多様な掛け声の不調和

 今回のオリンピックには掛け声が妙に多い。その最初が「復興五輪」。延期が決まり、大会のビジョン、モットー、テーマ、理念などと呼び名が変わる度に、掛け声の表現も違った風に登場し、お互いの関係などわかる筈もなくなってしまっている。

 「心でつながる」と言われて、ぎょっとするのは私だけではあるまい。「感動で結ばれる」、「感動の共有」から「心で結ばれる」を通って、「人の絆」にまで結びつけるなら、何でもありの言葉の魔術としか言いようがない。伝言ゲームの如くで、「United by Emotion」がその最初の表現。それが様々に解釈されることになり、終には「絆」に達すると、成程と唸るほどの言葉の悪だくみ、悪用が透かして見えてくる。スポーツの感動は言葉による感動とは違う無言のものの筈である。

 「多様性と調和」は今回の基本コンセプトと言われるが、この表現自体が多義的に解釈できて、「違うものでも一緒になれる」を意味するならば、呉越同舟ではないかということになる。基本コンセプトだと押し付けられると、調和できないから多様なのではないかと青臭い文句も言いたくなってしまう。

 これらに準じて、便乗モットーやテーマも盛りだくさんで、正に「船頭多くして船山に上る」である。その乱雑さの故か、オリンピックは難民の参加から個人の参加まで認め、プロ・アマの垣根はなくなり、その一方で国別のメダル獲得競争を一心不乱に焚きつけるという不思議な競技大会なのである。

 自明のことだが、クーベルタンとは違う思想をもつ新しいリーダーが求められている。

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