親鸞の神祇不拝

「神祇」は天神地祇(てんじんちぎ)の略、天神は「あまつかみ」と呼ばれ、天上で生まれ、あるいは天上から降(くだ)った神、地祇は「くにつかみ」と呼ばれ、地上に天降った神の子孫、あるいは地上で生まれた神のことです。「神」は「天神」を、「祇」は「地祇」を表し、それら神々を拝まないことが「神祇不拝」です。そして、その神祇不拝を主張したのが親鸞です。

親鸞の教えに忠実な門徒であれば、他力本願の阿弥陀信仰を持つことと神社に祀られている神々を拝むことが両立しないことは明らかです。浄土真宗のような鎌倉新仏教は一神教に近い性格を持っていて、他の宗派とは激しく対立します。ですから、門徒が氏子になることはあり得ないというのが当たり前の筈なのですが、その後の歴史を見れば、そうはなっておらず、氏子の中には門徒がいてもおかしくないどころか、氏子と門徒は共存できるというのが現在までの実際の姿で、それが「神仏習合」と呼ばれてきました。

奈良時代以来、仏教と神道は習合しながら、互いを守り合ってきました。明治になってそれが崩れ、仏教と神道は分離されることになります。

死んだ人間や動物などの霊魂を神社に祀ると、そこに留まり、人々に幸せや不幸を与える力を持つと信じられている神が「実社の神」です。例えば、日光東照宮徳川家康明治神宮明治天皇。一方、「権社の神」は仏や菩薩が仮に神として現れていると解釈された神です。その解釈は本地垂迹(ほんじすいじゃく)説と呼ばれました。「本地垂迹」とは、仏が仮に神となって現れるということで、本地が仏、神が垂迹です。この教えを神社の神にあてはめて、日本の神を仏や菩薩の権現(ごんげん)であるとしたものが、権社の神です。例えば、「八幡大権現」。でも、明治時代に神仏分離令が出され、現在は権社の神は消えました。

神道では、神社などで神を拝めば、一家が繁栄したり、商売が繁盛したり、病気が治ったりすると教えていて、私たちはそれに何となく従っています。そして、多くの人は欲望を満たすのが幸せだと思っています。生きている間に持つ欲望を一つ一つ満たしていけば、それで十分幸せだと思う人なら、それで十分なのですが、人の欲望は限りなく、それが不幸を生み出すと考える人がいて、親鸞もその一人なのです。

財産、地位、名誉や家族ではなく、「後生の一大事」の解決によってのみ幸福になれると説くのが仏教です。仏教の目的は、後生の一大事の解決です。ところが、後生の一大事を解決する力があるのは阿弥陀如来だけですから、後生の一大事をはやく阿弥陀如来に解決してもらいなさい、というのが教えになります。この「後生の一大事」とは、「生死を離れる」こと、つまり解脱することです。『歎異抄』にも「われもひとも、生死を離れんことこそ、諸仏の御本意」と述べられています。

したがって、親鸞の教えを信じる門徒は神祇不拝で、後生の一大事の解決を目指すことになる筈なのです。