「ふるさと」の使い途

 「生命地域」となれば、妙高市のスローガンを思い浮かべるのですが、その現在の定義のようなものを探ると、「A bioregion is a land and water territory whose limits are defined not by political boundaries, but by the geographical limits of human communities and ecological systems.」とでも表現できそうです。「生命地域」や「生命圏」は20世紀の後半に登場した概念で、政治経済活動を生態学的枠組みの中で展開する姿勢を表現したものでした。これが現在の環境保護や温暖化防止の運動に繋がっています。その意味で、とても西欧的な考えであることがわかります。ですから、このような概念を日本の地域社会、特に農山村地域にそのまま適用するには相当な工夫が必要だということになります。

 そこで20世紀前半の知的状況にまで戻ってみると、『風土 人間学的考察』(和辻哲郎岩波書店、1935)に行き着きます。利辻はこの著作で人間存在の時間性と空間性、歴史性と風土性を機軸とする人間存在論を提示しました。留学先で学んだハイデッカーの『存在と時間』が意識の時間を重視したのに対し、空間の見直しを計ったのが和辻でした。「間柄」と「風土」との関係が曖昧だと批判されてきたのですが、その鍵はこれまで何度も言及してきた「ふるさと」の中に詰まっているというのが私の主張です。時間と空間、歴史と風土が分かれる前の状態が「ふるさと」であり、そこに私たちの出発点があるのです。

 時間的に、気候圏(風土)、生命圏(地域)と続けば、21世紀は情報圏となることが簡単にわかります。さらに、より人為的な政治圏、経済圏、そして文化圏などが共存しています。生命圏を基本にした地域は風土の中の生命地域なのですが、本来の意味は厳しい自然環境の中で生命が活動できる地域のことです。ですから、モンスーン地域のような生命活動が豊かな地域では歴史、経済、政治によって地域が限定されてきたのです。特定地域だけを限定するには和辻の風土や間柄では決まりません。そのような中で、間柄を特定する「ふるさと」による地域の決定は可能です。「ふるさと」は和辻風には歴史的な風土の断片です。