滅びの美学:『平家物語』と限界集落

 世界規模での地球温暖化格差社会、人口増大や貧困、日本での少子高齢化といった問題に直面し、自然や社会の持続可能な存続を模索するという試みや話が最近は滅法多くなっている。私自身、そんな話をよく聞き、自分で考えもする。絶滅、消滅をどのように免れ、未来の幸福な生活を確実なものにするかという課題の設定は健全で文句のつけようがないのだが、眩しすぎて、天邪鬼には向かない面があるのかも知れない。
 確かに、滅びを防ぐ手立てを考える人ばかりではなく、滅ぶことに美しさを感じ、そこに人の生きる意味を見出す人が少なからずいる。人とは不可思議なものだが、日本人の中にはそのような人に共感する人が相当数いて、彼らはその共感内容にレッテルを貼り、「滅びの美学」などと呼んで、それを日本人独特の感性だと捉える。滅びの美学の平成版となれば、その代表の一つは故郷が限界集落として朽ちていくことへの美的共感だろう。
 どうしてそんな田舎の限界集落で幸せに暮らせるのか。増える廃屋、荒れる農地、都会から帰ってこない子どもたち、老いゆく住人。このまま朽ちて、滅びるしかない集落社会。そんな希望が零のところに、どうして幸せを実現できるのか。実際にそこに暮らしてみると、馴れ合いではない人間関係、精神的に自立した生活、狭い畑を耕し収穫を喜ぶ心、そういったことが集落の人たちの幸せの要素になっていることがわかってくる。「村おこし」を諦めても、滅び行く集落で静かに淡々と暮らしている。集落で一緒に暮らしていると、人が一人亡くなるのと同じように、一つの集落がなくなることはとても自然なことだと思い、それを素直に受け入れるようになる。こんな感慨を何度か耳にした。

 これは「滅びの美学」そのもの。滅びることを受け入れることが、日々の暮らしに意味を与え、集落の存続にあくせくしないどころか、滅びることに美しさを感じてしまう。だが、集落を外から眺め、その佇まいに美しさを感じるだけでなく、集落に住む人も同じ美学を共有するとなると、昨今よく耳にする「地域のこし協力隊」の活動にとっては好ましくない美学ということになる。だから、健全な行政にとって滅びの美学は「百害あって一利なし」、悪しき美学ということになる。
 持続可能性にブレーキをかけるような「滅びの美学」の過去の代表となれば、『平家物語』がその筆頭。そのあらすじを辿ってみよう。保元・平治の乱を制した平清盛は官位を上りつめ、太政大臣となる。これを快く思わぬ後白河法皇側近の俊寛らが鹿ケ谷で平家打倒の陰謀を企てるも、それが発覚。俊寛は鬼界ヶ島(薩摩国)へ流される。後白河法皇の第二皇子以仁王も挙兵するが、宇治の平等院の激戦で討ち死。清盛が福原に遷都した頃、伊豆に流されていた源頼朝が兵を挙げ、富士川の戦いに臨む。7万余騎の平家軍は水鳥の立つ羽音を敵襲と聞き違え、一矢も射ずに退散し、源氏軍は楽勝。翌年、木曽義仲信濃で反乱を起こし、清盛は熱病で死去。後白河法皇と結んだ「朝日将軍」義仲が京へ迫ると、平家一門は脱出し、安徳天皇を奉じて四国へ落ちる。法皇に裏切られ京を出た義仲は、頼朝の命を受けた源の範頼・義経の軍勢によって宇治川、瀬田で惨敗。このころ平家は大軍を一ノ谷に結集するが、義経は山中を迂回して背後の鵯越(ひよどりごえ)から奇襲し、平家は船で逃走。平敦盛は「敵に背を見せるは卑怯でござろう」と熊谷直実に呼びとめられて引き返し、対戦する。直実は敦盛を目にして、深手を負っていた息子直家を思いつつ、泣く泣くその首をはねる。義経は四国の屋島を急襲し、平知盛率いる平家軍は長門へ逃れる。一か月後、壇ノ浦の平家に義経軍が襲いかかり、武運尽きた知盛は、「見るべき程の事をば見つ。今はただ自害せん」と碇をかついで入水。清盛の妻、二位尼も孫にあたる安徳天皇を抱いて入水。天皇の母、建礼門院徳子も入水、救助され、出家し大原奥の寂光院に移り住む。義経は頼朝に憎まれ、奥州平泉へ下るが、やがて討伐される。 

 滅びゆく者の悲しくも美しい叙述によって『平家物語』は「滅びの文学」と呼ばれているが、美学や文学が滅びに強く感応するのに対し、科学は興りや持続に関心をもつ傾向が強い。科学の関心が理性的であり、その結果、持続可能なことの条件やモデルを追求するのだろうか。一方、美学や文学の関心は滅ぶことのもつ美しさやその叙述にあるが、美学や文学の関心が感性的であるためなのか。死の美しさ、憧れも滅びの美学の一つ。死は恐怖であると同時に美しいものでもある。死の科学は生の科学に比べると実に貧弱だが、死の文学や美学は根強い人気をもってきた。そして、その文学や美学を支えてきたのが仏教の無常観だった。持続可能性と無常観は相容れない割には共存しているのが日本社会の不思議なところでもある。
 新しいものが発明され、活用されることへの私たちの態度と、役目を終えて消えゆくものへの態度との間には大きな違いがある。何かが興り、それが持続的に影響をもつことへの感慨はそれへの期待より小さく、それが滅び、消え去ることへの感慨はそれへの期待より大きい。それが滅びの美学の根拠になってきた。むろん、この根拠への例外は多く、戦争、貧困、差別、病気などが滅びることへの期待は大きい。これは理性的で、合理的態度そのもの。滅びの美学はこれとは微妙に異なり、感性的で、非合理な態度。善悪とは違う次元での哀悼、悲嘆への共感であり、人に共存する二つの態度と言ってよいだろう。理系と文系の区別などとは違う、人がもつ二つの能力で、滅びの仕組みやカラクリの解明への好奇心と、それへの感情移入の違いと言っていいのではないか。

モミジの竹とんぼ

 モミジの竹とんぼとはモミジの種のこと。モミジは公園の定番だが、緑が濃い今の季節、緑の中でも際立って鮮やかなのがイロハモミジ。イロハモミジという名前は、手のひら状に分かれた葉の裂片を、はしからイロハニホヘトと七つ数えることからきているといわれている。
 イロハモミジが緑の葉でおおわれるのは四月中頃から五月にかけてで、葉の間から直径五ミリほどの淡い紅色がかった小さな花を咲かせる。その花が竹とんぼの翼がついたような種子になり、今頃枝の先にぶら下がっている(画像)。竹とんぼ状の翼は単なる飾りではなく、秋に枝から落ちる時、翼の回転運動が加わり、舞いながら落下する。風に乗って種を遠くまで飛ばすための見事な工夫である。

 熟した種子は、秋の紅葉の前に風に舞い、舞い降りた所で新芽を出す。

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表情は何についての表情なのか

 表情が表現しているのは思考ではなく、感情だと考えられてきた。だから、表情だけによって哲学も科学も表現することはできないが、人の喜びや悲しみはそれなりに表現できると信じられてきた。辞書風には表情(facial expression)は感情に応じて身体各部に表出される変化のこととされ、、特に顔面に表出される変化、いわゆる「顔つき」が表情と呼ばれてきた。私たちもこのような説明に何ら疑問をもたない。表情は心の内側の感情や情緒を表出するもので、それゆえ、「表情は何についての表情なのか?」に対する答えは明らかで、表情は「心の内側の状態についての表情」ということになる。つまり、表情は心のもつ感情を表現している。これが本当かどうかをしばらく考えてみたい。
 ダーウィンは表情の生物学的意義を重視し、『人間と動物の表情(The Expression of the Emotions in Man and Animals、1872)において、それを三つの原理((1)有用な連合的習慣の原理(The principle of serviceable associated habits)、(2)正反対の原理(The principle of antithesis)、(3)元来意志から独立し,ある程度は習慣から独立した神経系の構成による行為の原理(The principle of actions due to the constitution of the nervous system, independently from the first of the will, and independently to a certain extent of habit))に基づいて説明しようとした。(1)の原理は、イヌの特徴や人の身振りが遺伝することなどが取り上げられ、獲得形質の遺伝のことである。(2)の原理は、イヌが攻撃するときの姿勢と飼い主にじゃれつくときの姿勢が正反対なことが図入りで示されている。(3)の原理によって、筋肉がふるえることや強い痛みの時に汗が出ることなどが説明されている。

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 さて、ダーウィン以来表情についての考察は様々になされてきたが、より実証的な研究が着実に蓄積されているのが今世紀の特徴である。認知心理学進化心理学、脳生理学といった分野において、人だけでなく、様々な動物の表情が実証的に研究されている。
 この実証的な研究は、仮面として類型化された古典的な表情の理解などとは随分と違っている。また、日常言語の分析とも異なっている。美人は「美しい顔」をもつが、美人が「美しい表情」をもつ訳ではない、「美人の表情」はなく、あるのは「美人の顔」だけだ、といった表現上の差異を分析しながら表情の本性を明らかにする、といった日常言語的な分析とも違っている。「表情の現象学」と呼んでもよいような常識的な表情理解は、ギリシャ悲劇以来演劇、文学で主に描かれてきた。また、それと並んで絵画や彫刻でも人の表情はモチーフの一つとして様々に画かれ、彫られてきた。仏像や聖像さえそれぞれの表情をもっていると私たちは理解している。誰も無表情の神や仏の像を崇拝しないのではないか。
 仮面とは人の内面の姿を形象化し、それを表情をもつ顔として表現し、それが拡大されて人間以外の生き物、神や仏の仮面が製作されていった、あるいはその逆である、といった意見が多数出され、議論されてきた。いずれにしてもそこでの前提は何かの象徴、何かの表現が仮面であり、人の場合は心の内の状態をパターン化して表現したものという解釈が圧倒的に多い。パターンが幾つあるにしても、目に見えない心の奥底を具体的に表現し、演劇や絵画においてその役割を付与たのが仮面ということになるのだろう。当然、表出という機能は隠蔽という機能も併せ持っていて、内面を隠す機能も仮面のもつ重要な役割になっている。
 自然科学では科学革命以降実証的な研究が当たり前のものとなり、アリストテレスの思弁的な自然学などは常識学問(folk science)と分類され、歴史的なものとしてしか評価されなくなった。その研究方法は自然科学だけでなく社会科学でも常識になり、心についても心の科学が到来している。常識心理学(folk psychology)はずっと科学的心理学に勝っていたのだが、今世紀に入り、科学的心理学が躍進し、常識心理学と肩を並べるまでになりつつある。そのような傾向の中で、表情についての研究も過去の常識学問を継承するだけでは駄目だということになる。すると、仮面、絵画、彫刻の表情についての従来の考察は常識学問の域を出ず、それでは不十分ということになる。それが、「表情は心のもつ感情(や思想までも)を表現している」という常識的な表現への疑問の出所なのである。

マテバシイ

 マテバシイ(馬刀葉椎、全手葉椎)はブナ科マテバシイ属の日本固有の常緑広葉樹。和名は葉がマテガイに似たシイノキという意味。かつて薪や炭を作るために植栽されたものが野生化し、現在では房総半島から沖縄まで広い範囲に見られる。湾岸地域でもあちこちに植えられている。本来の自生地は九州南部と考えられている。その別名は「薩摩椎(サツマジイ)」。

  ドングリは直径2~3センチで細長く、ヤジロベイやコマなど子供の玩具作りに最も適している。多少の渋味はあるがアクが少なく、味は栗に似る。生で食べることもできるが、普通は炒めたり焼いたりして食べる。ただし、スダジイほど美味しくはない。しばらく待てば、シイの実のように美味しくなるという意味でマテバシイと名付けられたという説もある。マテバシイの実は堅果で、2年かけて熟す。一つの花軸にたくさんの雌花をつけるので、堅果も穂状につくのが特徴。

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知識、情報、そして文脈(4)

 知識の形式となれば、誰が何と言おうとその典型は科学理論。数学言語を使った理論の公理系がその最も抽象的な姿で、正に知識の象徴的な形態。実際は物理理論の解釈(=モデル)が通常私たちが物理理論と呼ぶものになるのだが、その物理理論を使った最終ゴールということになれば、因果的な出来事の展開結果の予測と、それを使った装置や物体の作製である。その解釈が私たちの住む現実世界についてのものなら、その知識は情報と呼ばれ、文脈や状況が具体的に決まると、それは日常活動の記述・説明に変わり、それを使って生活が便利に変えられることになる。だが、文脈や状況の一般的な定義となると、残念ながら未だはっきりしていない。むろん、文脈や状況がどんなものを指すか、私たちはある程度心得ているのだが…
 経験的な知識は「正当化された真なる信念」というのが通り相場だが、「正当化」は当然ながら経験的に行われる。だが、認識論で議論の対象になってきた知識はもっぱら意識内の「知る」作用についてであり、デカルトによれば、真であることは意識内で明晰判明な観念によって保証されるだけで、つまるところ、意識を除いた経験の中では知識は端的に「真なる信念」。その正当化を経験的に行おうとすれば、知識の「情報化」が必要となる。知識を情報として扱うことが「情報化」。情報とは経験主義化された知識のことで、そのモデルが実際の世界の構成要素を含むなら、そのモデルは情報と呼んで構わない。情報は必ず文脈がつく。というのも、実証性という哲学的理由もあるが、より肝心の理由は、情報量の定義に確率が使われ、それには少なくとも確率空間という(形式的な)文脈を必要とするからである。
 文脈を一つ設定することは物語の出発点を一つ作ること。文脈は「適用条件」、「初期条件」と言い換えてもいいだろう。モデルも文脈も共に物語構造を共有している。物語は世界の中で起こる出来事の因果的な系列からなっている。複数の文脈が自由に想定できることから、その中の一つを選択することが実際に起こる出来事の因果的な系列になる。目標や手法の選択だけでなく、文脈設定自体も選択の対象となる。
 モデルの領域は抽象的なままで構わないが、文脈は実際の場面や状態が主になっていて、それが知識を外在化することにつながっている。文脈の構成要素は伝統、歴史、文化など様々で、それらによって知識は情報化され、さらにグローバル、ローカルな情報に分類、分化されていく。
 偏向した、しかし一般的な理解によれば、知識は本や図書館、そして大脳に内蔵されている。それが知識の存在の仕方で、内蔵された内容は言語によって表現できると考えられている。だが、使われる知識、技やコツ、現場の状況はコミュニケーションと密接に結びつき、物質的なものとつながっている。だから、それらは操作でき、実証することができ、何かを作り、壊すことができる。つまり、知識はどこかに秘蔵されているのではなく、「力」となって存在している。
 実際に使用中の知識、情報はどのようなものとして理解するのがよいのだろうか。行動するときの意志決定、選択の判断、目標設定、決定と命令などが知識、情報を使って行われている。判断、決定が知識、情報を使ってなされるプロセスの記述と説明は残念ながらまだはっきりわかっている訳ではないが、(数学的あるいは論理的な)計算による答えがそのまま判断、決定である簡単な場合は、比較的わかりやすい。
 さて、文脈には二つの役割がある。まずは知識の待ったなしの使用は現実に組み込まれ、現実と一体となっているが、文脈はその現実を生み出す原動力という役割をもっている。文脈の設定から、そこでの変化を引き起こし、文脈の変化をコントロールするのは私たち自身で、そのコントロールに使われるのが情報。知識は位置や時刻が特定された情報になっていて、それが文脈を変えていく原動力の一つになる。文脈は情報が作り、情報によって変えられていく。
 一方、待ったをかけ、現実を離れ、文脈から超越をするのがこれまた人の常。言葉の意味を定義する、確認するといったことは、一度立ち止まって振り返ることであり、作業の中断である。それは、自分の行動に自信がなくなる、疑いをもつときに取られる普通の行動である。
 これら二つの異なる文脈に係わる知識は私たちには全く異なったものに映る。信頼して使い、仕事をするのに組み込まれた文脈での知識と疑問をもち、疑う文脈での知識は「知識」という用語が同じだけで、まるで異なっている。月とスッポンという訳である。前者が日常生活で使っている知識、後者が認識論で「知識とは何か」といった問題を議論する際の知識である。
 文脈は人がつくる。私たちの生活は文脈生活と言ってよく、文脈こそわが命という訳である。人の生活は骨の髄まで文脈的である。これは人の運命と言ってよい。大袈裟に言えば、被造物すべてが文脈的で、神のみが非文脈的なのである。一日が繰り返され、一年が反復され、それが生まれたときから死ぬまで続く。毎日がリセットのようでもあるが、それが時間的な文脈の繰り返しの例。むろん、一日ごとに新しい文脈が設定される必要はなく、時には目的の成就に何年も同じ文脈の中での苦闘が続く場合もある。文脈の形式も内容も多様でも、生きることには文脈が分かち難く結びつき、一体化している。
 人はどこかの国のどこかの町で暮らし、住所をもっている。住所不定という場合があるにしろ、場所の文脈となれば、住んでいる地域であり、それは大抵は固定されていて、稀に違う場所に移住するというような文脈変化が起こる。旅行による文脈の小さな変更は生活に彩りを与えている。
 このような時間と場所の文脈以外にも、私たちは実に多様な文脈を財産のように有している。仕事上の文脈の一つは分業。様々な職業があり、地位や役割が分かれていて、一人一人が異なる文脈をもっている。大抵の場合、各人の仕事上の文脈はコントロールされたものが多く、就業規則だけでなく、制服や接客のような文脈を補助するようなものまで決められていて、明確に意識されているものから暗黙に決められているものまで、複雑な文脈の網の目が張り巡らされている。私たちはそれらのほとんどを無意識に、受動的に受け入れて生活している。
 私たちはみな異なる文脈の中で生きている。文脈は一人の個人でも時と場所の違いに応じて変わっていく。文脈は一人一人異なり、それが時には社会の中の格差につながっている。私たちは個人差や個性をもっているが、それらには文脈の違いが大きく関与している。個人の生得的な性質だけでなく、個人がどのような環境で生活するかがその個人の個性形成に役割を果たしていることは言うまでもなく、育ちの部分は文脈(環境)に大きな影響を受けることは広く認められている。
 では、文脈の中で生きるとはどのようなことなのか。「一寸先は闇」と言われるが、私たちは知らないことに囲まれて生きている。もどかしいほどに知っていることが少なく、そのためか未来のことが予想できなくても誰も大して気に病まない。闇だらけの世界で生きるためにサーチライトを当てる必要があるのだが、それができるのは特定の文脈を設定した場合だけである。文脈とはサーチライトの光の当たる部分のことである。
 文脈に埋没しながら、そこにフィットした知識を情報として駆使することが生きることだと述べてきたが、これは昼間起きている間のこと。寝ているときは(意識について)文脈を離れることになる。それを寝ている時ではなく、起きているときにも意識的に行うのが、これまた人の特徴で、「文脈離れ」と呼べるのではないか。懐疑、躊躇、反省、確認が求められる場合、私たちは立ち止まり、文脈離れによって再確認、再検討し、やり直すのである。
 私たち人間は有限であり、行為を成功させるためには焦点を絞らなければならない。限られた情報を有効に使うには「文脈」が不可欠で、文脈の利用は生物学的な適応と呼んで構わないだろう。「狭い世間」は生きるための工夫であり、巧みな適応なのである。神の生き方と人間の生き方の違いは正にここに存する。神は普遍的でグローバルな知識をもち、それを分け隔てなく、自在に使うことができる。だが、私たちにはそのようなことは不可能。ローカルな世界にしか生きられないのが人間の生き方。文脈生活は正に私たちの生活のエッセンスであり、偏狭な心と近視眼的な知覚をもって生きていくためには世界を文脈に局限しなければそもそも対処できないのである。
 文脈は実に都合の良い工夫で、進化の結果としての適応だと言い誇っても構わないほどのものである。それ以上に文脈は物語の本質的な構成要素になっていて、科学的に知ることとは違う「知る」形式を科学よりはるか以前に文学として生み出していた。科学理論では脇役の文脈は文学では正に主役で、それが本来文脈的な私たちを本能的に惹きつけ、物語に熱中できる理由となってきたのである。
 文脈設定が本能的なことを示す、より説得的な理由が論理である。演繹論理の形式が文脈的で、それゆえ人間的なことは次のような理由からである。「演繹(deduction)」は前提から結論を論理規則に従って導き出す推論方法だが、この形式は正に文脈的。なぜなら、前提と結論の演繹的関係は、前提によって文脈を設定し、その文脈内で導き出される結論、つまり結果という関係になっている。原因と結果の間の関係とよく似た構造をもち、前提が文脈の設定に対応し、結論が文脈内での結果ということになる。推論する際の前提は文脈の設定そのものであり、論理的な推論は特定の文脈設定のもとで行われる。つまり、文脈が設定されないと演繹ができないのである。
 これは演繹だけでなく、帰納アブダクションについても言える。帰納が人間的なのはデータを網羅できないという人間的理由が色濃く表れている。これはアブダクションも同じで、まず推測してみることも神なら絶対にしないことである。
 文脈設定のもう一つの理由は言語である。言語はもう一つの人間的な文脈の存在を示す例。自然言語はそれが話されている地域を考えれば局所的である。特に、日本語は親戚もない孤立した言語。バベルの塔以来、異なる自然言語の間では翻訳がない限りコミュニケーションが不可能である。自然言語は普遍的な言語とは程遠く、どれも文脈的で、局所的である。つまり、私たちが自然言語を習得し、それを使って生活すること自体が文脈的なのである。
 私たち一人一人もローカルな存在。生まれ、死ぬのが有限な人間の常。それは古典力学のモデルとは大違い。生成消滅のない世界での普遍的な運動変化とは違って、私たちの存在、生き様そのものがローカルで文脈的なのである。そうではあっても、それに抗して私たちは普遍的、不変的な知識を希求する。その一方で、文脈を利用して生活を楽しむことも決して忘れない。知識と文脈の仲介が情報であり、これら三つの巧みな組み合わせが私たちの生活を生み出しているのである。

 私はこれまで知識と情報、そして文脈について述べてきた。知識と情報の違いは次のような話に仄見えている。
 プラトンの『ソクラテスの弁明』によれば、「だれもソクラテスより知恵あるものはいない」というアポロンの神託は、はじめはソクラテスにとって「謎」であった。彼は「自分が知恵ある者だなどということには全く身に覚えがない」という「無知の自覚」と「神が嘘を言うはずはない」という「神の信仰」との間にはさまれて、アポリアに陥ったからである。そこで、神の神託が誤りであることを示そうと、世間で知恵ある者だと思われている三者-政治家、詩人、手職人-のもとを訪れた。そこで彼が見出したのは、それぞれ「自分が知恵ある者だと思っているが、実はそうではない」ということと、彼自身は、例えば善や美などということを「実際に知らないので、彼らのように知っているとも思っていない」ということであり、この無知の自覚の点で自分の方が彼らより「ほんの少しばかり」知恵があるということだった。こうして神託の謎は解け、それが反駁されない真理であると悟った。しかし、ソクラテスは、彼を知恵ある者だとする世間の人々の偏見を前にして,神のみが知恵ある者だと主張する一方、この神託を「人間たちよ,お前たちの中では,ソクラテスのように自分は知恵については全く価値のない者だと自覚している者が最も知恵ある者なのだ」と一般化して解釈したのである。
 さて、知ったかぶりをするのが人間の常であるが、知ったかぶりが知識の悪用を諌めるための反面教師の例であることもよく知られている。誰も知ったかぶりを褒め言葉としては使わない。しかし、知ったかぶりをすることこそが知識の本性であり、それがなければ人間が知識を使うことができないという点に、忘れられてきた知識の謎が潜んでいる。知ったかぶりこそ知識の本性だという主張を考えてみよう。
 「無知の知」はソクラテスの名言として有名である。ソクラテスが他の人より優れていると言えるのは「自分が何も知らないことを知っている」という点にある、というのがその解釈で、成程と多くの人々を唸らせてきた。だが、「知らないことを知っている」ということは形容矛盾の匂いがしないだろうか。あることを全く知らないなら、それを知っているとか知らないとか、といったことは話題にもならない。表面的な理解、聞きかじり、部分的な知識をあたかもすべて知っているかのように(他人に対して)振舞うこと、つまり、知ったかぶりをすることを諌めたものと考えるのが自然で、無難な解釈となっている。
 誰も生活に必要なものすべてを自らの手でつくらない。知識も同じで、すべて自前の知識でないと使えないとなったら不便この上ない。次の例を考えれば、私たちだけでなく、ソクラテスさえ他人がつくった知識に頼っていることが納得できるだろう。「ABである」ことがどのようなことなのか、どのような意味なのかを知らなくても、それを使って「BCである」ことと組み合わせて、「ACである」ことを導き出すことができるし、それだけでなくその結果を様々な活動に使うことができる。誰も論理の規則をすべて知らなくてもこの推論は正しいものと受け入れ、活用するだろう。
 知らないことがあるのは恥だろうか、それとも誇りだろうか。知らないことを誇るのが「無知の知」の通常の解釈である。だが、「知らぬが仏」が成り立つ状況では、ソクラテスはどのように言うだろうか。また、「地震の予知は2割程度しかできない」という状況で、ソクラテスの考えを聞いてみたい。私たち現代人はソクラテスと違って、知らないことがあると心理的に不安になる場合が多い。「無知の知」と言うだけでいったい何か役立つようなことが導き出せるのか。知りたい好奇心や知らなければならない義務や責任があるとき、ソクラテスの格言は何かを教えてくれるのだろうか。
 「経験的な知識に完全なものはない」という主張は無知の知を具体的に表現した例文である。経験世界には私たちの知らないことがたくさんあり、そのことを知るのが上の主張である。だが、実際には眼前の対象についてまず知ったことを確認する。知識が完全でなければ使うことができないなどと考える人はいないだろう。不完全な知識と経験的に知った事柄を組み合わせ、それによって知ったことから既知の知識ネットワークに乗せて発展させるのがプラグマティックな知識の使用である。知ったかぶりしなければ知識を使いこなすことはできない。
 「知るとは何か」という問いに答えるために必要なのは「知の知」であって「無知の知」ではない。知らないことを知ることが哲学的な洞察の結果などと考えるべきではない。「知らないこと」は間髪入れずにわかることであり、心が確信できるほとんど唯一のものと言っても言い過ぎではない。
 文脈の導入は優れて人間的な行いであり、有限の能力しか持たない人間のなせる次善の仕業である。知か無知かと二者択一を迫るのではなく、文脈の導入によって前提付きの部分知を認めるのが人間である。部分的な知識というと確率・統計的な知識と思いがちだが、ある文脈の中での知識も部分的な知識である。Aの仮定の下で、BからCを証明できる場合、Cを知ることはABを仮定した上で言えることであり、それが「Cを部分的に知る」ということである。前提付きの相対的知識が文脈の導入によって行われるのである。これは神が行うのではなく、人が行うことである。

ビブルヌム・ティヌス

 運河沿いの緑道で見つけたのが舌を噛みそうな名前の植物。学名のViburnum tinusがそのままカタカナ表記されている。別名がトキワ(常磐)ガマズミ、ビバーナム・ティヌスで、スイカズラ科ガマズミ属。どうも別名の方が落ち着く。原産は地中海沿岸で、日本には昭和初期に渡来。

 高さ2~7mになり、株幅3mほどになる常緑低木。よく枝分かれして、まるい樹形になる。葉は対生する単葉で、長さ4~10cm、幅2~4cmの狭卵形となり、表面には光沢がある。花はつぼみの時は紅色を帯び、開花すると白色か淡いピンク色で、香りがある(画像は白色)。果実は長さ5~7mmで黒っぽい藍色に熟し、有毒。

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知識、情報、そして文脈(3)

3選択と確率・統計
 情報は知識と違って科学的な探求、そして日常生活に不可欠な概念ということになっている。情報は知識より使い勝手がよい概念と思われ、20世紀中葉には様々な場面で使われ、寵児となった。一般的に情報概念が優れているのは、「情報量」という量的な尺度概念が定義でき、コミュニケーションについて客観的に、そして何より工学的に取り扱うことができるという点にあると考えられてきた。
 情報といえば確率・統計がいつも纏わりついていて、二つは切り離すことができない。確率や統計という概念は最初社会科学で使われ出したが、マクスウエルやボルツマンによって気体分子の運動を記述するのに応用され、統計熱力学という新しい分野が生まれた。確率論は後に測度論として数学化される。熱力学の中核にあるのがエントロピー概念で、これによって熱力学のエッセンスが表現されてきた。そして、その概念が確率的に定義されることによって統計力学が誕生する。ボルツマンのエントロピーの定義がそのまま情報に関しても使われ、シャノンの「平均情報量」という概念が生まれることになる。
 その辺の詳しい話は情報科学の教科書に任せることにしても、情報概念と密接に結びついた確率概念に言及しない訳にはいかない。そのためには、確率論の仕組みから考えなければならない。
 確率についての数学的な定義をまとめると次のようになる。まず、命題や集合を考えよう。論理の規則や集合の演算に関して閉じた命題や集合の集まりに測度P( )を定義できる。この関数は命題や集合を実数に写像する。そして、任意の命題や集合ABに対して、次の条件を満たすときP( )は確率測度と呼ばれる。

0≤P(A)≤1
もしAが真の命題か全体集合なら、P(A) = 1
もしABが両立不可能(排反的)なら、P(A or B) = P(A) + P(B)

これらがコルモゴロフ(Andrey N. Kolmogorov, 1903-1987)の確率の公理系で、実に簡単である。確率は通常特定の背景知識をもとにして、確率モデルを組んで、その中で確率測度を与える仕方で使われる。例えば、サイコロ振りを考えてみよう。私たちはサイコロが1から6までの数字の目をもつ立方体であることを知っている。さらに、サイコロが公平であるとすると、通常考えられるモデルは「1の目が出る」、「2の目が出る」、...、「6の目が出る」の各命題に対して1/6の確率測度を与える。さらに、この測度はP(「1の目が出るか3の目が出るかである」) = P(「1の目が出る」) + P(「3の目が出る」)を満たしている。これがサイコロ振りの確率モデルである。
 この数学的な確率概念の特徴は確率を尺度、物差しとして考えるところにある。この他にも確率の定義はあるが、上のような形式的な定義と並んで、そのような形式的な定義をもつ確率とはそもそも何かという解釈の問題が議論されてきた。それらのうちから主要なものを考えてみよう。
 命題や集合は出来事を表現しており、その出来事の集団における「実際の頻度(actual frequency)」が確率解釈の一つである。コインを100回投げ、そのうち実際に39回表が出たとする。この出来事をHという命題で表せば、P(H)は100回のコイン投げでの実際の頻度と解釈できる。この解釈は上の公理をすべて満たしている。実際の頻度を使った解釈は客観的な解釈であり、ある出来事が集団内でどの程度の頻度で実際に生じたかによって確率を解釈している。
 主観的(subjective)に確率を解釈することもできる。私たちは与えられた命題が真であることにどのくらい信頼性を置くべきかについて語ることができる。この概念は心理的であるだけではなく、規範的でもある。それは私たちの信念の度合が何であるべきかを述べているからである。そして、この信念の度合はやはり上の公理を満たしている。
 三番目の解釈は出来事の確率はその仮説的な相対頻度であるというものである。公平なコインはそれが有限回投げられたとき、正確に同じ回数で裏と表が出なくてもよい。しかし、何度も投げていけば最終的には0.5に収束する。xの確率値はxに等しい実際の頻度を帰結する必要はないが、無限に続く仮説的なコイン投げでの頻度はxの値に収束することを帰結する。実際の頻度も信念の度合の解釈も、いずれも確率を何か別のものを使って解釈するものであるが、この三番目の解釈はそうではない。この解釈は実は循環している。
 その理由を知るために、無限の回数の公平なコイン投げが0.5の相対頻度に収束しないとしてみよう。そこで何か特定の系列を思い浮かべてみる。HTHTHT.....という交互に表裏が出る系列の場合、コイン投げの回数が増えれば、そのような系列の出る確率は0に近づいていく。無限の回数の試行では、どのような特定の系列もそれが達成される確率は0になる。しかし、どれか特定の系列が実際に起こる。したがって、確率0と「決して起こらない、不可能」を同じとみなすことはできない。同じように、確率1を「必ず起こる、必然」とみなすこともできない。それゆえ、公平なコインが50%の相対頻度で表が出ることに必然的に収束するわけではない。もし表の相対頻度がそのコインの表の出る真の確率に収束する必要がないのであれば、どのように二つの概念は関係しているのか。大数の法則(law of large numbers)がその解答を与えてくれる。

P(表が出る|コインが投げられる) = 0.5

P(表の頻度=0.5±e |コインがn回投げられる)がnが無限に近づくと1に近づく
(ここでeは任意の小さな数である。)
(ここで(P(A | B)は条件付き確率である。)

試行の回数が増えると、0.5±e内になる確率は高くなっていく。ここで⇔の両側に現れる確率概念に注目してほしい。仮説的な相対頻度解釈は解釈ではない。というのも、⇔の両側にP( )が登場し、確率概念が両方で使われているからである。つまり、仮説的な相対頻度という解釈は循環しているのである。
 最後の確率解釈は、傾向性解釈(propensity interpretation)である。傾向性は確率的な性向(probabilistic disposition)である。では、この確率的な性向とはどのようなものか。性向は「...できる」という言い方をもつ言葉で表現されている。例えば、可溶性は性向の一つである。それは次のように定義できる。

Xが可溶である ⇔ Xが通常の条件で浸されるなら、Xは溶解する

この定義は、ある「…ならば、…である(If..., then....)」という形の文が真であれば、その時に可溶であることを述べている。これはXが一度も浸されなくとも構わないことを示している。さらに、通常の条件も重要である。また、この定義は決定論的な表現になっている。可溶な物質は浸されるなら溶けなければならない。
 確率の傾向性解釈は「…ならば、...である」という文に類似の説明をする。コインが投げられると、その表の出る確率は0.5であるとしてみよう。もしこれが正しいなら、何がこの正しさを生んでいるのか。コインが特別の性向である傾向性をもっているからであるというのがこの解釈の答えである。もしコインの表の出る確率が0.5なら、それは投げられたとき表の出る強さ50%の傾向性をもっている。それはちょうど砂糖の塊が水に入れられると溶けるというのと同じである。
 傾向性解釈は決定論的性向と確率的な傾向性の間の類比を強調する。ある対象が可溶であるかどうか見つけるには二つの方法がある。もっとも明らかな方法はそれを水に浸し、それが溶けるかどうか見ることである。二番目の方法は、その対象が可溶な物理的構成になっているかどうか調べることである。つまり、性向はそれに伴う振舞いと物理的な基盤をもっている。そのいずれかを使うことによって対象が当の性向をもっているかどうか見出すことができる。これは確率的な性向についても正しい。コインが公平かどうかを二つのいずれかの方法によって見出すことができる。実際に何回か投げてみる、あるいはコインの物理構造を調べることのいずれかによって公平かどうかわかる。確率的な性向もその振舞いあるいは物理的構造から見出すことができる。ここには明白な類比が見られる。
 それでもなお、この傾向性解釈には疑いの余地がある。まず、説明が十分一般的でない点である。傾向性解釈での原因と結果の関係は「…ならば、…である」で表されている。しかし、「…ならば、…である」という関係はいつも因果関係を表すわけではない。両親の遺伝子型は子孫の遺伝子型の原因であるが、それと逆のことも「…ならば、…である」という形式で問題にできる。条件付き確率はいつでも因果関係を表すのではない。(ここにも「ならば」が登場している。)
 より基本的な問題は「傾向性」という言葉が「確率」という言葉の別の名前にすぎないのではないかという点である。「傾向性」と「確率」のいずれが明白な意味をもっているだろうか。もし「傾向性」が確率概念を使ってしかわからないのであれば、この解釈は一層事態を複雑にするだけである。
 さて、ここまで確率の解釈について考えてきた。私たちには「確からしさ」を知覚することも、感知することもできない。それゆえ、確からしさを表現する確率論に頼ってことを進めるしかない。確率概念とその解釈について少々丁寧に話してきた理由は、情報概念が情報量の定義に集約され、その定義が確率概念に全面的に依存しているからである。出来事Eの確率値P(E)のとき、Eの情報量は-logP(E)となり、起こりにくい出来事の情報量が大きいことがわかる。情報量の定義は確率の定義を使っており、私たちが完全に知っているとは言えない確率概念がそのまま情報概念にも持ち込まれている点に大いに注目しなければならない。「起こりにくい」とはどのようなことなのかわからないと、情報量が大きいこともわからなく、情報が何かが結局はわからなくなってしまう。
 ここで、(1)で述べた知識についての二つの特徴づけを思い出してみよう。

 信頼可能性理論では、S がp を知るとは次のことである。
(1) S はpを信じる。
(2) p は真である。
 Sがいる環境において、Spを信じるなら、pは真でなければならない。
 それゆえ、pである。
一方、デカルトでは、S がp を知るとは次のことである。
(1)Spを信じる。
(2)Spについての信念は明晰にして判明である。
  明晰にして判明な観念は真である。
  それゆえ、pである。
 デカルトと信頼可能性理論との知識の特徴付けの違いは内在主義と外在主義(externalism) の違いである。「真」なる知識の保証はデカルトでは精神に内在的なものによって与えられるが、信頼可能性理論では環境によって外在的に与えられる。
 このような区別を信じるなら、デカルト風の内在主義が伝統的な知識像に対応していて、外在主義的な立場が情報概念の根本にあると推察できそうである。内在的な知識の外在化が情報という訳である。知識を経験的な装置や方法によって保証しようという考えは情報を考える基本枠組だと捉えることができる。とてもわかりやすく、最初に述べた知識と情報の不思議で微妙な違いが見事に説明でき、それだけでも納得できそうに思える。

 外在主義的な「知る」ことの定義は不可避的に環境や文脈の中で定義されるが、確率概念を使った情報量の定義は、環境や文脈から独立に「現実離れ」して行われている。「現実離れ」は「文脈離れ」と言った方が適切だろう。(私たち人間の人間らしい点は現実に埋もれるだけでなく、現実から離れて判断できる点にある。)外在主義的に知ったものが情報であり、その情報の量を適切に測定するための情報量の定義とが2段階に組み合わされていると考えればよいだろう。
 もう一つ大切なことは情報の定義が外在主義的でも、情報量の定義は文脈や環境とは無関係の確率概念を使っていて、確率という解釈が複数あるように、それだけで具体的で操作可能な概念にはなっていない。情報は実証的な対象として定義でき、そしてそれを可能にするのが情報量であるが、その情報量自体は実証的でない、数学的な確率概念によって定義されているのである。
 さて、肝心な話に近づいてきた。私たちの日常世界は決定論的な世界だと想定されている。そうでないと法律もビジネスもすべてが狂ってしまう。世界が決定論的な仕方で変化しているという形而上学的な前提は私たちの感覚に基づく日常生活にしっかり合致するためか、疑われることなく自明な常識となってきた。
 知識の物語化には情報化が不可欠で、情報概念が脚光を浴びた訳だが、そのためには確率空間という反因果的な数学的仕組みが必要だった。物語と確率は相反するように見えながら、相補的な仕方でうまく利用されている。内在主義的な知識の特徴づけが外在主義的な知識の特徴づけに先行し、知識と情報の区別は内在的、外在的の区別だと考えてきた。信頼可能性理論は知識より情報についてのものだという理解が優勢だった。だが、これまでの考察から、知識と情報を根本的に区別するものはなく、これまでの歴史的経緯の違いが二つの違いらしきものを生み出してきたに過ぎない。
 確率を使った情報量は、確率空間を必要とする。確率空間は数学的モデルであり、内在主義的に理解するのが自然である。これは主観的な確率解釈と呼ばれてきたものに通じている。私たちが住む古典的な世界は決定論的な変化を仮定していて、確率的なのは主観の世界だけであると信じられてきた。私たちは自分たちが住む世界が確率的だと思うのだが、それは未来に対してだけで、過去や現在は確率的ではないと確信している。この態度は許されるのだろうか。世界は時間の経過によって確率的だったものがそうでないものになるといった芸当をするのだろうか。
 この皮肉な結果が意味するのは、情報量概念は主観的なものに過ぎず、経験的、実証的ではないということである。だが、実際には情報量概念は有効に使われ、情報科学の基本概念として役立っている。情報量概念は内在的でも情報は外在的であり、そこに不都合は何もない。これは、体重の値は実数で表現されても、体重は実数ではなく、実際の重さであることに何ら不都合がないのと同じことである。
 文脈は知識の使用者には究極的に所与。知識や情報がいつも文脈に対して相対的であることは、文脈を離れて考えることができる理論と根本的に違っている。日常世界で使われる知識や情報が認識論や情報理論に登場するそれらとは違うという印象を与えるのは、これが理由である。「使われる」知識や情報は、文脈離れした知識や情報の定義とは違うのである。