瞬間写真

 前回は因果的変化の「因果」に焦点を当てた。ストーリー(物語)は原因と結果の連鎖から成り立っていることから、因果性について考えたが、今回は「変化」の対となる瞬間について考えてみよう。変化は次のようなレベルの異なる概念枠組みによって扱われてきた。

(1)数学的概念としての点と線、そして、最終的には数と集合

(2)物理学(力学)的概念としての運動と軌跡

(3)日常的経験としての瞬間と変化(経緯、経過)

 ニュートンがリンゴの落下を見て、まず感じたことは上の(1)、(2)、(3)が混淆したもので、彼はそれを力学的な運動として見事に理論化した。感覚的な経験に言葉を与えて表現し、その結果が数学と物理学の理論となった。点や線は数学的存在、数学モデルの中の対象であり、それらを「瞬間、変化」という直感的で感覚的な語彙の使用に対して、矛盾なく適用したのがニュートンだった。

 飛ぶ鳥や飛行機の画像は鳥や飛行機が静止していると理解する人はいないが、それはどうしてなのか。鳥も飛行機も空中に静止できないと知っているからだろう。静止画像は、従って、瞬間の画像だと捉えられる。実際、「瞬間写真(moment photography)」という単語さえある。では、その「瞬間」とはどのようなものなのだろうか。

 写真について全くの素人の私が写真の「瞬間」をまとめると次のようになる。デジタルカメラでは、フィルムの代わりに「撮像素子」が使われ、写真を撮るまでのプロセスがフィルムカメラとは違う。シャッターを切り、レンズを通して入ってきた光が撮像素子に当たり、記録メディアに保存されるまで、デジタルカメラの中ではおよそ次のような処理が行われている。まず、撮像素子に当たった被写体の光は電子に、さらにアナログの電気信号に変換される。次に、アナログの電気信号は増幅され、デジタル信号に変換される(A/D変換)。変換されたデジタル信号がRAWデータ(生データ)で、それを見ることができるようにするのが画像処理回路である。デジタル信号は画像処理回路に送られ、可視可能な画像のデジタル信号に変換される。画像処理された画像は、一時的にカメラ本体の「バッファメモリー」と呼ばれる記憶回路に画像データとして記録される。このような処理がデジタルカメラの中でシャッターを切るたびに高速で処理されている。なんとも驚きの因果的過程である。

 「一瞬、瞬間」と私たちが呼ぶものを静止さてしまうのが写真の面白さの一つと思われている。写真は時間を止めて、人間の目では捕らえることのできない瞬間を鮮やかに見せてくれる。シャッタースピードを速くすると、光が撮像素子にあたる時間は短くなり、シャッタースピードを遅くすると、光が撮像素子にあたる時間は長くなる。シャッタースピードを変えると、動いている被写体の写り方が変わる。シャッタースピードが速いと、動いている被写体を静止させて写せるが、シャッタースピードが遅いとシャッターが開いている間にカメラが動いて手ブレになったり、被写体が動いて被写体ブレになったりする。

 このような説明は確かに印象的なのだが、この理屈からすれば、文字通りの瞬間の画像を撮るためには、シャッタースピードはとても速く、終には無限大の速度が必要ということになる。むろん、それは理屈だけの話で、実際は相当に速いシャッタースピードがあれば充分と了解されている。ただ杓子定規に言えば、有限のシャッタースピード速度では幾何学的な点を撮ることはできなく、瞬間の画像とは幅をもつ時間区間での画像でしかない。私たちの知覚経験はその画像を瞬間の画像だと解釈(あるいは反応)するのである。それゆえ、私たちには「瞬間」の画像と「瞬間に見える」画像は日常生活では同じなのである。

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