神社神道と民俗神道

 私がこれまで述べてきた柳田国男折口信夫の民俗神道と正反対の極にいるのが葦津珍彦(あしづうずひこ)。葦津は神社本庁日本会議を支え、天皇を中心とする神社神道を守ろうとした人物である。葦津は神社本庁を作る際に、柳田や折口の神道論を否定し、排斥した。

 その理由はおよそ次のようなものだった。日本人の意識の根底にある皇室神道を抑圧し、国民の精神的統合を抹殺しようとしたアメリカは、民俗学的な地方分散的な古神道知識を利用し、日本人の皇室神道による国民意識を解体しようとした(天皇の象徴化)。柳田や折口らの民俗学的な神道研究者はGHQ神道政策に協力的だった。このような政治的理由だけでなく、葦津は柳田や折口の説く古神道皇室神道だけでなく、多様な要素をもつ原始宗教であって、地方分散的だったことが事実だとしても、現在の日本の神道が昔の状態に戻ることにどのような意義があるのかと問い、柳田や折口らが説く民俗学的な神道に異議を唱えた。

 葦津にとっての神道は、天皇の存在を前提としたものであり、それゆえ、柳田や折口の民俗学的な神道論は歴史研究としては尊重できても、生きた宗教や倫理としては受容できないものだった。天照大神を頂点とする神々への信仰を内容とするのが神社神道で、それは国民を統合する文化でもある、というのが葦津の主張で、今の神社本庁もこれを受け継いでいる。

 キリスト教宗教改革ではプロテスタントカトリックに分かれて、激しく対立した。単なる宗教論争だけでなく、政治的、経済的、文化的な対立となり、長く続いた。このような激しい対立が民俗神道神社神道には見られない。それこそが日本の神仏習合の大きな特徴なのかも知れない。神仏の前に、仏たちの間、神たちの間での習合が適当になされ、さらにそれが神仏の習合(集合)へと平和裏に繋がってきたのが日本の神仏習合なのだと民俗学的に考えると、そこに私たち日本人の並立許容の本質を見るのは私だけではないだろう。