方便としての秘仏観光

 仏教の歴史の中で様々な方便が生み出されてきました。方便はとても人間的で、人の生きるという働きが見事に表現されています。中でも、仏典と仏像、そして寺院は大乗仏教の主要な方便と考えることができます。人々の信仰形態はそれらの装置によって大きく変わり、大乗仏教という新しい宗教を誕生させたと言うことができます。

 そのような歴史の中で生まれた新機軸の一つが「秘仏」です。善光寺にも関山神社にも秘仏があり、現在それら秘仏が御開帳されています。「仏像を隠す、見えなくする」という一見理不尽な「秘仏化」は私たちの信仰形態にどのような変化をもたらしたのでしょうか。秘仏化という人の方便、知恵は、「拝む」という行為がものを観察、鑑賞することだけではないことを強調しました。また、希少性を強調することは意図的な情報操作だけでなく、仏像自体の保存、管理にも実に役立ちました。

 その秘仏化に不可欠なのが開帳です。秘仏と開帳は重要な対です。絶対秘仏でない限り、定期的に開帳され、そのことによって人々は仏像を拝む機会を獲得できる訳です。その究極が絶対秘仏ですが、これにもさらなる工夫、例えば(善光寺の)お前立といった別の仏像を代わりに置く巧みな道具立てが用意されています。さらに、仏像の開帳も同じ場所でなく、仏像が移動して様々な場所で行われます(出開帳)。こうなると、これら方便の総合として参詣、参拝と旅が一つにまとめられ、観光という目的が明確になり、信仰と観光が見事に結びつくことになりました。

 方便は教え導くという仏の働きのことで、目的を実現する手段です。人の認識、思考、行為はそのような手段の典型例ですが、秘仏は情報をあえて少なくすることによって、隠される仏像の価値を高める見事な方便で、近代的な観光ビジネスモデルになったのです。