神や仏の無限の森に分け入り、迷い歩く(1)

 子どもの頃の遊び場は近くの寺の庭であり、祖父の妹が寺に嫁いでいたからか、真宗の寺も僧も身近の存在で、よく見知っていた。家の裏には墓が、家には仏壇と神棚があり、祖母が「なまんだぶ」と呟きながら仏壇に供え物をしたり、神棚に燈明をあげ、柏手を打つのを毎日見ていた。だが、神主を知っていたかと尋ねられると、何とも心許なく、祭りの時に一瞥する程度で、神主の生活は何も知らなかった。身近の仏教に比べると、神道は離れた存在だったようだ。それでも、神社の何もない本殿は寺の本堂とは違っていて、仏教と神道の違いは子供でも感じることができた。寺も墓も怖くはなかったが、神社の大杉の静寂は少々不気味だった。

 ところで、妙高市の神社となれば、斐太神社、関山神社、白山神社、加茂神社などで、いずれも明治以前にできた神社であり、昔からあり続けた鎮守の神社。ところが、隣の上越市を歩くと、そこには明治以降に創建された新タイプの神社が見つかる。それが榊神社と春日山神社。いずれも明治に入ってからできた神社で、昔から存在する八坂神社、居田(こた)神社、春日神社などとは明らかに違う神社である。紛らわしいのは春日神社と春日山神社。春日神社は奈良の春日大社の分霊を鉢ヶ峰に祀り、その山が後に春日山と呼ばれることになった。そして、明治になってその春日山に創建されたのが春日山神社で、上杉謙信が祀られている。さらに、榊神社も明治8年に旧高田藩士によって創建され、こちらは榊原藩の藩祖と主な藩主たちが祀られている。廃藩置県後、榊神社のように旧藩主を祀る神社の創建が流行し、全国につくられた。上杉謙信を祀る米沢の上杉神社明治4年につくられ、春日山神社はその分社である。このような新しいタイプの神社は子供時代の私の生活にはなかった。そんなことを言い出せば、子供時代の私の生活の中には浄土真宗以外の仏教も遠くの存在に過ぎなかった。私が中学校、高校に進み、それにつれて仏教や神道の理解も広がり、さらにそれ以外の宗教に接するのは大学に入って以降のことになる。信心深いどころか、宗教への関心は宗教教義に偏り、信仰をもつ訳ではなかった。とはいえ、仏教や神道以外の宗教への関心が高くなったのは確かで、例えば、大学時代は『歎異抄』より『聖書』への関心が強かったのである。

 仏教の仏も神道の神も複数どころか、多数を越えて無尽蔵。『阿弥陀経』によればガンジス川の砂の数ほど仏が存在し、曼荼羅には無数の仏が描かれ、八百万の神は日々増殖している。英霊だけでなく、亡くなった人は皆神になり、誰もが成仏するなら、神も仏もその数は増え続け、一神教とはまるで違う世界となる。