大雪の便りを聞きながら

 ふるさとの大雪のニュースが入ってくると、私が反射的に思い出すのは小林一茶の柏原での俳句と桑原武夫の第二芸術論。

 雪解けの水音が四方に轟き渡り、それがあたかも地震のようだということから「地震滝」と呼ばれ、「地震」が「なゐ」と呼ばれていたことから「苗名(なえな)」に変わり、今では「苗名滝」と呼ばれ、日本の滝百選に選ばれています。文化10(1813)年の春にその滝に心打たれた小林一茶が詠んだ句が「瀧けぶり 側で見てさえ 花の雲」で、この句は滝の近くに刻まれています。

 一茶には同じ春の句に「雪とけて 村いっぱいの 子供かな」があります。力強く感動的な自然の中に人々の暮らしがあり、そんな村に遅い春が訪れ、春の陽気の中で遊びまわる子供たちで溢れている情景が浮かんできます。一茶が感動した自然、一茶が暖かい眼で見つめた村の子供たち、そんな里の生活について彼が詠んだ句をいくつか挙げてみます。

 

 しづかさや 湖水の底の 雲のみね

 湖に 尻を吹かせて 蝉の鳴く

 

野尻湖を優しく詠い、そして、

 

 古里や よるも障も 茨の花

 

とぼやきながらも、

 

 是がまあ つひの栖(すみか)か 雪五尺

 

と諦念の情を表し、

 

 けふばかり 別の寒さぞ 越後山

 

と豪雪の中の生活を詠っています。こうなると、一茶は柏原をどのように考えていたのかわかりにくくなり、彼の気分次第だと思いたくもなります。

 

 大雪は 自然のくれる おくりもの(スキー場にて)

 大雪は 自然のくれる 余計もの(農場にて)

 

 初雪の 降る空眺め 愚痴のでる(大人)

 初雪の 降る空眺め 夢開く(子供)

 

 こんな駄作を比べると、桑原武夫の主張も腑に落ちるのです。第二次世界大戦直後、彼は1946年『世界』11月号に「第二芸術――現代俳句について」発表し、俳句を批判しました。桑原は現代の名家の句と無名の句を五つ混ぜ合わせ、作者の名前を消してしまえば優劣の判断がつきがたいとして現代俳句の芸術性を批判しました。上の四つの句についても作られた状況や作った人に応じて句の解釈はまるで変わります。それぞれの状況を入れ替えるととても奇妙な句に変わってしまいます。この状況への敏感な反応は芸術の脆弱性を示すと判断したのが桑原だったのです。