青春の実たち

 植物の春は動物の青春期を彷彿させ、二つの春は呼応して互いを讃え合うかのように捉えられてきました。春がない地域では青春を何に喩えるのか、私にはよくわからないのですが、地球が規則的に運動している限り、暦通りに花が咲き、青春が過ぎていきます。花が咲き、実がつきますが、たいていの実は青い色です。つき始めの実の形態は様々でも、色はよく似ていて、青いのが普通です。コブシ、ヤマボウシ、ソヨゴ、そしてダイダイはいずれも青い実をつけます。どの実も示し合わせたように青く、硬く、清々しいのです。

 その青い実が秋には熟し、それがまた動物の成熟した時期に喩えられています。植物は毎年花を咲かせ、青い実をつけることを規則的に繰り返しますが、私たちのような動物は同じように繰り返すことができません。でも、私たちは青春時代を記憶し、繰り返しそれを思い出すことができます。私たちは追憶の中で自らの春を繰り返し想起するのです。

 私たちの青春は繰り返すことができなく、年老いた私たちには青春は想起のために存在するだけのものになっています。青春は戻ってこないのですが、青春の思い出は記憶の中に残り、それは老人に特権的に与えられた賜物となっています。ですから、青い実は老人に若き日を追憶させ、自らの老いを自覚させるきっかけ、契機になっているのです。

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コブシ

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ヤマボウシ

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ソヨゴ

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ダイダイ