アジサイの花も終わりだが、カシワバアジサイの真っ白だった花が色を変えて、まだ残っている。カシワバアジサイは北アメリカ東南部が原産地で、葉がアメリカガシワに似ていることからカシワバアジサイと呼ばれるが、日本のカシワの葉とは異なる。
カシワバアジサイはトチノキの花に似た大型の花をつけ、花は咲き始めの薄緑色から次第に純白へと移る。普通のアジサイが有色だから、白色は目立つことになる。だが、花が咲き進むと、色は次第に色づき、ピンクから薄い赤色に変わっていく。
生き物は歳をとるに従い、色が褪せていくもので、白色が色褪せしてピンクや薄赤色になったと考えられる。老いることが醜くなることだとすれば、白からピンクや薄赤色に変わることは老化であり、古さを意味していることになる。古くなった証の一つが色褪せで、私の白髪が増えるのと同じように、カシワバアジサイの花は白から薄赤に変わったのである。こうなると、「花の色は うつりにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに」と嘆きたくなるのだが、私には随分と粋な計らいに思えてならない。見られるアジサイも見る私も共に老いて、老人同士が妙に意気投合して、互いの年齢を背景に、共感するような気持ちになるのである。さっと散る桜の花とは違う。
それにしても、薄いパステルカラーのカシワバアジサイの花には盛りを過ぎた色気があり、それが私の記憶を刺激し、過去を呼び起こす。滅びの美しさをもつカシワバアジサイの老いた花には老人を惹きつける十分な魅力に溢れている。