「ユキツバキ」とユキツバキから…

*単語としてのユキツバキを「ユキツバキ」と表示し、植物のユキツバキをそのまま「」なしで指示することにします。

 雪椿(ユキツバキ)は新潟県の県の木です。「ユキツバキ」を(政治経済的に)使うことはユキツバキの産地では普通のことで、ユキツバキを指すだけでなく、銘菓、銘酒の名前として使われるだけでなく、同窓会やグループの名前、会報誌名として人気が高く、雪国の生活の中に溶け込んでいます。越後高田では「上杉謙信」ほどではないにしても、地域のシンボル、代名詞として「ユキツバキ」の人気は随分と高いようです。

 一方、ユキツバキはヤブツバキとは異なる日本固有のツバキであり、ユキツバキ系の乙女椿は既に江戸時代から作出されていた、といった植物としてのユキツバキの性質も明らかになり出していて、表現型だけでなく遺伝子レベルでの解析も進んでいます。冬から春にかけての花として園芸でも人気があります。

 「ユキツバキ」という語彙を使うこと、つまり言葉の使用と、ユキツバキについての知識は違うものだというのは誰にもほぼ自明のことなのですが、実際の生活世界では二つの間の緊密な交わりが物の世界と言葉の世界の不思議な相互関係を紡ぎ出していて、それを知ることに関心をもつ人は少なくなく、私もその一人です。

 「ユキツバキを知らなければ、「ユキツバキ」を正しく使えない」というのは教科書のような言明ですが、ユキツバキの何を知り、「ユキツバキ」の何を知るかは簡単な事柄ではありません。ユキツバキ研究者にとってどうでもよいことは、「ユキツバキ」利用者にとってはとても重要である場合が多く、それは「上杉謙信」や「第一義」を利用する人たちと共通しています。

 言葉は文脈に応じて天使にも悪魔にもなることのささやかな一例が「ユキツバキ」という訳です。ところが、これが農作物、気象、地形、気候等につけられた名前となると、事態は一挙に複雑になり、魑魅魍魎の世界に変わり、「ふるさとの風土」といった概念が登場することになります。そして、人種、民族、文化、歴史が入ってくると、際限もなく込み入った状況が出現し、紛争が起こり、調停するしかない事態が起こることが珍しくないことになります。そうすると、「ユキツバキ」などはそのような百鬼夜行の世界への入門の第一歩に過ぎないことがはっきりするのですが、穢土の始まりの一つが確かにそこにあることもわかるのです。