夏のセミの記憶から

 「オスは腹を激しく振りながら大声で鳴く。鳴き声は「シャシャシャ…」、「センセンセン…」」というのがクマゼミで、子供の頃からこのような説明を何度も聞いてきた。そのクマゼミの鳴き声が妙に目立つのが今年の湾岸地域で、ミンミンゼミやアブラゼミと並んで、午前中はクマゼミの大合唱である。

 セミの声で思い出すのは子どもの頃の田舎のセミたち(アブラゼミ、ヒグラシ、ミンミンゼミ、ニイニイゼミツクツクボウシ)。確かにうるさい程のセミだったが、クマゼミは憶えていない。さらに、妙高高原セミは「7月まではエゾハルゼミで、ブナ林で大合唱し、次はエゾゼミ、アカエゾゼミ、さらにはヒグラシで、広葉樹で鳴く」と聞くと、私の記憶のどこにもヒグラシ以外のセミは登場しない。「エゾ」がつくセミの記憶がないのは、私が夏に妙高高原にいた日が僅かだったからと説明がつくのだが、クマゼミの記憶がない理由は何なのか。

 ミンミンゼミとクマゼミの鳴き声は、人間の耳には全く違って聞こえるが、二つの鳴き声をゆっくりと再生すればミンミンゼミの鳴き声に、早く再生すればクマゼミの鳴き声となる。両種のセミの鳴き声が似ているため、クマゼミとミンミンゼミは互いに棲み分けをしているという説明も、両方が鳴いている湾岸地域では説得力がない。

 そこで、さらに調べてみる。これまで、クマゼミは日本では温暖な西日本を中心に分布し、東京、神奈川などの関東南部が北限とされてきた。だが、温暖な西日本を中心に分布し、生息北限が関東南部までとされていたクマゼミが北関東や新潟県南部でも確認され、従来の生息地である九州から東海でも、アブラゼミの数を上回っていて、ここにも温暖化が影響しているというのが最近の説明。この説明で私のクマゼミ記憶の謎も解けそうである。私が子供の頃の新井にはクマゼミがいなかったのである。

 老人は「知識が年を取る、つまり知識が古くなる」ことを体験し、実感できる。それが記憶を辿ることによって経験できるのだ。セミの記憶が地域や時間の違いに応じて再生され、それが現在の姿と違うことが認識され、セミを知り直すことになる。少々大袈裟にまとめるならば、私の記憶の中のセミは現在のセミと比較考量され、私のセミ(の知識)として記憶され直す、とでもなるのか…

クマゼミ

ミンミンゼミ