニの関係を研究テーマにしてきた。2011年には日本学生科学賞新潟県大会で最優秀賞、全国大会で入選1等受賞している。
 また、2017年8月8、9日、新潟県直江津中学校の生徒3名を対象にフシダニ(サビダニ)の研修が法政大学小金井キャンパスで開かれた記載も見つかった。フシダニに関する講義後、持参したダニのサンプルを低真空型電子顕微鏡や高倍率実体顕微鏡で観察。2日目は、フシダニの標本作製について実習したとのこと。
 これらを知って、妙に嬉しくなり、感心もした次第である。

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生命の変化(2)

情報とDNA分子
 以下のような文を見て気づくことを挙げてみよと言われたら、何を挙げるだろうか。また、各文に現われる情報に関連した用語を使わずに、同じ内容を表現できるだろうか。

遺伝するのは親から子へ物理的に引き継がれるDNA分子である。
DNAは身体のタンパク質をつくるのに使われる情報を構造的に暗号化している。
DNA内の情報は転写と翻訳によって解読される。
突然変異のエラーはDNAの複製と修復の過程で起こる。
遺伝子はメンデル的な遺伝法則に従って遺伝する。
(最初と最後の文には情報に関する謂い回しがないが、それらの文の内容は残りの文に使われている情報に関する謂い回しがないと理解できない。)

 メンデルの遺伝法則に基づいた「情報モデル」での因果性は物理的なものの間での因果性と同じではない。だが、確かに情報の遺伝、発現は因果的に遂行される。では、情報を含む因果性とはどのような因果性なのか。情報を付随(supervene, supervenience)させている物理的なものが直接の因果の原因、結果であると考え、情報そのものはそれらに付随すると一般的に考えられている。では、情報はその場合重要ではなくなるのか。情報がなければ何が因果系列を構成しているか不明になるだろう。また、情報を意味の世界の出来事にしてしまったのでは分子遺伝学の大半が意味の世界についての研究になってしまう。入口と出口だけを、あるいは途中での重要な点だけを情報で考え、他は化学的な因果性で捉えるというのが現在の対処法である。
 「エラーとしての突然変異」という表現は規範的な規則に違反することを示している。その規則は力学的な因果的規則と違って、それを破ることができるような規則である。それゆえ、エラーが存在できる。物理的な規則とは独立した、しかしそれに抵触しない、一貫した遺伝の規則は物理的規則に比較すれば、特殊なもので、それゆえ、破ることができる。それゆえ、遺伝の規則は物理法則のような必然性をもっていない。
 メンデル理論が不変の粒子を仮定することは、力学的な粒子が不変であることに似ている。自然科学で数学が使えるためには、数学が適用される対象が何かに関して不変でなければならない。遺伝子がブレンドされて、別の遺伝子にならないことによって、メンデル遺伝学は数学的に表現できる。また、変異が集団内に保存されるためには遺伝子の不変性が必要である。
分子レベルの知見を以下のように簡単に要約するのは危険であるが、進化に係わる事柄だけをまとめておこう。

1遺伝はDNAと呼ばれる分子によって決定され、DNAの構造とその働きのメカニズムは細部まで理解が進んでいる。
2 DNA分子はタンパク質を暗号化する遺伝子と呼ばれる領域に分けられる。DNAのコードは2段階(転写と翻訳)で読まれて、タンパク質をつくる。
3 DNAは染色体上に物理的に存在する。各個体は染色体の二対の集合をもつので、すべての遺伝子の二つの集合をもつ。個体の遺伝子の組み合わせはその遺伝子型と呼ばれる。
4新しい遺伝的変異はDNAにおける突然変異によって起こる。突然変異率は直接観察から推定できる。
5ある遺伝子型をもつ二つの個体が交配すると、その子供の遺伝子型の比率はメンデルの法則から予測可能である。
6異なる遺伝子はメンデル的遺伝のもとで幾世代も保存され、それが自然選択の働きを可能にする。

3進化の事実
 既に1、2で進化が客観的な事実であり、自然変化の重要な一側面であることを強調した。重力が科学的事実であることはそれをテストする実験や観察によって確証される。それと同じように進化も他の事実によって確証されなければならない。だが、物理的事実と違って、進化の事実は認められるだけでも多くの証拠を必要とした。それら証拠を簡単に振り返っておこう。

(問)惑星の存在と恐竜の存在が事実であることを確証する場合に違いはあるだろうか。(ヒント:金星や月が望遠鏡で見えるのに対し、恐竜は直接に知覚できるだろうか。)

 進化の事実は次のような分野や事柄で多くの異なる証拠が集められている。

1生物地理学(Biogeography)
2機能的形態学(Functional morphology)
3古生物学(Paleontology)
4比較発生学(Comparative embryology)
5人為交配(Animal and plant breeding)
6分子レベルの証拠(Molecular evidences)

 ダーウィンは孤島の有機体が孤島に最も近い大陸の有機体によく似ていることを観察している。(これは1の証拠。)また、ガラパゴス諸島の各島には僅かに異なったフィンチの種類が棲んでいるが、いずれも南アメリカ大陸の一つの種に近い。(これも1の証拠。)ヒトには痕跡器官として耳を動かす筋肉がある。(これは2の証拠。) ウマやクジラにも下図のような痕跡器官がある。(これも2の証拠。)
 比較発生学からの証拠としてよく出されるのが、異なる有機体の初期胚は互いによく似ていることである。(「個体発生は系統発生を繰り返す」というヘッケル(Ernst Haeckel, 1834-1919)の生物発生原則はこの事実に基づいていた。)
 人為交配の証拠は私たちが家畜や飼料として利用する動植物を見れば明らかだが、ダーウィンも人為選択によって変化する家畜から大きな示唆を受け、『種の起源』を人為選択の説明から始めている。分子レベルの証拠は近年莫大なものとなっており、分子レベルでの系統関係が次第に明らかにされてきた。例えば、コウモリの生化学はトリよりクジラのそれに近い。そこから系統関係に関してコウモリとクジラがコウモリとトリより近い共通の祖先をもつことが予測できる。
 ダーウィンの理論には二つの大きな考えが含まれている。いずれも彼の発案ではないが、それらの組み合わせと適用は彼の発案である。まずは、生命の樹(tree of life)という考えである。生命の樹の存在を時間的、歴史的に考えると、それは進化の存在を含意する。共通の祖先の存在は、それから子孫への系統的な変化を意味しているからである。そこから、現存する、異なる生物種は共通の祖先をもつということになる。この考えの強い形は、すべての生物種は一本の樹を構成するというダーウィンの主張である。(『種の起源』に掲載された唯一の図版は生命の樹(=系統樹)である。)この主張によれば、どのように異なろうとその祖先を辿っていくと最後にはただ一つの最初の生物種に到達することになる。(単系統説)生命の樹の弱い主張は複数の樹を認める主張である。(多系統説)それゆえ、生命の樹という考えはダーウィンが考えた進化以外の進化の考えも許容する。その例として、ラマルクの進化の考えを見てみよう。彼は、生物はそれ自身の内に複雑になるという傾向性を遺伝的にもっており、それによって単純な生命が次第に複雑になっていくと考えた。また、単純な生命は無生物から発生したとも考えた(自然発生説)。ラマルクによれば、人間は最も古い生物である。というのも、人間は生き物の中で最も複雑だからである。ところが、現在のミミズは単純なので人間よりはるかに新しい生物ということになる。だが、現在の人間は大昔のミミズの子孫であるという考えはこのラマルクの理論と矛盾していない。ダーウィンは生物種全体が単一の生命の樹を構成すると考えたが、ラマルクの考えは複数の生命の樹である。いずれでも進化、つまり変更を伴う由来を含意するが、その祖先と子孫の関係のパターンは異なっている。
 このように見てくると、進化は直接知覚できる変化ではなく、観察や実験に基づいて、幾つかの仮説から構成される歴史的事実の系列であることがわかるだろう。現在の進化論は単系統の考えをとり、どのようなパターンをもって生物種が別の種から由来したか、いつ新しい種が現われ、古い種が絶滅したかといった歴史的問題が考察されている。

(問)知覚される事実と進化の事実の違いを説明し、それらを確証する場合に違いがあるかどうか述べよ。

 もし歴史的事実の確定という問題が解けるならば、次に問題になるのは「なぜ」に対する答えである。どのようにして変更が生じたのかを明らかにしなければならない。そのためには進化の過程に関する知識が必要となる。これがダーウィンの二番目の考えである。
 進化の過程の話に進む前に歴史的特殊(historical particular)と一般法則について触れておこう。ある科学者は一般法則に関心をもち、別の科学者は歴史の個別的な出来事を明らかにしようとする。物理学でも天文学者は特別の星の特別な事柄に関心をもっている。一方、原子核物理学者はどこ、いつに係わらない一般的な衝突の結果を追求している。一般法則は「すべての何々は、かくかくである」という形式をもっている。それに対して特別な星の特別な事柄はこのような形式をもっていない。それらは歴史的特殊を表現しており、法則を述べてはいない。だが、一般的な法則を追求する科学と歴史的事例を追求する科学は、互いに背反する関係にあるわけではない。原子核物理学者が個別的な事例を使わない、天文学者が一般法則を使わないということではない。天文学者は一般法則を手段にして特定の星を研究するが、原子核物理学者は特定粒子の観測結果という事例を使って一般法則を追求する。これと同じ分業が進化論にも見られる。
 では、進化論に一般法則はあるのだろうか。科学哲学者の中には一般法則はないと言う者もいるが、いくつか興味深い一般命題が進化論にはある。生物学ではそれらの一般命題は法則と呼ばれず、モデルと呼ばれる場合が多い。モデルは一般法則と同じように一般命題を表現している。モデルは、システム内である条件が満たされるなら、そのシステムに何が生じるかを述べている。モデルはいつ、どこで、どの位これらの条件が満たされるかは述べていない。フィッシャーの性比に関するモデルを例に考えてみよう。彼はある集団の性比が1:1に進化し、そのままその比に止まることを帰結する一組の仮定について述べている。交配は任意で、両親はオスとメスの子供を産むことができる。この仮定のもとに、彼は少ない性の子供を産むほうに自然選択は味方することを示すことができた。例えば、子孫がメスよりオスが多ければ、すべてメスの子供を産んだほうがよい。性比が異なっていれば、そのバイアスを無くすように選択が働く。その結果がオスとメスの同じ性比である。
 フィッシャーの方法は3世代を考える。もし子孫の数を最大にしたいとすれば、どのようなオスとメスの比率で子供を産んだらよいのか。もし孫の世代にN個体が存在し、子供の世代がmのオスとfのメスを含んでいれば、平均的なオスはN/mの子供を、平均的なメスはN/fの子供をもつことになる。だから、子供の世代の個体で、平均して少数の性に属していれば、その個体はより多くの子供を残すことになる。したがって、母親にとっての最適の戦略は少数派の性の子供を産むことである。他方、子供の世代の性比が1:1の場合、母親は他の母親に比べて優れた戦略を取ることはできない。1:1の性比は安定した均衡となる。彼のモデルは数学的に正しい。別の星の生物でも彼の最初の仮定が満たされている限りは、1:1の性比に進化しなければならない。それはニュートンの重力法則と同じように普遍性をもっている。(重力法則と性比1:1は同じ普遍性をもつだろうか。)

(問)個別的な事実と一般法則の関係はどのようなものか説明せよ。

ハマゴウ(1)

 草のように見えるが、本当は木である。名前は「浜をはう」という意味らしい。葉を風呂に入れるといい香りがする。平安時代の文献『延喜式』、『本草和名』では蔓荊子(はまはふ)、波万波比(はまはひ)などと呼ばれ、茎が砂の上を這うので「浜這い」だった。その後、実、葉、茎に精油分を含み、芳香があることがわかり、葉や樹皮からお香や線香が作られた。浜辺の香りの植物であることから、ハマゴウ。
 ハマゴウは海岸に生育する常緑の低木。本州・四国・九州からアジア東南部から南大西洋、オーストラリアにも分布している。葉の裏面には灰白色の毛が密生していて、白い。夏に画像のような美しい青紫の唇形の花を咲かせる。
 砂地の海岸に生育し、周辺森林との境界部分に群落を形成していることが多い。ハマゴウは、以前は砂浜の普通の植物で、海水浴の想い出と重なっていたが、最近は次第に少なくなりつつある。特に瀬戸内海地域では護岸の整備と海砂の採取などによる海岸の浸食によって砂浜が狭くなりつつある。さらに、地球温暖化に伴う海面上昇が加わり、海岸植物の生育は危機的状況になりつつある。
 ところで、画像にはクマバチ(熊蜂)が見える。体が大きく、羽音の印象が強烈なために、獰猛と思われているが、性質はきわめて温厚。ひたすら花を求めて飛び回り、人間にはほとんど関心を示さない。しかも、オスには針が無く、刺すことはない。毒針を持つのはメスのみだが、毒は弱く、刺されても重症になることは少ない
 体長に対して小さいのが羽根で、どうして飛べるのかがよくわからなかった。空気に粘性があるから飛べるのだということがやっと分かった。これは人が手足を動かす水中で浮くことができるのと同じ仕組みである。水も空気も粘性があるから浮くという訳である。そのため、小さな羽根を見事に動かし、長時間その場でホバーリングしながら、花の蜜を吸い上げることができる。

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