霊巌寺(れいがんじ)は私の住む江東区にあり、榊原家の菩提寺の一つです。霊巌寺は江戸深川資料館の隣にあります。江東区の白河、三好には寺が密集していますが、その親分格が霊巌寺。霊巌寺は1624(寛永元)年、雄誉霊巌上人の開山によって、霊巌島(現在の中央区新川)に創建されました。1657(明暦3)年、江戸の大半を焼失した明暦の大火によって霊巌寺も延焼。1658(万治元)年に現在地に移転しました。霊巌寺には寛政の改革を行った松平定信の墓があり、霊巌寺周辺の地名「白河」は、白川藩主だった定信に由来します。
江東区の説明によれば、榊原家は上野館林藩(群馬県)10万石、陸奥白河藩(福島県)14万石、播磨姫路藩(兵庫県)15万石、越後村上藩(新潟県)15万石、播磨姫路藩15万石を経て、1741(寛保元)年に榊原正岑(まさみね)が越後高田藩15万石に移封されました。現在の墓は1928(昭和3)年に再建され、塔身正面には梵字3文字が、基礎正面には「舊髙田藩主/榊原家墓」が陰刻されています。
榊原家には菩提寺が多く、康政の善導寺(群馬)、政房、政祐の円教寺(姫路)、高田の林泉寺、江戸の霊巌寺(江東区白川)、さらには本立寺(南池袋)等々。本立寺は榊原家奥方代々の菩提寺で、境内に榊原高尾の墓もあります。吉原きっての名妓であった高尾は、1741(寛保元)年榊原家八代政岑(播州姫路城主)により破格の金銀で身受けされました。これが吉宗の咎めを受け、政峯は隠居。榊原家は越後高田藩へ国替えを命じられます。後に高尾は尼となり、本立寺で没しています。最後の高田藩主は政令の孫の政敬(1843-1927)で、墓所はやはり霊巌寺です。
*画像は霊巌寺
