「私は今ここにいる」が誤っているのはどのような場合なのか?

 「私は今ここにいる」と私が発言するとき、通常の私にはそれが誤っているとは思えないし、横でそれを聞いている人も、私の発言が誤っているとは思わないのではないでしょうか。わざわざ発言するまでもなく、正気の人たちには自明の真理として受け入れられています。実際、いつでも、どこでも、誰でも、「私は今ここにいる」という発言が偽である場合を具体的に挙げることができるかと問われると、困ってしまうのではないでしょうか。正気であることと「私は今ここにいる」ことが真であることとは同じ事だと考える人がほとんどではないでしょうか。そこで、偽になるような場合はどのような場合かを調べてみましょう。

 まず、次のような三つの発話について考えてみましょう。

(1)認知症の人が「私は今ここにいない」と言っても、誰も驚きません。それが妄言で、誤りだとわかっているからです。でも、そう言った本人は「私は今ここにいない」と信じている筈なのですが、本人がそのことを自覚しているかどうかは私たちにはわかりません。兎に角、正気を失った人には「私は今ここにいない」、そして「私は今ここにいる」のいずれも真偽になりうるのです。それに準じるのが意図的に嘘をつく場合で、発言が嘘だとわかれば、発言内容には誰も驚きません。

(2)死んだ人が顕界、つまり生活世界で「私は今ここにいない」と言っても、誰も驚きません。死者は既に生活世界にいないからです。死者の声を何らかの方法によって顕界で聴くことができたなら、それが真だと判定できるからです。そう言った死者本人正常であれば、「私は今ここにいない」と信じている筈です。

(3)夢の中で「私は今ここにいない」と言っても、やはり誰も驚きません。それは夢に過ぎず、夢の世界ではなんでも可能だからです。例えば、そう言った本人が「私は今ここにいない」と思いながら、ここでの夢を見ている場合がしばしばあるのです。

 このような場合を見た上で、再度普通の人が「私は今ここにいない」と言う場合を考えてみよう。正常な私が「私は今ここにいない」と仮定した場合、上記の場合とは違って、私にはそれが偽であるとしか思えないから、偽なる仮定からは何でも導出できることになります。

 代名詞は、名詞または名詞句の代わりに用いられます。通常は名詞とは異なる品詞と見なされますが、名詞の一種とされることもあります。例えば「私」、「あなた」、「彼」などがそうです。人称代名詞、指示代名詞、疑問代名詞、関係代名詞、再帰代名詞、相互代名詞、不定代名詞、否定代名詞などに分類されていて、日本語では、自立語で、活用はしません。また、「いま」は名詞(日本語)、あるいは副詞(英語)です。

 代名詞や副詞のもつ特徴は、状況によって意味や指示が変わり、状況依存的である点にあります。また、状況の設定を誰がいつどこでするかに応じて真偽が変わります。始終変化する状況について、柔軟にその変化を示す指標が不可欠で、いつでもどこでも誰でもが同じように対応できるための工夫が「今、ここ、誰」なのです。また「ある」も最も一般的な判断の仕方、つまり存在することの表現になっています。

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 こうして、「私は今ここにいる」は私が正気で発言する限り、いつでもどこでも正しい発言なのだと言えそうです。私が正気でなくなると、「私は今ここにいない」が真になる可能性が出てくるのです。つまり、私が正気か否かの判断は「私は今ここにいる」が私自身でその真偽を判定できるか否かによることになります。そんな真偽判定ができない場合がほとんどだということは、私が正気かどうかはほとんどの場合わからないということを意味しています。