セイタカアワダチソウの「泡立ち」雑感

 キク科アキノキリンソウ属のセイタカアワダチソウは、北アメリカ原産の帰化植物。その名前の一部「セイタカ」は草丈が高いことからつけられました。もっと正確に言えば、「同じ属のアキノキリンソウ(アワダチソウ)よりも草丈が高い」ことがその由来です。また、「アワダチ」は、タネになった時に綿毛がふわふわとしたようすを「泡」に見立てたものです。セイタカアワダチソウは初秋から黄色の花を咲かせ、晩秋には白い綿毛状のタネをつけます。このタネの姿が泡立っているように見えるため「セイタカアワダチソウ」と名付けられました。

 枯れススキが人々の心を強く捉えるように、セイタカアワダチソウも泡立つように見えるタネの枯れ姿がやはり人々の心を捉えるのです。少なくとも経験主義者の私には黄色い花より、枯れセイタカアワダチソウの方がインパクトの強さを感じられるのです。その背後にあるのは無常観などではなく、花が枯れなければ実はつかないという即物的な理由があるように思えてなりません。

 とはいえ、豊穣の実りと枯れ姿は正反対の生命風景と捉えられてきました。その生命風景には花と実のいずれを重視するかという問い以上の、厄介で、複雑な思想や歴史が潜んでいるようです。

*画像のようにセイタカアワダチソウの個体を主に見ると、「一面の枯れ姿」や「黄一色の集団」といった風景が想像しにくいのも確かです。では、「個体の風景」とはどんな風景なのでしょうか。