人の都合、自然の都合

 オミクロン株のニュースが溢れ、変異株が次々登場すると、直にギリシャ語のアルファベットが尽きてしまうような気がしてくる。そうなったら、次は日本語の「あいうえお」にしたらどうかなどと呑気に思ったりしてしまう。

 私たちの祖先の人類は発見順に命名されてきたが、命名の古さと発見された人類自体の古さとは無関係だと誰にもわかるが、コロナウイルスに関してはとても微妙で、発見の順番とウイルス自体の系統関係には相関関係がありそうに思われる。

 生き物を私たちが知り、利用する時間的な関係と、その生き物の進化を含めた系統関係は通常は違っている。私たちとはほぼ関係のない対象の場合は、二つの関係は無関係で、独立していると言っても構わないだろう。だが、そうでない場合、人の都合やコロナウイルスの都合が絡み合って、人とコロナの間に柵が生じることになる。

 「都合」とは都合の良い言葉で、「偶然」を説明する個別の理由や原因の総称と考えてもいいのではないか。何かの都合で起きる、生起するとき、それら出来事は偶然に起きると定義するのがよいのかも知れない。進化関係が多くの偶然に介入され、決定論的ではない系統関係であることは、家系図や血縁関係においても簡単に見ることができる。

 歴史的な偶然、系統関係の複数の可能性、血縁関係の生成と消滅、これらは偶然の関与を示す事態があることを示すものであり、私たちの世界は様々なものの多様な「都合」によって複雑怪奇なものになっている。何かの「都合」によって、神話や昔話の系統関係は変わる。

 では、「都合」という日常表現は何を指しているのか。その追及さえ、私の「都合」次第だということになると、「都合」は意外に奥深いのである。