雪が降る

 今でも雪が降ると心が騒ぐ。私には雪が降るのは雨が降るのとは大違いなのである。それは子供の頃からまるで変わらず、習慣のようなものだ。最も、小さな頃は心の騒ぎ幅が今よりずっと大きく、その喜びもひとしおだった。夜になっても雪が降り続くような時は、心が躍るようでなかなか寝つけなかった。雪の重みで家の梁が軋むのだが、その音は私の期待を倍加するような快い音だった。この期待感はどうしてなのかと問われても、なかなか上手い返答ができない。だが、雪が降ることが私を興奮させることは確かだった。未だにその正確な理由は自分にも定かではない。勘ぐるに私は雪それ自体より、雪が降り続き、積もることが好きだったようなのである。だから、積もってしまった雪はそれほど好きではなく、興奮もしなかった。とはいえ、積もった雪の中で遊ぶことは文句なく楽しいことで、雪を使った様々な遊びは他の子供たち同様にほぼ何でも好きだった。

 珍しく東京に今雪が降っている。辺りはすっかり雪景色に変わり、このままでは道路にも積もりそうな勢いである。今降っている雪は東京の雪であり、私のふるさとの雪ではない、などと無意味なことを言うのは野暮もいいところで、雪はどこかの特産品ではない。雪が東京の雪であるのはたまたま東京に降ったからであり、妙高に降る雪は妙高にだけ降る雪ではない。だから、私は子供の頃と同じように、東京に降る雪に心を躍らしているのである。とはいえ、ふるさとの雪は妙高の風景の中にある雪で、それは確かに東京の風景をつくっている訳ではない。

 雪はまだ暫く降り続くようで、雪降る世界を暫くは心躍らせ、見入っていることができる。舞い降りる雪を見ていて飽きないのはどうしてかなどと何十年来の問いを飽きもせず問い直しながら、雪の中の時間を過ごすことにしよう。