秘仏の正体(1):東大寺二月堂十一面観音像

 善光寺浅草寺秘仏の魅力は私たちの習性と結びついています。何かを隠されると好奇心が倍加するのが人の本性であり、両寺の秘仏化はそれを見事に示しています。「仏様正体隠し功徳増し」という訳です。秘仏を中核に、寺院参詣を促し、それに観光と温泉を組合すなら、見事なツアーパッケージが出来上がります。物見遊山と寺社参詣が組み合わされるのが江戸時代からの庶民の娯楽であり、そこにスポーツ、歴史、文化、食べ物などがさらに組み合わされて、今様の観光となります。善光寺秘仏を核に、信仰と観光を見事に融合した成功例です。これは浅草寺についてもほぼ同じです。

 では、法隆寺東大寺の場合も同じでしょうか。まずは、東大寺二月堂の十一面観音像について考えてみましょう。その秘仏化は神仏習合の一例と解釈できます。お水取りの本行は3月1日に始まり、二月堂にこもる僧「練行衆」が本尊の十一面観音菩薩像の前で懺悔(さんげ)し、天下泰平や五穀豊穣を祈ります。二月堂の本尊は「大観音」、「小観音」と呼ばれる大小2体の十一面観音菩薩像で、絶対秘仏です。二月堂は、東大寺金堂(大仏殿)の東方にあり、すぐ南には三月堂の通称で知られる法華堂があり、これらの堂がある一画は「上院」(じょういん)と呼ばれ、大仏開眼以前からの東大寺の前身の寺院がありました。

 『二月堂縁起絵巻』(1545年)等が伝える寺伝によると、修二会(しゅにえ)の始まりは次のようです。751(天平勝宝3)年、実忠が笠置(現在の京都府笠置町)の龍穴の奥へ入っていくと、そこは兜率天(とそつてん、仏教の世界観における天界の一つ)の内院に通じていて、そこでは天人らが生身(しょうじん)の十一面観音を中心に悔過(けか)の行法を行っていました(悔過は自らの過ちを観音に懺悔(さんげ)すること)。実忠はこの行法を人間界に持ち帰りたいと願いますが、そのためには生身の十一面観音を祀らねばなりません。下界に戻った実忠は、難波津の海岸から観音が住むという海のかなたの補陀洛山へ向けて香花を捧げて供養しました。すると、100日ほどして生身の十一面観音が海上から来迎しました。この説話に登場する実忠は実在の僧です。

 修二会の代名詞となっているお水取りは、3月12日の後夜の時(じ)の途中に行われるもので、二月堂前にある若狭井から香水(こうずい)を汲み上げ、十一面観音に捧げる儀式です。これは伝承では若狭国の遠敷明神(おにゅうみょうじん)が湧き出させた霊水であるとされています。このように、修二会は密教神道の要素や春迎えの民間習俗を取り入れた部分があり、見えない日本の神がダブり、秘仏化による神仏習合となっているのです。

山折哲雄、「秘仏と神-二月堂修二会と春日若宮祭の論理と構造-」、『国立歴史民俗博物館研究報告』49、1-6、1993、pp.157-83)

 二月堂の修二会の研究を徹底した佐藤道子さんが1月に91歳で亡くなりました。佐藤さんは1930年生まれで、東京国立文化財研究所に入り、仏教芸能を研究しました。東大寺の修二会では練行衆(れんぎょうしゅう)と呼ばれる僧11人や支える人たちが1カ月間、合宿生活を送ります。3月1日から14日間、二月堂で1日6回の法要を繰り返しますが、彼女は1カ月に及ぶ修二会の全期間を調べました。練行衆や長老はもちろん、あらゆる人たちに取材し、その成果が全4巻の『東大寺修二会の構成と所作』(東京文化財研究所芸能部編、佐藤道子担当、法蔵館、上中下巻+別巻、2005)となりました。