氏、姓、苗字は歴史的偶然の積み重ねだから…

 「氏」は天皇に仕える血縁の集団につけられたもので、「姓」はその集団の役職や地位を表すものです。例えば、「蘇我大臣馬子」の「蘇我」が氏、「大臣」が姓、「馬子」が名。でも、平安時代になると姓は形骸化し、氏に吸収され、「氏=姓」となります。中世には、氏名に代わって通称の「字」を使い始めます。同じ字が多く、職業や地名をその上に付けて呼ぶようになり、そこに家が登場し、その判別のために用いられたのが、上につけていた職業や地名である「苗字」でした。この「苗字」が姓となり、明治の戸籍の大騒動を経て、現在に至っています。

 今の「夫婦別姓論議に合わせれば、江戸時代の庶民夫婦は別姓で、同苗字であったようです。その前の室町時代は夫婦同苗字、鎌倉は夫婦別姓だったようで、夫婦の氏名に関する伝統は歴史的な偶然の積み重ねでした。

 ここで個人主義を前面に出せば、人の名前は本来的に固有名詞であり、それゆえ、自らの意志で変更する以外は不変であるべきというのが建前。それに従えば、結婚、離婚によって名前を変えるというのは理不尽だという主張になります。そこで、上記のような歴史的経緯を併せて考えると、現状の夫婦同姓は歴史的偶然に過ぎなく、それを重視するより、夫婦別姓の原理的な理屈の主張も一理あるとみるべきです。

 新しいメキシコ大統領に女性のクラウディア・シェインバウム前メキシコ市長がなりました。彼女の当選理由の一つはメキシコが既に夫婦別姓で、結婚による改姓が一切ないことでした。日本では戦前まで氏や姓が個に優先してきたのですが、戦後は憲法で個人が中心と変わります。でも、それをより明白に具体化しようとすれば、個人の名前を結婚や離婚によって変化させないことです。ですから、氏や姓の選択を許す夫婦別姓、つまり選択的夫婦別姓は中途半端な個人主義と言えるのです。