擬似禅問答の解答例

・サイズのない粒子(つまり、幾何学的な点のようなもの)はある体積の箱にどれだけ入れることができるでしょうか。また、その箱の2倍の体積の箱があったなら、そこにはどれだけ入れることができるでしょうか。

 「サイズのない粒子」は曖昧な表現ですが、誰もが受け入れやすい比較は「ユークリッド幾何学の点」ではないでしょうか。ユークリッドによれば、点はサイズがないと定義されます。それゆえ、サイズのない粒子を点とみなすと、点はいくらでも箱に入れることができます。つまり、箱には「無限の」点が入ることになります。2倍の体積の箱にも当然無限の点を入れることができます。二つの箱の中の点の間には1対1の対応が成り立ちますから、それゆえ、二つの箱の点は同数あることになります。

・サイズのない箱はあるでしょうか。解答の一例として、「何も入れることができないならば、それは箱ではない」と「サイズのない箱がある」とから矛盾を導き出し、それを使って問いに答えてみて下さい。

 サイズのない箱があるとしましょう。すると、サイズがないため、そこには何も入れることができません。すると、それは箱ではないことになります。箱があって、箱ではないことは矛盾です。それゆえ、サイズのない箱はありません。このような論法は帰謬法(reductio ad absurudum背理法とも呼ばれますが、理に背く方法ではありません)と呼ばれます。

・サイズのない点を見ることができたとすると、どのような好都合があり、またどのような不都合が生じるか述べなさい。

 想像力の逞しい中学生なら数直線上の点を見ている状況を思い浮かべるのではないでしょうか。点が一直線上に並び、それが見える訳です。現実に点を見ることができる人はいませんから、彼は点がどのように並ぶかを報告できる筈です。これが好都合なことだとすれば、体操選手の流れるような運動が瞬間の姿の並列的な列挙としてしか存在せず、連続する姿が見えないという不都合が生じます。

・サイズのある点の集合があったなら、その中で一番サイズの小さい点、一番サイズの大きい点はあるでしょうか。

 サイズのある点の集合が無限個の点をもつなら、一番サイズが小さい点、一番サイズの大きい点はないことが可能です。でも、それが有限個なら、一番サイズが小さい点、一番サイズの大きい点があることが可能です。「可能である」は注意すべき表現で、「Aがある」と「Aがあることが可能である」の間には大きな違いがあります。